なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」

山の地質

北海道のヒグマ(Ursus arctos)と本州・四国のツキノワグマ(Ursus thibetanus)という南北に異なる分布は、氷期の海面低下でも消えなかった津軽海峡の水路が、約2万年前に引いた「クマの国境」です。

この記事を地学的に読むポイントは3つあります。ひとつは、「ブラキストン線」と呼ばれる分布境界がなぜ津軽海峡に引かれたのか。ふたつめは、最終氷期の海面低下が宗谷海峡と津軽海峡に正反対の影響を与えた理由。そして3つめは、本州の地層から出てくるヒグマの化石が、現在の分布について何を語っているのか、です。

クマの分布には「国境」がある——ブラキストン線とは何か?

北海道と本州の間には、生物分布の境界線として「ブラキストン線」が引かれています。1883年、イギリスの動物学者トーマス・ブラキストンが「津軽海峡を境に、北は北方系、南は南方系の動物が分布する」と発表し、その後、地震学者ジョン・ミルンがこの境界線にブラキストンの名を提案しました。境界線に名前が付いたのは1883年ですが、境界が決まったのは約2万年前です。

この線の北側にはヒグマ、エゾリス、エゾライチョウといった北方系の動物が分布し、南側にはツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスといった南方系が分布します。ヒグマとツキノワグマはそれぞれ日本最大級の陸生哺乳類ですが、津軽海峡を挟んで互いの領域に踏み込んでいません。名前を持つ境界線があるのに、クマたちが1頭たりともそれを越えないのは、なかなか几帳面な話です。

日本列島のクマ2種の分布とブラキストン線を示す地図
北海道=ヒグマ、本州・四国=ツキノワグマ。境界のブラキストン線は津軽海峡を通る(イメージ図解)

現在の分布を見ると、この境界がいかに明確かがわかります。九州ではツキノワグマはすでに絶滅したとされており、四国では剣山山系に25頭前後しか残っていないとされています。環境省はこの四国の個体群を「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定しており、存続可能とされる100頭という目安を大きく下回っています。北端から南端へ向かうにつれて個体数が激減していくこの構造は、分布境界の成因と無関係ではありません。

氷期に海面は約120m下がった——でも津軽海峡は消えなかった

分布が南北に分かれた直接の原因は、最終氷期(約2万年前)の海面変動にあります。氷河期はなぜ来るのかの記事でも触れていますが、この時期、膨大な量の水が氷床として陸上に固定されたことで、世界的に海面が約120〜130m低下したと推定されています。

では、海面が120m以上下がれば、津軽海峡も陸地になったのでしょうか。ならなかった、というのが有力説です。津軽海峡は最深部が約450mあり、最も浅い白神岬〜竜飛崎付近でも水深は約130〜140mあります。氷期の海面低下では、中央の水路が残り続けた可能性が高く、海底には今も潮流が削った峡谷状の地形が残っています。産総研の地質ニュース(犬嶋和雄「海峡形成史からみた日本列島の成立」)でも、この海峡の形成史が詳しく論じられています。

一方、北の宗谷海峡(北海道〜樺太)は最大水深が約60〜70mです。氷期の海面低下でここは陸化し、北海道は樺太を経由してユーラシア大陸と地続きになりました。これがヒグマなど北方系の動物が北海道へ渡った経路だと考えられています。津軽と宗谷、隣り合う2つの海峡が、水深の違いだけで正反対の運命をたどったことになります。

氷期の宗谷海峡と津軽海峡の断面比較図解
氷期に海面が約120m下がると、浅い宗谷海峡は陸化し北海道は大陸とつながったが、深い津軽海峡は水路が残った(イメージ図解)

なぜヒグマは南へ渡れず、ツキノワグマは北へ渡れなかったのか?

宗谷海峡の陸化でユーラシア大陸から北海道へ渡ったヒグマは、津軽海峡に残った水路に南進を阻まれ、本州へ入ることができませんでした。逆に、本州から北を目指したツキノワグマも、この水路を越えられなかったと考えられています。

ツキノワグマはブナ帯や落葉広葉樹林でドングリやブナの実に依存する森林性の雑食です。行動圏が比較的狭く、ヒグマと比べると体が小さいため、長距離の遊泳や寒冷環境への適応が不利だったことも、北への定着を難しくした要因として指摘されています。とはいえ、どちらの種も越えられなかった根本的な要因は、渡るべき水路が残り続けた津軽海峡の深さにあります。

こうして「ユーラシア大陸経由で北海道に来られた動物」と「来られなかった動物」という、氷期の地形が引いた分断が、そのままブラキストン線の実体になりました。

実は本州にもヒグマがいた——秩父で見つかった巨大グマの化石

現在の分布を見ると「最初からそうだった」ように見えますが、話はもう少し複雑です。埼玉県秩父市や群馬県上野村の更新世の堆積物から、ヒグマの化石が出ています。年代測定では約3万2500年前・約1万9300年前の個体が確認されており、少なくとも約1万8000年前ごろまで本州にヒグマが存在していたと推定されています。山の時間は「桁」で読むでも触れていますが、更新世は地質学的にはごく最近のことです。

この本州のヒグマ化石にはさらに驚く点があります。秩父で出土した雄の化石は推定体長3mを超え、現在の北海道のヒグマの1.2〜1.3倍の大きさだったと推定されています。肉食性が強く、バイソンやオオツノジカのような大型哺乳類を捕食していたと考えられており、当時の本州にはそれを支える生態系があったことになります。現代のヒグマよりひと回り大きなクマが秩父の山中を歩き回っていたというのは、秩父を見る目が少し変わる話です。

2021年、山梨大・東工大・国立科学博物館らのグループがRoyal Society Open Scienceに発表した古代DNA解析では、本州のヒグマは道南(北海道南部)の集団と近縁な系統が津軽海峡を渡ったものと示されました。ヒグマは少なくとも2回、大陸から北海道を経由して本州へ渡来したと推定されており、1回目は34万年以上前、2回目は約14万年前の寒冷期とされています。

では、なぜ本州のヒグマは絶滅したのでしょうか。後期更新世から完新世にかけての温暖化で植生が変化し、ヒグマが依存していた大型哺乳類の餌が失われたこと、人類の渡来との関係など、複数の要因が複合したとされています。現時点で単一の原因で説明する説は出ておらず、解明は途上です。日本に氷河はいくつある?の記事でも、氷期から完新世へのこの気候変動の規模について触れています。

山を歩く視点で——2万年前の海面の高さが決めたもの

9月下旬、北海道の羊蹄山(1,898m)の山頂で、火口をのぞいた後に大地を見渡しました。眼下には洞爺湖が広がり、農地と森が地平線まで続いていました。「蝦夷富士」と呼ばれるだけあって、山頂からの眺望は四方に遮るものがなく、この島がどれだけ広いかをあらためて意識させられます。

羊蹄山の山頂から洞爺湖と北海道の平野を見下ろす風景
羊蹄山の山頂から望む洞爺湖と北海道の大地。9月下旬。この島はヒグマの国

北海道の山を歩くとき、頭の片隅に置くクマはヒグマです。本州の山を歩くときはツキノワグマです。どちらも日本最大級の陸生哺乳類ですが、生態も行動パターンも異なります。「なぜ北と南でクマの種が違うのか」という疑問が本格的に気になったのは、羊蹄山から下山した後に地図を眺めていたときでした。津軽海峡の幅は最狭部で約18〜19kmしかありません。それだけの距離が、2種のクマを分断し続けているのかと思うと、数値の小ささと結果の大きさのギャップが妙に印象に残ります。

羊蹄山の火口
羊蹄山の火口。蝦夷富士とも呼ばれる火山で、北海道の山を象徴する一座

その答えの核心は、幅ではなく深さにありました。宗谷海峡は最大水深約60〜70mで氷期に陸化し、津軽海峡は最浅部でも約130〜140mの水深が残って水路が維持された。この深さの差が、ヒグマがユーラシアから北海道へ渡る経路を作り、同時に本州への通路を閉ざしました。山の上から見える「ヒグマがいる島」という状況は、約2万年前の地球の水の配置が決めた結果です。

いま見えている分布は、氷期の地形が決めた結果

現代の山でヒグマとツキノワグマが津軽海峡を境に分かれているのは、氷期の海面低下という地球規模の気候変動が、海峡の水深という地形条件と組み合わさって生み出した産物です。線が引かれる以前に、地形が先に分断を作っていました。

本州に残るヒグマの化石は、現在の分布が「最初からそうだった」のではなく、一度は存在した動物相が失われた結果であることを示しています。古代DNAが明らかにした移動の経路と、更新世の堆積物が語る生息の痕跡が、少しずつ組み合わさって、この分布の成り立ちが見えてきています。ただし、本州ヒグマが絶滅した理由については、諸説あり引き続き研究が進んでいる段階です。

北海道の山で感じるヒグマの気配と、本州の山で感じるツキノワグマの気配。その違いの根っこには、2万年前に津軽海峡がどれだけ深かったかという、地球の地形の問題が横たわっています。

参考資料


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