リニアはなぜ南アルプスを貫くのか——土被り1,400m、日本最難関トンネルの地質学

山の地質

南アルプストンネルは、海底に積もった地層が日本で最も速いペースで隆起し続ける山脈の真下を、最大土被り約1,400mで貫く、国内に前例のない深さのトンネルです。

2026年7月7日、静岡県知事が静岡工区の着工を容認しました。約9年間続いた議論がひとまず決着し、7月18日には自然環境保全協定も締結されています(時事通信・静岡新聞)。それはそれとして、素朴な疑問が残ります。なぜリニア中央新幹線は、わざわざ日本で最も険しい山脈の真下を通るのか。地図を見るかぎり、もう少し南か北に迂回できそうにも見えます。

この記事の地学的な核心は3点です。南アルプスは「かつての海底の地層が大陸に貼り付いて盛り上がった山脈」であること、今も年間約4mmという日本最速のペースで隆起が続いていること、そして深い土被りが工事に何をもたらすかです。ルートを決めたのはエンジニアですが、この地形を作ったのは数千万年分のプレートの動きです。

直線ルートである理由——なぜ迂回しないのか

リニアモーターカーが時速500km前後で走るためには、カーブを極力避ける必要があります。カーブが急になるほど遠心力が大きくなり、速度制限が必要になります。直線区間でこそ最高速度を維持できます。南アルプスを大きく迂回するルートにすると、距離が増えるだけでなく、曲線区間の速度制限も加わります。「品川〜名古屋を約40分」という前提を守るには、南アルプスを直進するしかなかった、ということです。迂回すると、そもそもリニアが何のためにあるのかという話になります。

全長約25kmの南アルプストンネルは、山梨県早川町から静岡市葵区を経て長野県大鹿村まで続きます。山梨工区約7.7km・静岡工区約8.9km・長野工区約8.4kmの3工区に分けて工事が進んでいます(JR東海資料)。トンネルは両側の坑口からそれぞれ中央に向かって登り勾配(最急40パーミル)で掘り進める線形になっており、稜線は標高が相対的に低い小河内岳の南側を通過するよう設計されています。できるだけ土被りを小さくするための工夫ですが、それでも最大土被りは約1,400mになります。

南アルプスはなぜこれほど険しい山脈なのか?

南アルプスの骨格を作っているのは、付加体(ふかたい)と呼ばれる地質体です。海洋プレートが陸側のプレートの下に沈み込む際、海底に積もっていた砂や泥が剥ぎ取られ、大陸の縁に貼り付いていきます。それが長い時間をかけて積み上がり、押し固められたものが付加体です。南アルプスの主体は四万十帯を中心とする付加体で、砂岩と泥岩が複雑に変形して急傾斜になっています(山口大資料)。かつては太平洋の海底だった地層が、今は標高3,000m超の山脈になっています。

この山脈を今も押し上げているのがフィリピン海プレートです。フィリピン海プレートは年間3〜5cmのペースで北上しており、その上に乗っている伊豆・小笠原の火山列が本州に衝突し続けています(大鹿村中央構造線博物館ほか)。この圧縮力が南アルプスを急激に隆起させており、国土地理院の約70年間の水準測量によると隆起速度は年間約4mmです。環境省も「年間3〜4mm、日本最速」と記載しています。フィリピン海プレートが日本列島の山々にどう関わっているかは、フィリピン海プレートが作った日本の山で広く整理しています。

年間4mmは人の爪がひと月に伸びる長さとだいたい同じです。1,000年で4m、1,000万年で40kmです。南アルプスは現在も、いわばじわじわと背伸びし続けています。トンネルを掘っている間も、その上の山は動いています。

南アルプスの地質断面図解:フィリピン海プレートの沈み込みと付加体の隆起、リニアトンネルの位置
南アルプスの成り立ちとリニアトンネルの位置関係(イメージ図解)

土被り1,400mとはどういう意味か?

土被り(どかぶり)とは、トンネルの天井から地表面までの岩盤の厚さのことです。南アルプストンネルは静岡・長野県境付近で最大約1,400mに達します(JR東海資料・中日新聞)。東京スカイツリーの高さが634mなので、その2本分以上の岩盤がトンネルの上に存在します。国内のトンネルでこれほどの深さは前例がありません。

土被りが大きいほど、山全体の重みが掘削面(切羽)に集中してかかります。岩盤の圧力が想定を超えると、トンネルの壁や天井がじわじわと変形し始め、支保工(坑内を支える構造体)を立てる作業が追いつかなくなるリスクが高まります。しかも地表から1,400m下の地質を事前に正確に把握することは、現実的に困難です。垂直に1,400m掘って調査するのはコスト・技術の両面で非現実的で、地表からの探査だけでは細かい断層や地質の変化を捉えきれません。

JR東海が採用したのが「先進坑」方式です。本坑(実際に列車が走るトンネル)を掘る前に、一回り小さい断面のトンネルをまず先行させ、実際の地質・湧水量・地圧を直接確認しながら前方の情報を収集していきます(JR東海資料)。計画段階では予測できなかった地盤の性状を、掘りながら把握していく方法です。

南アルプストンネルの縦断面図解:両側の坑口から中央へ登り勾配で掘り進み、斜坑と先進坑で工事を進める
南アルプストンネルの掘り方(縦断面のイメージ図解)。両側から中央の最深部へ向かって掘り進み、斜坑から作業拠点を増やし、先進坑で前方の地質を確かめながら進む

山梨・静岡県境付近の断層帯は特に慎重な対応が必要な区間です。先進坑は2025年4月、県境の手前61m地点でいったん掘削を止め、前方調査に移行しました(静岡朝日テレビ)。県境に向けた長尺ボーリング(ドリルで斜め前方を探査する手法)は、もろい地質で孔が詰まり、静岡県側10m地点で中断した事例もあります(日経クロステック)。付加体特有の複雑な地質が、調査そのものを難しくしています。

2021年10月には岐阜県の瀬戸トンネル工事区間で崩落事故が発生し、作業員2人が死傷しました(日経)。もろい地質を掘り進む現場では、地質の話と安全の話は切り離せません。

南アルプストンネルの位置を示す地形図
南アルプストンネルの位置関係(出典:国土地理院の地理院タイルを加工。ルートは概略)

稜線を歩くと、1,400m下が気になってくる

南アルプスの縦走路のひとつ、三伏峠から塩見岳へ向かうルートを歩くと、足元の地面がどんな素材でできているかが否応なく目に入ります。三伏峠は標高2,580mで日本最高所の峠とされており、長野県側の鳥倉林道終点から3時間ほど登り続けてようやくたどり着きます。稜線に出てから塩見岳(3,047m)に向けて歩くと、踏み跡を少し外れた場所では細かい砂が崩れるような岩が露出しています。手をつくと指先に白い砂粒が残ります。砂岩が風化して表面から崩れやすくなっているためで、南アルプスの縦走路はところどころでこういう脆い箇所があります。

これが付加体地質の特徴のひとつです。砂岩と泥岩が交互に積み重なり、場所によって硬さが全く異なります。稜線の硬い部分が残り、やわらかい部分が削られて谷になる——それが南アルプスの複雑な地形を作っています。地上からでも岩質の変化は目で確認できますが、その変化が1,400m下まで続いているとなると、確認する手段がほとんどありません。

塩見岳の山頂に立ったとき、南の荒川岳方面を見渡しながら「この足元の1,400m下を、将来時速500kmで列車が走る」と考えると、スケールがかみ合わない感覚があります。山頂の標高3,047mと、トンネルの深さ約1,400m。合計4,400m以上の空間の上端と下部に、同時に人間の営みが存在することになります。この日は6月下旬で、稜線に雲が次々と湧き上がり、写真を撮るたびに視界が変わりました。地上の変化は目で見えますが、地下の進捗は数字でしか届きません。

塩見岳付近の稜線に雲が湧く様子
塩見岳付近の稜線。6月下旬でも雲が次々に湧く。この稜線のはるか下をトンネルが通る

2026年7月以降の動きと開業見通し

2026年7月7日に静岡工区の着工が容認され、7月18日に自然環境保全協定が締結されました。地質的には、静岡工区はトンネル全体の中でも付加体の地質が特に複雑な区間に位置しており、掘削だけで約10年かかる見込みです(時事通信)。品川〜名古屋の開業は早くて2036年以降の見通しで、着工容認から開業まではまだ長い工程が残っています。

一方、山梨工区では2026年5月に本坑が早川町側まで到達し貫通しています(UTYテレビ山梨)。三工区のうち最初の到達点です。三工区の進捗はそれぞれ異なり、最も長い静岡工区の掘削がこれから本格化します。

南アルプスはトンネル完成後も年間4mm隆起し続けます。1,000年後には4m高くなっている計算ですが、荷重の変化としては設計マージンの範囲内です。地球の時間で見れば、トンネルはほぼ瞬間に完成し、山はその後も上昇を続けます。この山脈が動いている時間のスケールと、工事の時間スケールの差は、地質を意識し始めると妙に気になってくるものがあります。

南アルプスの雲海と遠くに富士山
南アルプス南部の朝の雲海。7月中旬の午前5時台、遠くに富士山が浮かぶ

南アルプスと同じ地域の山として、甲斐駒ケ岳の地質も読み比べると、この山域の地質構造がより立体的に見えてきます。また、日本の山がプレートの動きによってどのように配置されているかは、日本の山はなぜここにある?でまとめています。

参考資料

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