中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体

山の地質

山の地質を調べていると、フォッサマグナと並んでもう一つ、必ずと言っていいほど登場する言葉があります。中央構造線です。南アルプスでも、紀伊山地でも、四国の山でも、地質の話になると決まってこの線が顔を出します。先日の南海トラフの記事で四国の地質図を載せましたが、あの「北のピンク色と南の境界」がまさに中央構造線でした。

フォッサマグナが日本列島を南北に走る「溝」だとすれば、中央構造線は西日本を東西に貫く「線」です。どちらも日本列島の骨組みを決めている大構造ですが、性質はまったく異なります。この記事では、関東から九州まで1,000kmにわたって延びるこの大断層を、地球規模のスケールで整理します。

中央構造線とは何か

中央構造線(メディアンテクトニックライン、MTL)は、関東地方から九州地方まで1,000km以上にわたって延びる、日本最大級の断層です。長野県の諏訪湖の南から、赤石山脈(南アルプス)、紀伊半島、四国を通り、九州西部の八代付近まで、ほぼ一直線に日本列島を横断しています。

ただの断層ではありません。中央構造線は「構造線」です。構造線とは、たくさんずれ動いた結果、両側にまったく違う種類の岩石が並んでしまった、地質の境界線のことを指します。中央構造線を境に、北側と南側ではできた岩石も、生まれた環境も、年代も異なります。一本の線を越えると、地球の履歴書が別のページに切り替わるわけです。

中央構造線が関東から九州まで日本列島を横断する地図
[図解: 中央構造線の縦断地図(諏訪湖〜赤石山脈〜紀伊半島〜四国〜九州西部)と内帯・外帯]

中央構造線の二つの顔 — 「地質境界」と「活断層」

中央構造線を理解するうえで、最初に押さえておきたいのが「二つの顔」を持っているという点です。これを混同すると話がややこしくなります。

一つめは地質境界としての中央構造線です。これは約1億年前にできた、日本列島の「古傷」です。北側と南側で異なる岩石を分ける境界線で、九州から関東まで1,000km以上連続しています。

二つめは活断層としての中央構造線です。こちらは現在も動いている断層で、四国から紀伊半島西部にかけて分布しています。古傷である地質境界の一部を「通り道」として再利用し、今も活動を続けています。政府の地震調査研究推進本部によれば、和歌山市付近の区間が動くと、内陸型地震としては最大級のマグニチュード8.0程度の地震が起きる可能性があるとされています。

ここで面白いのが、地質境界は九州まで延びているのに、活断層としての中央構造線は九州には存在しないとされている点です。2016年の熊本地震のあと、産総研(産業技術総合研究所)が「九州には中央構造線(活断層)はない」という見解を示しました。「古傷」はあっても、「今も痛む傷」は九州まで届いていない、ということです。同じ名前なのに地域によって意味が変わるので、ニュースで中央構造線という言葉を聞くときは、どちらの顔の話なのかを区別すると混乱せずに済みます。

中央構造線の二つの顔(地質境界と活断層)を対比する図
中央構造線の二つの顔。地質境界(左・約1億年前の古傷・九州〜関東)と活断層(右・現在も活動・四国〜紀伊)は、分けて理解すると正確です。

中央構造線はどうやってできたのか

中央構造線の誕生は、日本列島がまだアジア大陸の一部だった時代までさかのぼります。

今から約1億年前、白亜紀と呼ばれる時代のことです。当時、日本列島にあたる場所は大陸の縁にあり、海洋プレートが沈み込んでいました。この沈み込みによって、二種類のまったく異なる岩石が、隣り合わせで作られていきます。

北側(内帯)では、地下深くでマグマが大量に生まれ、領家変成岩や花崗岩ができました。これらは「高温・低圧」の環境で作られた岩石です。一方、南側(外帯)では、沈み込み帯の深い場所で三波川変成岩という「低温・高圧」の岩石が作られました。同じ時代に、すぐ隣で、正反対の条件の岩石が並行して生まれていたわけです。

そして、プレートの運動方向が斜めにずれる「横ずれ」に変わったことで、これらの岩石が大きく水平移動しました。低温高圧の外帯の岩石が、高温低圧の内帯の岩石とぴたりと接するようにずれ動き、その境界が中央構造線になりました。本来なら地下の深さも生まれた場所も違う岩石どうしが、横ずれ運動によって地表で隣り合わせになってしまった——これが中央構造線の正体です。深さ何十kmも離れて生まれた岩石が今は肩を並べているのですから、地球の地殻はなかなか乱暴な引っ越しをするものです。

中央構造線ができるまでの3段階を示す図
中央構造線ができるまで。白亜紀の沈み込みで内帯(領家帯・花崗岩)と外帯(三波川帯・結晶片岩)が別々に生まれ、横ずれ運動で接した境界が中央構造線です。

中央構造線と山 — 西日本を南北で塗り分ける

中央構造線の北側を内帯、南側を外帯と呼びます。この区分は、西日本の山々の性格をそのまま決めています。

内帯(北側)は、領家帯の花崗岩が広く分布する地域です。花崗岩は風化すると白っぽく明るい山肌をつくります。外帯(南側)は、三波川帯の結晶片岩が分布します。結晶片岩は薄く板状に剥がれやすく、緑がかった独特の岩肌を見せます。南海トラフの記事で触れた四国山地は、まさにこの外帯(三波川帯や四万十帯)にあたります。

つまり、西日本の山に登るとき、中央構造線のどちら側にいるかで足元の岩石が変わります。紀伊半島でも四国でも、北へ行くか南へ行くかで「白い花崗岩の世界」と「緑の結晶片岩の世界」が切り替わる。普段は意識しませんが、地質図を片手に歩くと、その境目を踏み越えた瞬間が地図の上でわかります。山の色合いがどことなく違うな、と感じたら、中央構造線をまたいでいるのかもしれません。

中央構造線を境にした内帯と外帯の岩石の違いを示す断面図
[図解: 内帯(領家帯・花崗岩)と外帯(三波川帯・結晶片岩)を分ける中央構造線の断面]

中央構造線を「見る」場所

中央構造線は、その存在を地表で実感できる場所がいくつもあります。代表的なのが、長野県の大鹿村周辺です。

大鹿村は南アルプスの主峰・赤石岳のふもとに位置し、村のほぼ真下を中央構造線が通っています。ここには日本で唯一の中央構造線博物館があり、断層が地表に露出した「露頭」も複数公開されています。国の天然記念物に指定された北川露頭では、内帯の岩石と外帯の岩石が破砕されながら接している様子を直接見ることができます。2012年に新たに見つかった程野露頭では、幅8mほどの断層破砕帯が観察できます。

近くにある分杭峠(ぶんぐいとうげ)は、中央構造線の真上に位置し、「ゼロ磁場のパワースポット」として有名です。スピリチュアルな人気を集めている場所ですが、その正体は地質の大断層の上にある峠というのが地学的な見方です。神秘的な売り出され方をしている場所の足元に、1億年前の地殻変動の痕跡が走っている——というのは、なかなか味わい深い組み合わせだと思います。

もう一つ、中央構造線がよく現れるのが直線的な地形です。断層に沿って岩盤が砕かれているため、その帯は侵食されやすく、まっすぐな谷をつくります。諏訪湖から大鹿村にかけて、国道152号がほぼ中央構造線をなぞるように走っているのも偶然ではありません。地図を広げて、不自然なほどまっすぐな谷が南北に続いていたら、その下に大断層が隠れている可能性が高いです。

フォッサマグナと中央構造線はどう違うのか

最後に、混同されやすいフォッサマグナとの違いを整理しておきます。どちらも日本列島の大構造ですが、性質はまったく別物です。

フォッサマグナは「面」です。日本列島を南北に走る、幅100km以上の帯状の地質構造帯で、約2,000万年前以降に厚い地層が溜まった、比較的新しい立体的な構造です。これに対して中央構造線は「線」です。西日本を東西に横断する一本の断層で、約1億年前に生まれた、ずっと古い構造です。

この二つは、静岡県付近で交差します。南北のフォッサマグナと東西の中央構造線が、ちょうど十字に交わるのです。フォッサマグナの西縁である糸魚川-静岡構造線と中央構造線を同じものと勘違いしている説明をときどき見かけますが、走る方向も年代もまったく違う別の構造です。「新しい南北の溝」と「古い東西の線」、この二本を頭の中で分けておくと、日本列島の地質はぐっと整理して理解できます。

フォッサマグナと中央構造線が静岡で十字に交差する図
フォッサマグナ(面・南北)と中央構造線(線・東西)は、静岡県付近で十字に交差します。性質も年代もまったく異なる別の構造です。

日本列島の地下には、こうした大構造が何本も走り、互いに交差しながら現在の地形を形づくっています。日本の山がなぜここにあるのかを追いかけていくと、プレート運動という大きな力と、それが刻んだ中央構造線やフォッサマグナといった構造に、何度も行き当たります。西日本の山に登るとき、足元のどこかに1億年前の大断層が走っていると思うと、見慣れた稜線も少し違って見えてくるはずです。


プレート運動と山の成り立ちをテーマにした記事は「山の地質カテゴリ」にまとめています。フォッサマグナ南海トラフ日本の山とプレート運動の記事とあわせて読むと、日本列島の骨組みがどのように作られたのか、その全体像が見えてきます。

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