ヒマラヤの標高5,000m付近が日本の冬山より雪が少ないのは、冬のヒマラヤには水蒸気を供給してくれる海がなく、乾いた大陸の上を渡ってきた風しか吹かないからです。雪の材料は「寒さ」ではなく「水蒸気」で、その供給源の有無が、山の白さを決めています。
この記事のポイントは3つあります。①雪を降らせるのは寒さではなく水蒸気であること。②冬のヒマラヤは乾期で、雪の多くはむしろ夏に降ること。③日本の山は世界的に見て「異常に」雪が多く、その理由は日本海にあること。標高8,000m級の山脈より、標高2,000m足らずの日本の山のほうが雪深いという逆転現象を、実際に歩いた写真で確かめていきます。
標高4,400mの谷が、夏の上高地より乾いていた
5月の上旬、エベレストのおひざ元であるネパール・クンブ地方を歩きました。ゴーキョという標高4,750mの村を目指すルートです。出発前の想像では、4,000mを越えたあたりから雪の上を歩くことになるはずでした。日本の感覚では、5月の3,000m級ですら残雪でルートが埋まっているからです。

実際に歩いてみると、雪の上を歩いた時間はほぼゼロでした。標高4,400mの谷は乾いた土の色で、砂ぼこりが立つほどです。ゴーキョの湖のほとり、標高4,750mでも、湖面の一部が凍っている以外は茶色の斜面が広がっていました。富士山より1,000m高い場所が、夏の上高地より乾いています。あれだけ雪装備を悩んで持ってきたのに、一番活躍したのはサングラスと日焼け止めと乾燥防止のリップクリームでした。

なぜ冬のヒマラヤは乾いているのか?
答えを先に言うと、冬のヒマラヤに吹きつける風は、湿り気の補給源を持たないからです。
雪が降るには、冷たい空気だけでは足りません。空気の中に水蒸気、つまり雪の「材料」が入っている必要があります。そして空気が水蒸気を手に入れる最大の給水所は、暖かい海です。ヒマラヤの周辺の地図を思い浮かべると、北はチベット高原、さらにその先も広大なユーラシア大陸です。冬のヒマラヤに吹く風は、何千kmも乾いた大地の上を渡ってくるため、雪の材料をほとんど持っていません。寒さは十分すぎるほどあるのに、降らせるものがないわけです。

観測データもこれを裏付けています。クンブ地方の観測研究によると、標高4,260mのフェリチェで年間降水量は約460mm、標高5,035mの観測点でも約590mmです。東京の年間降水量が約1,600mmですから、その3分の1程度しかありません。しかもこの少ない降水の約4分の3は、6〜9月のモンスーン期(雨の季節)に集中します。つまりヒマラヤの雪は、冬ではなく主に夏に降るのです。インド洋から湿った風が吹き込む夏だけが、ヒマラヤにとっての「給水期間」です。
冬に雪をもたらすものが皆無というわけではなく、偏西風に乗って西から時々やってくる低気圧が、まとまった雪を置いていくことがあります。ただそれは「時々の来客」であって、日本の冬のように毎日届く宅配便ではありません。
同じ時期、日本の標高2,000mは雪の壁だった
比較のために、日本の山を見てみます。3月末の北アルプス、後立山連峰の遠見尾根です。標高2,000m前後の尾根ですが、稜線はまだ数mの雪に覆われ、山全体が白一色でした。ゴーキョより2,500m以上低い場所が、はるかに雪深いという逆転が起きています。

理由は先ほどの図解の上段です。日本の冬は、シベリアからの冷たい季節風が、暖流の流れる日本海の上を渡ってきます。冷たい空気が暖かい海の上を通ると、海面から大量の水蒸気が立ちのぼり、風はたっぷり材料を積み込んだ状態で山脈に衝突します。寒さと水蒸気の両方がそろう場所は、世界的に見ても実は珍しく、日本海側の山はその条件が毎冬、数か月間も続く特異な場所です。ヒマラヤが「寒いのに材料がない」、日本が「寒くて材料が無尽蔵」という対比になっています。
日本の山の隆起の背景はプレート運動にあります。詳しくは日本の山はなぜここにある?で整理していますが、雪の量を決めているのは山の高さよりも「風上に暖かい海があるか」という地理条件です。
では、あの白い8,000m峰の雪は何なのか?
写真を見返すと、手前の4,000〜5,000m帯は土色なのに、奥の高峰だけは真っ白です。あの白さの正体は、「たくさん降った雪」ではなく「絶対に溶けない雪」です。

標高6,000mを超えると、夏でも気温が氷点下のままの世界になります。夏のモンスーンが運んだ雪は溶けるチャンスがないまま毎年積み重なり、自分の重さで氷に変わり、氷河として谷をゆっくり流れ下ります。つまりあの白さは、今年の積雪ではなく、何百年・何千年分の「雪の貯金」です。降る量では日本の圧勝なのに、ためる力ではヒマラヤの圧勝という、少し不思議な勝負になっています。標高5,000m帯の氷河が岩くずをかぶって灰色に見える話は、ゴーキョ・リから見た氷河の世界に書きました。
ちなみに日本にも「溶けきらない雪」が氷河になった場所が9か所あります。規模は小さいものの、原理はヒマラヤと同じです(日本に氷河はいくつある?)。豪雪という日本の特技が、低い標高でも氷河を成立させています。
緯度で見ると、もう一段面白い
地図でクンブ地方の緯度を確認すると、北緯28度前後です。日本に当てはめると奄美大島とほぼ同じ緯度になります。つまりエベレスト街道は、緯度だけ見れば亜熱帯の島と同じ日差しの下にあります。5月のトレッキングで雪よりも日焼けに苦しんだのは、標高で気温が下がっても、太陽の強さは緯度なりに強烈だからです。
この緯度の低さは、雪が定着できる高さ=雪線を押し上げる方向に働きます。一年中雪が残れる標高は、クンブ地方ではおよそ5,500m以上です。一方、豪雪の日本では、立山周辺の氷河のように標高2,600〜3,000m程度でも万年雪が成立します。緯度が高く雪が多いほど、雪の生存ラインは低くなる。ヒマラヤと日本は、その両極端に近い組み合わせです。「雪の壁の下限」が3,000m近く違う2つの山域を同じ春に歩けたのは、地学の教科書の中を移動しているような体験でした。
登山者にとって何を意味するか
この気候の違いは、装備選びに直結します。春(プレモンスーン期)のクンブのトレッキングルートでは、5,000m級の峠を越えるコースでも雪装備が不要なことが珍しくありません。一方、同じ時期の日本の北アルプスはアイゼン・ピッケルのフル装備が必要です。「標高が高いほうが雪山」という思い込みは、ヒマラヤでは通用しませんでした。8,849mの山のふもとを、日本の春山より軽い足回りで歩けるというのは、行ってみて一番意外だったことです。
ヒマラヤがなぜそこまで高いのかは、インド大陸の衝突というプレートスケールの話になります。エベレストの山頂は海底だったで解説しています。
山の地質・気候の記事をほかにも書いています。



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