ツキノワグマ アーカイブ - 地球を感じる山登り 山の成り立ちを地質学から読み解く登山ブログ Sun, 23 Aug 2026 00:09:08 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.3 https://chikyu-yama.online/wp-content/uploads/2026/04/favicon_tozan-150x150.png ツキノワグマ アーカイブ - 地球を感じる山登り 32 32 ツキノワグマはなぜ東日本に多いのか——雪と地形がつくった「ブナ帯」とクマの地理学 https://chikyu-yama.online/bear-distribution-beech-forest/ https://chikyu-yama.online/bear-distribution-beech-forest/#respond Mon, 03 Aug 2026 07:16:53 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1881 ツキノワグマの分布は「ブナ帯」の地図と重なります。東日本に多く西日本で孤立するその理由は、冬の季節風と脊梁山脈がつくる雪の地理にあります。クマの出没を地形・気候から読み解きます。

投稿 ツキノワグマはなぜ東日本に多いのか——雪と地形がつくった「ブナ帯」とクマの地理学 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
ツキノワグマは、東日本では個体群が連続的に広がっていますが、西日本では複数の孤立した小集団に分断されており、九州ではすでに絶滅しています。その分布の輪郭は、落葉広葉樹林(ブナ・ミズナラの森)の分布とほぼ重なります。

この記事で整理するポイントは3つあります。①ブナ林は冬の北西季節風と脊梁山脈によって東日本・日本海側に集中しており、その分布がクマの生息域を規定しています。②ブナ科の堅果(どんぐり)は数年に一度、広い範囲で一斉に凶作になり、その年にクマが大量に里へ下ります。③ただし2026年に発表された最新研究では、「凶作→飢餓→出没」という単純な図式には修正が必要とされています。

クマの出没が増えた原因として「山に食べ物がなくなったから」という説明を見かけることがありますが、実際の背景にはもう少し複雑な地理的構造があります。

なぜ東日本に多く、西日本で孤立するのか?

個人的な話を先に書いておくと、私はこれまでの登山でクマを5回ほど見かけています。5回とも北アルプスです。いずれも谷を挟んだ向こう側の斜面や、数百メートル先の草付きで、黒い塊がのそのそ動いているのを「あ、いる」と眺めた程度の距離でした。向こうもこちらに気づいているようでしたが、特に慌てる様子もなく、そのうち藪へ消えていきます。緊張感のある遭遇というより、彼らの生活圏を通らせてもらっている、という感覚のほうが近いかもしれません。特別に運が良かったわけでもなく、東日本の山ではその程度には普通に生きている動物だということです。

まず現状を確認します。ツキノワグマは本州・四国のみに分布し、推定個体数はおよそ1.5万〜2万頭とされています。推定誤差が大きく、幅のある数字です。

東日本(東北〜中部山岳)では個体群が連続的につながっており、近年は分布域が拡大傾向にあります。環境省の分布メッシュデータ(平成15→30年度)によると、東北134%・近畿169%・中国地方270%と増加している地域がある一方、四国のみ88%と縮小しています。

四国の状況は特に深刻です。現在は剣山山系のみに個体群が残存し、環境省のレッドリストで「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されています。2017年の推定では16〜24頭、2025年度の最新調査でも個体識別できたのは最低25頭です。存続に必要とされる100頭を大きく下回る水準で、「個体群」という言葉より「顔見知りの集まり」といったほうが規模感に近いかもしれません。北アルプスを歩いていれば何度か見かける動物が、四国では山に入り続けても一生見ないほうが普通、という差です。遺伝的にも東西のクマは系統が異なり、紀伊半島・四国のクマは独自の遺伝系統を持つとされています。

九州は2012年に環境省が「絶滅」と判断しました。東から西へ向かうにつれて分布が細り、最終的に消える——この勾配の根本には植生の分布があります。なぜ北海道にはヒグマが、本州にはツキノワグマがいるのかという問いと根が近く、なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのかでその境界線について詳しく扱っています。

ツキノワグマの分布と落葉広葉樹林(ブナ帯)の重なりを示す地図
ツキノワグマの分布は落葉広葉樹林(ブナ帯)とよく重なる。東日本で連続し、西日本で孤立する(イメージ図解)

ブナ林はなぜ日本海側に集中しているのか?

ツキノワグマの分布がブナ林と重なるとして、では、そのブナ林はなぜ東日本・日本海側に集中しているのでしょうか。答えは積雪にあります。

ブナは冷温帯の山地帯に成立する植物で、年平均気温おおむね6〜14℃の環境に対応しています。生育できる標高帯は地域によって異なり、南へ行くほど高くなります。関東ではおおむね700〜800m以上、九州南部では1,200m以上に限られる一方、北海道南部では海抜20m付近まで下がります。

ここで重要なのは、ブナは雪に強いのに対し、スギやヒノキなどの常緑針葉樹の多くは重い積雪で枝が折れやすいという点です。積雪深がおよそ50cmを超えると、針葉樹は競争上不利になります。ブナは冬に葉を落とす落葉樹のため、雪を受け止める面積が大幅に減ります。この一点が、多雪地帯でブナが優占できる主な理由として働いています。冬に葉を全部捨てるという戦略が、これほど広い面積の森の種組成を決定するとは、なかなか思い切った仕組みです。

冬の季節風が日本海側に雪を降らせブナ林を育てる断面図解
冬の北西季節風が日本海側に豪雪をもたらし、雪に強いブナの純林を育てる。太平洋側はブナが少ない(イメージ図解)

では、なぜ日本海側に雪が多いのか。冬の北西季節風がシベリアから吹き出し、対馬暖流が流れる日本海で大量の水蒸気を吸い込みます。その湿った空気が奥羽山脈・越後山脈などの脊梁山脈にぶつかり、日本海側に大量の雪を降らせます。山脈の風上側(日本海側)に雪が積もり、風下側(太平洋側)は乾いた空気が吹き下ろします。太平洋側ではブナが必ずしも優勢でなく、モミ・ツガなどの針葉樹やミズナラが混じり、より高い標高に規模小さく限られます。東北地方だけで日本のブナ林の約7割を占めているという数字は、この地形と季節風の組み合わせが積み重なった結果です。青森・秋田県境の白神山地は積雪250cm以上・年平均9℃以下の環境に守られた東アジア最大級の原生的ブナ林で、1993年に日本初の世界自然遺産に登録されました。豪雪地形と山の成り立ちの関係については、谷川岳の地質も参考になります。

実際に日本海側の山を歩くと、雪の存在感は数字以上のものがあります。火打山(新潟県、標高2,462m)に7月中旬に登ったとき、稜線直下や湿原のふちにはまだ雪が残っていました。高谷池から天狗の庭にかけての湿原は、冬に数メートル積もった雪が春から夏にかけてじっくりと溶け出し、土壌に水と栄養分を供給し続けることで成立しています。7月に雪が残るということは、それだけの量が一冬に積もっているということです。その水の蓄積がブナ帯の樹木を育てており、ブナが実を結ぶ秋に向けてクマが森に生きていられる環境をつくっています。

火打山の高谷池・天狗の庭の湿原
火打山(新潟県)の湿原。豪雪地帯の雪解け水が育んだ。日本海側の山は雪の多さが地形に刻まれている

なぜ秋になるとクマは里へ下りてくるのか?

結論からいえば、秋の主食であるブナ科の堅果(どんぐり)が数年に一度、広い範囲で一斉に不作になる「マスティング(広域同調)」が最大の要因とされてきました。ただし最新研究ではその図式に修正が加えられつつあります。

秋になると、ツキノワグマは老若男女すべて堅果を中心に食べ、冬眠前の脂肪を蓄えます。森林総合研究所らによる安定同位体分析でも、秋の食性は堅果に強く偏ることが示されています。問題は、その堅果が毎年安定して実るわけではない点です。

林野庁東北森林管理局の集計によれば、大凶作39%・凶作31%・並作17%・豊作12%という頻度です。豊作は10年に1〜2回しか当たらない計算で、統計的にはほとんど凶作か並作という状況です。主食の供給がこれだけ不安定な食材に依存しているのは、サプライチェーンとして見るとかなり綱渡りです。

同調はおよそ60〜190kmのグループ規模で起き、日本全国が同時に凶作・豊作になるわけではありません。東北全体が凶作でも北部だけ豊作という年もあり、クマはそのなかで餌を求めて広い範囲を移動します。GPS追跡研究では、普段は慎重なメスも凶作年には大胆に低標高まで動くことが確認されています。全国の捕獲数が急増した「大量出没年」(2004・2006・2010・2020・2023年度など)は堅果の凶作年と重なります。

2023年度(令和5年度)は東北5県のブナが調査開始(2004年)以来初の「大凶作」だった年で、環境省統計では人身被害198件・219人・死者6人と当時の過去最多を記録しました。翌2024年4月には環境省がクマ類を「指定管理鳥獣」に指定しています。その後さらに被害は増え、2025年度(令和7年度)は被害者238人・死者13人・出没約5.1万件と、記録が残る2009年度以降の最悪を更新しました。

ただし「凶作→飢餓→出没」という因果の図式には、最新研究から修正が加えられています。2026年に島根県中山間地域研究センターらが発表した研究(Mammal Study)では、約650頭・16年分の体脂肪データを分析した結果、人里へ出たクマの多くは必ずしも飢餓状態になかったことが示されました。放置された柿など人里の誘引物が出没の大きな要因とされており、「山に食べ物がない→仕方なく下りる」だけでなく「人里にも食べ物がある→来てしまう」という側面が無視できないようです。出没・駆除のピークが堅果の収穫期(10〜11月)より前の8〜9月に集中している点も、単純な飢餓説では説明しにくい事実として指摘されています。なお、東北ではブナの豊凶との相関が強い一方、北陸・近畿では弱く別の樹種が効くなど地域差もあります。

クマの移動路は川が決める

クマが山から集落へ移動するルートには、地形が深く関わっています。集落の多くは谷口や川沿いに立地しており、その集落にはほぼ必ず川が流れています。川沿いの林(河畔林)はクマの移動路(コリドー)になりやすく、生息域を集落周辺まで広げたクマが川沿いを伝って集落内の藪へ入り込むケースが多く報告されています。

クマは季節ごとに標高を移動します。春は芽吹きを追って山の低いところへ下り、夏は木の実や昆虫を求めて山中を動き、秋は堅果を求めて再び動きます。この垂直移動の経路が、川沿いの地形と重なるときに集落へのアクセスが生まれます。

かつての里山は、人が薪炭を採るために頻繁に出入りする明るい二次林でした。人の気配と開けた環境は、クマには使いにくい「緩衝帯」として機能していました。しかし農山村の過疎化と薪炭需要の消滅で里山は放棄され、草木が繁茂した藪へ変わりつつあります。耕作放棄地は集落から遠い農地から先に手放すため、集落の周縁から藪化が進みます。かつては人間が積極的に山へ入ることで維持されていた緩衝帯が、人間の側が動かなくなったことで消えた——これはクマが変わったというより、人間の土地利用が変わった話でもあります。

西日本でクマが追い詰められた理由

西日本でクマの個体群が孤立・縮小した理由を一言でいえば、ブナ林が減ったからです。

近世以降の強い森林利用と、戦後の拡大造林政策によって、広葉樹林の跡地にスギ・ヒノキの人工林が植えられていきました。人工林は林床が暗く、どんぐりの木が育ちにくい環境です。クマの秋の主食である堅果の供給が長期的に減少し、生息環境の質が低下した結果、個体群が分断されて孤立した小集団だけが残りました。

九州はその末端で2012年に絶滅の判断が下され、四国は剣山山系の1か所に追い込まれています。遺伝的な独自性を持ちながら25頭程度しか確認できない状況は、回復が容易でないことを示しています。逆に東日本でクマが分布を広げているのも同じ土地利用変化の反映で、過疎化による山の人手不足・里山の藪化・個体数の底上げが重なっています。

地質はクマの分布にどう影響するのか

正直に書きます。地質は、クマの分布を直接決める要因ではありません。

クマの分布を一義的に規定するのは気候(積雪・気温)と植生(落葉広葉樹林の有無)です。地質の影響は、植生を介した間接的なものにとどまります。

ただし、地質が土壌を通じて植生の種組成に影響することは事実です。花崗岩が風化した真砂土(まさ土)は保水力が乏しく貧栄養なため、アカマツが優占しやすい傾向があります。石灰岩や蛇紋岩では特殊な植生が成立し、ブナ・ナラの豊かな堅果林が発達しにくくなります。瀬戸内の花崗岩地帯の尾根ではアカマツが目立ち、堅果の豊富なブナ帯が少ないことはクマにとって不利な環境条件になりえます。「地質が植生の背景条件に影響し、その植生がクマの餌に影響する」という間接的な推論は立てられます。ただしこれを実証した資料は現時点では乏しく、「地質がクマの分布を決める」というレベルの主張は正確ではありません。火打山の地質については火打山の地質で詳しく扱っています。

雪が描いた地図の上に、クマがいる

現在見えているツキノワグマの分布は、冬の北西季節風と脊梁山脈が引いた「雪の地図」の裏返しです。豪雪がブナ林を育て、ブナ林がクマを養い、その連鎖が東日本・日本海側を中心とした分布の広がりをつくっています。

火打山の池塘(ちとう=高山帯の湿原にできる小さな池)のほとりを歩いたとき、7月なのにまだ雪が残っている箇所がありました。稜線から高谷池へ下りながら「これだけ雪があれば確かにブナが生きられる」と思っていましたが、それはクマが生きていける環境でもあります。後から地図と資料を照らし合わせて、雪と植生と動物の分布がひとつの連鎖でつながっていることを改めて確認しました。現場で感じた「雪の多さ」は、書き物のうえの説明よりずっと具体的でした。

気候が変われば雪が変わり、雪が変われば森が変わり、森が変われば動物の分布が変わります。出没件数の多少やニュースの頻度ではなく、その背景にある地理的な構造を知ることが、クマを取り巻く状況を正確に読む入り口になります。

火打山の池塘と7月中旬の残雪
火打山の池塘と残雪。7月中旬でも雪が残る。この雪がブナ帯を育て、ブナ帯がクマを養う

参考資料


「山の地質」カテゴリでは、プレート運動・火山・氷河・豪雪地形など、山がこの形になった理由を地球スケールで読み解く記事を扱っています。ブナ帯と豪雪地形のつながりをさらに深めたい場合は、以下の記事が参考になります。

▶ 火打山の地質——日本海側の豪雪地形が生み出した山
▶ 谷川岳の地質——世界有数の豪雪地帯と険しい岩壁の成り立ち
▶ なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか

投稿 ツキノワグマはなぜ東日本に多いのか——雪と地形がつくった「ブナ帯」とクマの地理学 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/bear-distribution-beech-forest/feed/ 0
なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」 https://chikyu-yama.online/blakiston-line-bears/ https://chikyu-yama.online/blakiston-line-bears/#respond Fri, 24 Jul 2026 11:53:59 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1874 北海道にヒグマ、本州にツキノワグマ——この分布の境界「ブラキストン線」は、氷期に海面が約120m下がっても消えなかった津軽海峡の深さが作り出しました。2万年前の地形が、いまの山のクマ事情を決めています。

投稿 なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
北海道のヒグマ(Ursus arctos)と本州・四国のツキノワグマ(Ursus thibetanus)という南北に異なる分布は、氷期の海面低下でも消えなかった津軽海峡の水路が、約2万年前に引いた「クマの国境」です。

この記事を地学的に読むポイントは3つあります。ひとつは、「ブラキストン線」と呼ばれる分布境界がなぜ津軽海峡に引かれたのか。ふたつめは、最終氷期の海面低下が宗谷海峡と津軽海峡に正反対の影響を与えた理由。そして3つめは、本州の地層から出てくるヒグマの化石が、現在の分布について何を語っているのか、です。

クマの分布には「国境」がある——ブラキストン線とは何か?

北海道と本州の間には、生物分布の境界線として「ブラキストン線」が引かれています。1883年、イギリスの動物学者トーマス・ブラキストンが「津軽海峡を境に、北は北方系、南は南方系の動物が分布する」と発表し、その後、地震学者ジョン・ミルンがこの境界線にブラキストンの名を提案しました。境界線に名前が付いたのは1883年ですが、境界が決まったのは約2万年前です。

この線の北側にはヒグマ、エゾリス、エゾライチョウといった北方系の動物が分布し、南側にはツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスといった南方系が分布します。ヒグマとツキノワグマはそれぞれ日本最大級の陸生哺乳類ですが、津軽海峡を挟んで互いの領域に踏み込んでいません。名前を持つ境界線があるのに、クマたちが1頭たりともそれを越えないのは、なかなか几帳面な話です。

日本列島のクマ2種の分布とブラキストン線を示す地図
北海道=ヒグマ、本州・四国=ツキノワグマ。境界のブラキストン線は津軽海峡を通る(イメージ図解)

現在の分布を見ると、この境界がいかに明確かがわかります。九州ではツキノワグマはすでに絶滅したとされており、四国では剣山山系に25頭前後しか残っていないとされています。環境省はこの四国の個体群を「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定しており、存続可能とされる100頭という目安を大きく下回っています。北端から南端へ向かうにつれて個体数が激減していくこの構造は、分布境界の成因と無関係ではありません。

氷期に海面は約120m下がった——でも津軽海峡は消えなかった

分布が南北に分かれた直接の原因は、最終氷期(約2万年前)の海面変動にあります。氷河期はなぜ来るのかの記事でも触れていますが、この時期、膨大な量の水が氷床として陸上に固定されたことで、世界的に海面が約120〜130m低下したと推定されています。

では、海面が120m以上下がれば、津軽海峡も陸地になったのでしょうか。ならなかった、というのが有力説です。津軽海峡は最深部が約450mあり、最も浅い白神岬〜竜飛崎付近でも水深は約130〜140mあります。氷期の海面低下では、中央の水路が残り続けた可能性が高く、海底には今も潮流が削った峡谷状の地形が残っています。産総研の地質ニュース(犬嶋和雄「海峡形成史からみた日本列島の成立」)でも、この海峡の形成史が詳しく論じられています。

一方、北の宗谷海峡(北海道〜樺太)は最大水深が約60〜70mです。氷期の海面低下でここは陸化し、北海道は樺太を経由してユーラシア大陸と地続きになりました。これがヒグマなど北方系の動物が北海道へ渡った経路だと考えられています。津軽と宗谷、隣り合う2つの海峡が、水深の違いだけで正反対の運命をたどったことになります。

氷期の宗谷海峡と津軽海峡の断面比較図解
氷期に海面が約120m下がると、浅い宗谷海峡は陸化し北海道は大陸とつながったが、深い津軽海峡は水路が残った(イメージ図解)

なぜヒグマは南へ渡れず、ツキノワグマは北へ渡れなかったのか?

宗谷海峡の陸化でユーラシア大陸から北海道へ渡ったヒグマは、津軽海峡に残った水路に南進を阻まれ、本州へ入ることができませんでした。逆に、本州から北を目指したツキノワグマも、この水路を越えられなかったと考えられています。

ツキノワグマはブナ帯や落葉広葉樹林でドングリやブナの実に依存する森林性の雑食です。行動圏が比較的狭く、ヒグマと比べると体が小さいため、長距離の遊泳や寒冷環境への適応が不利だったことも、北への定着を難しくした要因として指摘されています。とはいえ、どちらの種も越えられなかった根本的な要因は、渡るべき水路が残り続けた津軽海峡の深さにあります。

こうして「ユーラシア大陸経由で北海道に来られた動物」と「来られなかった動物」という、氷期の地形が引いた分断が、そのままブラキストン線の実体になりました。

実は本州にもヒグマがいた——秩父で見つかった巨大グマの化石

現在の分布を見ると「最初からそうだった」ように見えますが、話はもう少し複雑です。埼玉県秩父市や群馬県上野村の更新世の堆積物から、ヒグマの化石が出ています。年代測定では約3万2500年前・約1万9300年前の個体が確認されており、少なくとも約1万8000年前ごろまで本州にヒグマが存在していたと推定されています。山の時間は「桁」で読むでも触れていますが、更新世は地質学的にはごく最近のことです。

この本州のヒグマ化石にはさらに驚く点があります。秩父で出土した雄の化石は推定体長3mを超え、現在の北海道のヒグマの1.2〜1.3倍の大きさだったと推定されています。肉食性が強く、バイソンやオオツノジカのような大型哺乳類を捕食していたと考えられており、当時の本州にはそれを支える生態系があったことになります。現代のヒグマよりひと回り大きなクマが秩父の山中を歩き回っていたというのは、秩父を見る目が少し変わる話です。

2021年、山梨大・東工大・国立科学博物館らのグループがRoyal Society Open Scienceに発表した古代DNA解析では、本州のヒグマは道南(北海道南部)の集団と近縁な系統が津軽海峡を渡ったものと示されました。ヒグマは少なくとも2回、大陸から北海道を経由して本州へ渡来したと推定されており、1回目は34万年以上前、2回目は約14万年前の寒冷期とされています。

では、なぜ本州のヒグマは絶滅したのでしょうか。後期更新世から完新世にかけての温暖化で植生が変化し、ヒグマが依存していた大型哺乳類の餌が失われたこと、人類の渡来との関係など、複数の要因が複合したとされています。現時点で単一の原因で説明する説は出ておらず、解明は途上です。日本に氷河はいくつある?の記事でも、氷期から完新世へのこの気候変動の規模について触れています。

山を歩く視点で——2万年前の海面の高さが決めたもの

9月下旬、北海道の羊蹄山(1,898m)の山頂で、火口をのぞいた後に大地を見渡しました。眼下には洞爺湖が広がり、農地と森が地平線まで続いていました。「蝦夷富士」と呼ばれるだけあって、山頂からの眺望は四方に遮るものがなく、この島がどれだけ広いかをあらためて意識させられます。

羊蹄山の山頂から洞爺湖と北海道の平野を見下ろす風景
羊蹄山の山頂から望む洞爺湖と北海道の大地。9月下旬。この島はヒグマの国

北海道の山を歩くとき、頭の片隅に置くクマはヒグマです。本州の山を歩くときはツキノワグマです。どちらも日本最大級の陸生哺乳類ですが、生態も行動パターンも異なります。「なぜ北と南でクマの種が違うのか」という疑問が本格的に気になったのは、羊蹄山から下山した後に地図を眺めていたときでした。津軽海峡の幅は最狭部で約18〜19kmしかありません。それだけの距離が、2種のクマを分断し続けているのかと思うと、数値の小ささと結果の大きさのギャップが妙に印象に残ります。

羊蹄山の火口
羊蹄山の火口。蝦夷富士とも呼ばれる火山で、北海道の山を象徴する一座

その答えの核心は、幅ではなく深さにありました。宗谷海峡は最大水深約60〜70mで氷期に陸化し、津軽海峡は最浅部でも約130〜140mの水深が残って水路が維持された。この深さの差が、ヒグマがユーラシアから北海道へ渡る経路を作り、同時に本州への通路を閉ざしました。山の上から見える「ヒグマがいる島」という状況は、約2万年前の地球の水の配置が決めた結果です。

いま見えている分布は、氷期の地形が決めた結果

現代の山でヒグマとツキノワグマが津軽海峡を境に分かれているのは、氷期の海面低下という地球規模の気候変動が、海峡の水深という地形条件と組み合わさって生み出した産物です。線が引かれる以前に、地形が先に分断を作っていました。

本州に残るヒグマの化石は、現在の分布が「最初からそうだった」のではなく、一度は存在した動物相が失われた結果であることを示しています。古代DNAが明らかにした移動の経路と、更新世の堆積物が語る生息の痕跡が、少しずつ組み合わさって、この分布の成り立ちが見えてきています。ただし、本州ヒグマが絶滅した理由については、諸説あり引き続き研究が進んでいる段階です。

北海道の山で感じるヒグマの気配と、本州の山で感じるツキノワグマの気配。その違いの根っこには、2万年前に津軽海峡がどれだけ深かったかという、地球の地形の問題が横たわっています。

参考資料


地球規模の視点で山の成り立ちを読む記事は、当ブログの山の地質カテゴリにまとめています。氷期・プレート運動・火山といったテーマを扱った記事を順次追加しています。

投稿 なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/blakiston-line-bears/feed/ 0