伯耆大山の地質:富士山型の成層火山はなぜ崩れ続けるのか

登山記録

中国地方の最高峰・伯耆大山(1,729m)には、かつて「伯耆富士」「出雲富士」という別名がありました。その名が示す通り、整った円錐形の成層火山だったわけです。現在の大山を北側から眺めると、高さ400m・幅2kmの垂直に近い絶壁「北壁」が広がっています。富士山とは似ても似つかない形で、名前だけが残っています。

この変貌には100万年分の理由があります。フィリピン海プレートの沈み込み、特殊なアダカイトマグマ、そして日本海が供給し続ける豪雪——三つの要因がそれぞれ別々に働くのではなく、段階的に一つの山を作り変えてきました。なお筆者が登ったのは年末の猛吹雪の日で、肝心の北壁はまったく見えませんでした。北壁の記事を書くのに北壁を見ていないというのは、今後の課題にしておきます。

伯耆大山 霧氷の樹林帯
年末の伯耆大山。日本海側の大量降雪が樹氷をつくり出す

フィリピン海プレートが生んだ「アダカイト火山」

伯耆大山は、フィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込む過程で生まれた火山です。通常の沈み込み帯では、プレート上部のマントル(岩盤の層)が溶けてマグマになります。大山の場合はそれとは少し様子が異なり、沈み込んだプレート自体が部分溶融する「アダカイト」と呼ばれるマグマが関わっています。

アダカイトが生まれるのは、若くてまだ熱い海洋プレートが沈み込む場合に限られます。プレートが十分に冷えていれば溶けずにそのまま沈んでいきますが、温度が高ければプレート本体が溶け始めます。料理で言えばフライパンではなく食材のほうが先に溶えている状態です。大山のデイサイト溶岩には海溝堆積物の成分が約25%含まれており、海底の堆積物ごとマグマに取り込まれた証拠とされています。

100万年の火山活動史

大山の火山活動は約100万年前に始まりました。古期大山と新期大山に分けられ、特に約35万年以降は20回にわたるプリニー式噴火(大規模な爆発的噴火)が記録されています。大山倉吉降下火砕物は日本列島全域に堆積するほどの規模で、当時この列島に生きていた動植物はどこにいても火山灰を避けようがなかった計算になります。

最後の噴火は約20,800年前の三鈷峰溶岩ドーム形成で、以降は確認できる噴火活動はありません。2万年沈黙していると終わった火山に分類したくなりますが、地質学的スケールで言えば昼寝の途中です。山体の総体積は約120立方キロメートル、東西35km・南北30kmに広がる日本最大級のデイサイト質成層火山です。

伯耆大山の変遷 富士山型からアルプス型へ
繰り返す噴火と豪雪による侵食で、伯耆大山は富士山型からアルプス型へ変化した

北壁崩壊:豪雪と火山体の脆さが生んだ絶壁

大山の北壁は、弥山から三鈷峰にかけて蹄鉄状に広がる高さ400m・幅約2kmの大絶壁です。かつて対称的だった円錐形が、ここだけ大きくえぐり取られた形になっています。

崩壊の三つの要因

崩壊の背景には、三つの要因が重なっています。まず山体そのものの脆さです。大山の岩体は角閃石安山岩を主体とする軟質な構造で、三鈷峰の溶岩ドーム内部には中央陥没構造まであり、山の安定性を根本から損なっています。次に日本海側の豪雪です。大山アメダス(標高約800m)でも年間積雪量が8mに達し、融雪による斜面の飽和と凍結融解による風化が休みなく山体を削り続けています。これに繰り返す爆発的噴火が加わり、磐梯山(1888年)やセントヘレンズ山(1980年)と同様の巨大山体崩壊が繰り返されてきました。北壁はその累積的な結果です。

伯耆大山麓 積雪した道路
年末の大山麓。日本海側特有の重い湿雪が道路を覆う

日本海の誕生と大山火山の関係

大山の存在は、さらに大きなスケールの地殻変動と結びついています。約2,500万年前、日本列島はユーラシア大陸の一部でした。その後リフティング(地殻の裂開)が始まり、北東日本は反時計回りに、南西日本は時計回りに回転しながら大陸から分離しました。約1,500万年前に日本海が誕生します。

日本海が生まれたことで、冬季に大量の水蒸気を供給する海洋が日本列島の西側に出現しました。大山はこの日本海拡大が落ち着いた後のプレート沈み込み安定期に活動を開始した火山で、その成り立ちから現在の姿まで、日本海の存在と切り離せません。大山を崩し続けている雪は、2,500万年前に大陸から分離したおかげで降っているわけです。大陸分離と山体崩壊が一本の因果の糸でつながっています。

伯耆大山 周辺地形図
伯耆大山周辺の地形図(出典:国土地理院)

年末の伯耆大山:豪雪が体感させる地質の力

12月末の伯耆大山は、日本海側気候の力を体で受ける場所でした。登山道は膝上まで積もった雪に覆われ、樹林帯では霧氷が枝という枝を白く染め上げています。横から叩きつける風で顔が痛く、この日撮った写真の8割は白い画面でした。何を撮ったのか、本人にもわかりません。

伯耆大山 雪の登山道
霧氷のトンネルをくぐるように進む。この大量の雪が山を削り続けている

山頂付近では標識さえ霧氷に埋もれていました。「これかな」と氷の塊を手で払ったところ、ただの岩でした。この大量の降雪と凍結融解が年間を通じて山体に染み込み続け、かつて「伯耆富士」と呼ばれた円錐形をアルプスのような断崖へと変えてきた原動力です。晴れていれば壮大な北壁が一望できるはずですが、この日は山頂で5m先が見えない状態でした。

伯耆大山 凍結した山頂標識
霧氷に覆われた山頂付近の標識。凍結融解の繰り返しが岩を砕く

富士山型からアルプス型へ:現在進行形の変化

伯耆大山は、フィリピン海プレートの沈み込みで生まれた火山が、100万年の噴火と日本海側の豪雪による侵食で姿を変え続けている山です。富士山型の円錐形からアルプス型の断崖絶壁へ——その変化は現在も進行中で、北壁は今も少しずつ崩れています。「完成した山」ではなく「崩れている途中の山」を登っているわけで、足元の礫の意味が少し変わって見えます。

同じプレートの力でも、活火山として今も噴気を上げる焼岳や、氷河地形を残す立山とは、また異なる地学の物語がここにあります。

山がどのようにして現在の形になったかを追った記事は、山の地質カテゴリからまとめて読めます。

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