中央構造線 アーカイブ - 地球を感じる山登り 山の成り立ちを地質学から読み解く登山ブログ Wed, 14 Oct 2026 23:59:03 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.3 https://chikyu-yama.online/wp-content/uploads/2026/04/favicon_tozan-150x150.png 中央構造線 アーカイブ - 地球を感じる山登り 32 32 塩見岳の地質:山頂は深海の底だった——赤い天狗岩と、麓に湧く塩水の正体 https://chikyu-yama.online/shiomidake-geology/ https://chikyu-yama.online/shiomidake-geology/#respond Sat, 22 Aug 2026 15:12:12 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=2023 塩見岳(3,052m)の山頂に立つ岩は、南の海の海底火山が噴き出した溶岩です。山頂直下の天狗岩が赤いのは、深海に降り積もったプランクトンの殻が固まったから。海の岩がなぜ3,000mにあるのか、麓に塩水が湧く理由まで、実際に登って撮った写真とともに解説します。

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塩見岳は、南の海の底でできた岩が、プレートに運ばれて日本列島に貼り付き、標高3,052mまで押し上げられてできた山です。山頂に立っている岩は海底火山が噴き出した溶岩で、その手前にそびえる天狗岩は、深海に降り積もったプランクトンの殻が固まったものです。

南アルプスの真ん中にある3,000m峰で、登山口から山頂まで往復すると長い一日になります。そこまで歩いてたどり着いた山頂が、もとは海の底だったという話です。標高差1,200mを登った先にあるのが深海の記録というのは、労力の使い方としてやや複雑な気持ちになります。

この山を地学的に読むポイントは3つです。①山頂の岩が海底火山の溶岩であること、②天狗岩の赤色が深海の堆積物の色であること、③麓に湧く塩水が、沈み込むプレートから絞り出された水だということ。山頂から麓まで、この山は上も下も海でできています。

ハイマツ帯から見上げた塩見岳の双耳峰
塩見小屋の手前から見上げた塩見岳。左が西峰(3,047m)、右が東峰(3,052m)の双耳峰です。手前はハイマツ帯で、この高さから上に背の高い木はありません

山頂に立つ岩は、海底火山の溶岩だった

塩見岳の山頂付近をつくっているのは緑色岩と呼ばれる岩です。もとは玄武岩の溶岩で、それが長い時間のなかで変質して緑がかった色になったものを指します。静岡市の資料によれば、塩見岳の緑色岩は大部分が塊状で、まれに不明瞭な枕状構造を持つとされています。

この「枕状」が重要です。溶岩が水中で噴き出すと、表面が海水で急に冷やされて殻をつくり、その内側にまだ熱い溶岩が入り込んで、丸い枕を積み重ねたような形に固まります。陸上で流れた溶岩ではこの形になりません。つまり枕状構造は、その岩が水の中で噴出したことを示す直接の証拠です。

山頂で足元の岩を見ると、たしかに黒でも白でもない、灰色から緑がかった色をしています。これが海底火山の名残だと知って改めて見ると、印象がかなり変わります。3,052mの一番高いところに、かつて海の底で煮えていた溶岩が転がっているわけです。

塩見岳東峰から西峰と雲海を望む
東峰から西峰を見たところ。手前に写っている灰緑色の岩が、海底火山の溶岩だった緑色岩です。雲海の高さは標高2,500mあたりでした

天狗岩はなぜ赤いのか?

山頂の直前に、天狗岩という岩場を越えます。ここが記事を書きたくなった理由です。この岩は赤いのですが、その赤はプランクトンの色です。

天狗岩は赤色チャートから赤色頁岩でできています(静岡市の資料)。チャートは、放散虫という小さなプランクトンの死骸が深い海の底に降り積もり、固まってできた岩です。放散虫の殻は二酸化ケイ素、つまりガラスと同じ成分でできています。陸から流れてくる砂や泥が届かないほど深い海の底では、この殻だけが延々と降り積もります。

降り積もる速さは、条件によりますが1,000年で数mmという桁です。天狗岩の岩壁の厚みを数十mとすれば、それだけで数百万年から一千万年ぶんの時間が積み上がっている計算になります。急な岩場を息を切らして登りながら、実際には数百万年ぶんの海底を垂直に横切っていることになります。

天狗岩付近の赤紫色のチャートと緑色岩の露頭
天狗岩付近(標高約2,930m)の登山道。赤紫色の岩が深海に積もったチャートで、右下や左下に見える緑がかった岩が海底火山の溶岩です。まったく成り立ちの違う2つの岩が隣り合っています

赤い色は、チャートに含まれる鉄分が酸化したものです。深い海の底で、酸素のある環境でゆっくり堆積すると、鉄が酸化して赤くなります。土に埋めた鉄が錆びるのと原理としては同じで、それが数百万年かけて岩の色になったものだと考えると、スケールの差だけが極端です。

写真をよく見ると、赤紫の岩に細かい縞が入っています。この1本1本が深海に積もった層で、しかも水平ではなく斜めに立っています。海底で水平に積もったものが、後から傾けられたということです。誰が傾けたのかという話が、次の章になります。

なぜ海の底の岩が3,052mにあるのか?

答えは、岩が動いたのではなく、岩を載せた海底そのものが移動してきたからです。

海洋プレートは、海嶺で生まれて年に数cmの速さで移動します。その表面には海底火山の溶岩があり、その上に深海の堆積物が積もっていきます。塩見岳の緑色岩とチャートは、この状態で長い時間をかけて日本列島の方へ運ばれてきました。

そして海溝までたどり着くと、海洋プレートは大陸プレートの下へ沈み込みます。このとき、プレートの上に載っていた軽い岩は一緒に沈み込めず、大陸側の縁に削り取られて貼り付きます。この貼り付いた岩の集まりが付加体です。日本列島の骨格はこの付加体でできており、南アルプスもその一部です。

塩見岳の岩ができるまでの4段階を示した図解
塩見岳の岩がたどった道。南の海で生まれ、プレートに乗って運ばれ、沈み込むときにはぎ取られて、いまは標高3,052mにあります

天狗岩の層が斜めに立っているのは、この貼り付けの現場で押しつぶされ、傾けられたためです。海底で静かに水平に積もった層が、いまは山の斜面で立ち上がっています。その変形の跡を、登山道の途中で手で触れる距離から見られます。

そのあと、この一帯は隆起を続けました。南アルプスは年に3〜4mmという速さで今も上がっており、日本の山のなかでも最速級です。年3mmは1万年で30m、100万年で3,000mになります。数字の上では、いまの標高は100万年ぶんの隆起でつくれてしまう計算です。もっとも同時に侵食も進むので、そのまま積み上がるわけではありません。日本列島の山がどのようにできたかという全体像は、日本の山はなぜここにある?にまとめています。

「赤石山脈」という名前も、この赤い岩に由来する

南アルプスの正式な名前は赤石山脈です。この「赤石」は、大井川上流の赤石沢に赤色チャートの岩盤が露出していることに由来し、その源頭にある赤石岳の名になり、さらに山脈全体の名前になったとされています。

つまり山脈の名前そのものが、深海のプランクトンの色を指しています。天狗岩の赤も同じ理由の赤で、塩見岳は赤石山脈の名の由来を、山頂直下でそのまま見せてくれる山ということになります。名前の由来が地質だという山脈は、それほど多くありません。

ちなみに同じ南アルプスでも、北部の甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳は白い花崗岩の山です。あちらは地下深くでマグマがゆっくり固まってできた岩で、成り立ちがまるで違います(甲斐駒ケ岳の地質)。同じ山脈を名乗っていながら、北と南で岩の履歴が違うというのは、南アルプスの分かりにくさであり面白さでもあります。

甲斐駒ヶ岳の白い花崗岩の岩峰
南アルプス北部・甲斐駒ヶ岳の白い岩峰。こちらは地下深くでマグマが固まった花崗岩です。同じ山脈でも、塩見岳の赤紫や緑とは色も成り立ちもまったく違います

麓に湧く塩水——地下35kmから来たもうひとつの海

塩見岳という名前の由来には、山頂から駿河湾(潮)が見えるからという説のほかに、山麓に塩の産地があったからという説があります。この「山の中の塩」が、地学的にはかなり面白い話です。

登山口のある長野県大鹿村には鹿塩温泉があり、標高約750mの山の中でありながら、湧いている水の塩分濃度は海水と同じおよそ4%あります。明治時代にはここに製塩施設が置かれ、各地に塩が出荷されていました。海から100km近く離れた3,000m級の山の懐で、海水と同じ濃さの水が湧いているわけです。

この水の正体について、大鹿村中央構造線博物館の解説によれば、1970年代からの同位体分析で「昔の海水が閉じ込められたもの(化石海水)ではなく、マグマに含まれる水と同じ性質の水」であることが分かっています。有力なのは、日本列島の下に沈み込んでいるフィリピン海プレートが持ち込んだ水が、地下約35kmの深さから放出され、中央構造線などの割れ目を通って上がってきているという説です。

沈み込むプレートは水を含んでおり、深くなるほど圧力と温度で水が絞り出されます。この水がマグマをつくる仕組みはマグマは海の水から生まれるで扱いましたが、鹿塩温泉の塩水はその「絞り出された水」が地表まで届いた例ということになります。通り道になっているのが日本最大級の断層である中央構造線で、大鹿村はその真上にあります(中央構造線とは何か)。

整理すると、塩見岳は山頂の岩が海底火山と深海の堆積物、麓に湧く水が沈み込んだプレートから絞り出された水、ということになります。上も下も海に由来していて、山の名前にもその「塩」が残っています。狙って名付けたわけではないはずですが、結果としてよくできています。

登って確かめる——ルートと地学のポイント

塩見岳周辺の地形図と主要地点
塩見岳周辺の地形図。赤い点は実際に歩いた地点です(出典:国土地理院)

長野県側の鳥倉ルートから入りました。登山道はまず樹林帯を延々と登り、標高2,580mの三伏峠に出ます。ここは日本一標高の高い峠とされている場所で、峠と聞いて想像する高さではありません。峠に着いた時点で、多くの山の山頂より高いところにいます。

標高2,500m付近のシラビソとダケカンバの樹林帯
標高2,500m付近の樹林帯。この山域では2,600m前後で木がなくなり、ハイマツ帯に変わります

峠から先は本谷山を越えて長い稜線歩きになります。標高2,600mあたりで樹林が終わってハイマツ帯に入り、そこから塩見岳の姿がようやく正面に見えます。塩見小屋(2,760m)の周辺には白色チャートがよく露出していて、天狗岩の赤色チャートと見比べられます。どちらも深海の堆積物ですが、鉄分の量と堆積した環境の違いで色が変わります。

塩見小屋からいったん下って、天狗岩の急な岩場に取り付きます。ここが赤色チャートの核心部で、手をかける岩がことごとく赤紫色です。落石を起こしやすい場所でもあるので、地質を眺めるのは足場を決めてからにしたほうがいい区間でもあります。

天狗岩を越えると西峰、そして最高点の東峰に着きます。この日は山頂に着いたときガスの中で、標識と足元の岩以外は何も見えませんでした。あきらめて休んでいたら6分ほどで雲が切れ、西峰の向こうに雲海が広がりました。長い樹林帯を登ってきた結論がこれなら悪くない、と思える程度には報われた形です。

ガスに包まれた塩見岳東峰の山頂標識
東峰の山頂標識。到着時はこの通りで、足元の岩以外は白一色でした。この岩が海底火山の溶岩です

登る順に見ていくと、樹林帯 → 白色チャート(塩見小屋)→ 赤色チャート(天狗岩)→ 緑色岩(山頂)と、深海の記録を下から順にたどる構成になっています。地質を意識して歩くと、単調に見える長いルートの後半が急に読み物になります。

塩見岳の地質のよくある質問

塩見岳の山頂はどんな岩でできていますか?

緑色岩です。もとは玄武岩の溶岩で、海底火山が噴き出したものが変質して緑がかった色になっています。まれに枕状構造が見られ、これは溶岩が水中で固まった証拠とされています。

天狗岩が赤いのはなぜですか?

赤色チャートと赤色頁岩でできているためです。チャートは放散虫という小さなプランクトンの殻が深海に積もって固まった岩で、含まれる鉄分が酸化することで赤くなります。

「赤石山脈」の名前の由来は何ですか?

大井川上流の赤石沢に赤色チャートの岩盤が露出していることに由来します。その源頭の赤石岳の名になり、明治以降に山脈全体の呼び名として使われるようになったとされています。

大鹿村の鹿塩温泉はなぜ塩水なのですか?

同位体分析から、昔の海水が閉じ込められたものではなく、マグマに含まれる水と同じ性質の水であることが分かっています。沈み込むフィリピン海プレートが持ち込んだ水が地下約35kmから放出され、中央構造線などの割れ目を通って上がってきているという説が有力です(大鹿村中央構造線博物館)。

まとめ——上も下も海でできた山

塩見岳の山頂に立つ岩は、南の海で噴き出した海底火山の溶岩です。その手前の天狗岩は、深海に降り積もったプランクトンの殻が固まった赤色チャートです。どちらも海洋プレートに載って日本列島まで運ばれ、沈み込むときに大陸の縁へはぎ取られて貼り付き、年3〜4mmの隆起で3,052mまで持ち上げられました。

そして麓に湧く塩水は、いま沈み込んでいるプレートが地下35kmで絞り出した水です。山頂の岩は終わった沈み込みの記録で、麓の塩水は進行中の沈み込みの証拠ということになります。同じ山で、過去と現在のプレート運動を両方見られます。

長い樹林帯を黙々と登る山という印象が強い塩見岳ですが、最後の天狗岩から山頂までの区間だけは、足元の岩の色が変わる理由を知っているかどうかで見え方が変わります。赤い岩に手をかけたら、それが数百万年ぶんの深海だと思い出してもらえればと思います。

参考資料


山の成り立ちをもっと読む

「山の地質」カテゴリでは、山がなぜその形をしているのかを、プレート運動・火山・氷河・大規模な地殻変動というスケールの大きな地学で読み解いています。南アルプスの山々は、北の花崗岩と南の付加体で成り立ちがはっきり分かれており、読み比べると面白い山域です。

→ 山の地質カテゴリの記事一覧を読む

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活断層とは何か——日本に2,000以上ある理由と、地図に浮かぶ「動く場所」の法則 https://chikyu-yama.online/katsudanso-basics/ https://chikyu-yama.online/katsudanso-basics/#respond Thu, 30 Jul 2026 11:54:11 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1992 活断層は、これまで何度もずれ動き、これからも動くと考えられている地下の割れ目です。日本に2,000以上ある理由、分布に現れる偏り、そして山を歩くと見えてくる断層の痕跡を、地形の写真と図解で解説します。

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活断層は、これまでに何度もずれ動き、これからもずれ動くと考えられている地下の割れ目です。地震のニュースでは必ずと言っていいほど名前が出てきますが、そもそも普通の断層と何が違うのか、なぜ日本にこれほど多いのかは、あまり説明されません。

活断層を理解するポイントは3つあります。ひとつは、日本に2,000以上もある理由が、列島を押しているプレートの動きにあること。ふたつめは、その分布が日本中に均等ではなく、はっきりと偏っていること。そして3つめは、活断層が地下に隠れているだけでなく、地表の地形として見える形で残っているということです。3つめは登山とも関係があります。私たちが歩いている谷や峠の一部は、断層がつくったものです。

活断層とは何か——くり返しずれてきた傷跡

地下の岩盤に割れ目ができ、その両側がずれたものを断層と呼びます。断層そのものは日本中の地下にあり、数え切れません。何億年も前に一度ずれたきり、その後まったく動いていないものも大量にあります。

このうち、地質学的に見て最近の時代にくり返し動いてきて、これからも動くと考えられるものが活断層です。地震調査研究推進本部(地震本部)は活断層を「最近の地質時代にくり返し活動し、将来も活動することが推定される断層」と定義しています。この「最近」がどれくらいかについては、約200万年前以降とする立場と、数十万年前以降とする立場があり、研究者によって幅があります。いずれにしても、人間の感覚からすると気が遠くなる長さです。

ここで大事なのは、なぜ同じ場所がくり返し動くのかという点です。理由は単純で、一度割れた面は周りより弱いからです。板を一度折ってから接着しても、次に力を加えたとき折れるのはたいてい同じ場所です。地下でも同じことが起きています。だから活断層は、過去に動いた記録がそのまま将来の予測材料になります。

ただし、そのくり返しの間隔は数千年から数万年に一度です。前回の地震から千年経っていても、地質の時間感覚ではまだ「さっき動いたばかり」の範囲に入ります。

断層とは何か——正断層・逆断層・横ずれ断層の分類

断層は、地下の岩盤に力が加わって岩石が破壊され、その割れ目を境に両側がずれた不連続面を指します。このずれ方の向きによって呼び方が変わり、代表的なものが正断層・逆断層・横ずれ断層の3種類です。

正断層は、地殻が両側から引っ張られる引張応力場でできる断層で、上側の岩盤(上盤)が下側の岩盤(下盤)に対して滑り落ちる形でずれます。逆断層はその逆で、横から圧縮される圧縮応力場でできる断層で、上盤が下盤の上にせり上がるようにずれます。

横ずれ断層は、斜め方向からの圧縮によって生じ、断層面を境に地盤が水平方向にすれ違うように動きます。ここまで見てきた活断層も、いずれかの分類に当てはまる動き方をしており、段差の向きやずれの方向から、どのタイプの断層かをある程度読み取ることができます。

なぜ日本には2,000以上もあるのか?

日本列島が、4枚のプレートに押し合われる場所にあるからです。

東からは太平洋プレートが、南からはフィリピン海プレートが、それぞれ日本列島の下へ沈み込んでいます。沈み込む板は列島を押し続けるので、陸地の岩盤には常に力がかかります。押され続けた岩盤はどこかで耐えきれなくなり、弱い面に沿ってずれます。これが内陸で起きる地震です。地震本部によれば、日本の陸域とその周辺の海域には2,000を超える活断層があるとされています。

2,000すべてを同じ精度で調べるのは現実的ではないので、地震本部は規模が大きく社会への影響も大きいものを選び、重点的に調査しています。これが主要活断層帯で、当初98だったものが見直され、現在は114の断層帯が対象になっています。ニュースで名前を聞く断層帯の多くはこの114に含まれます。

山を登る人にとっては、この「押され続けている」という状態こそが山の存在理由でもあります。押されて盛り上がった結果が山脈であり、押されて耐えきれずずれた結果が地震です。同じ力の、出力先が違うだけの話です。

関連記事:日本の山はなぜここにある? — プレート運動と山の成り立ち

地図に浮かぶ「動く場所」の法則

活断層は日本中に均等に散らばっているわけではありません。分布にははっきりとした偏りがあり、そこには理由があります。

密度がもっとも高いのは、中部地方から近畿地方北部にかけての一帯です。この地域は山地と盆地が交互に並び、その境目に沿って断層が発達しています。琵琶湖や京都盆地、奈良盆地といった平地が山に囲まれて点在するあの地形は、断層運動がつくったものです。

西日本では、中央構造線という日本最大級の断層に沿って帯状に並びます。四国から紀伊半島、そして長野県まで、1,000km以上にわたって列島を東西に貫く線です。

九州中部はやや事情が違います。ここは押されているというより、南北に引っ張られています。別府から阿蘇を経て島原へ、東西に細長い低地が並ぶのはそのためで、この引っ張りの力が地面を裂き、断層をつくっています。2026年7月28日に発生した令和8年熊本地震で動いたとみられる日奈久断層帯も、この動きの中にあります。

逆に、北海道北部などは活断層の密度が低い地域として知られています。密度が低いことと地震が起きないことは同じではありませんが、少なくとも「日本ならどこでも同じように活断層がある」わけではないことは、地図を見れば分かります。

関連記事:中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体/日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった

活断層の地震は、南海トラフの地震と何が違うのか?

大きな違いは、震源の深さとくり返しの間隔です。

活断層の地震と海溝型地震の違いを示す断面図
活断層の地震と海溝型地震の違い。震源の深さとくり返しの間隔が大きく異なる(イメージ図解)

活断層による地震は、地下5〜20kmという浅い場所で起こります。震源が浅いぶん、真上の地表が強く揺れます。規模を示すマグニチュードが同じでも、深い地震より被害が大きくなりやすいのはこのためです。地震の規模としては海溝型より小さくても、震源の真上にある町では激しい揺れになります。

一方、南海トラフのような海溝型地震は、海のプレートと陸のプレートの境界がずれるものです。震源域が広く、揺れは長く続き、津波を伴います。くり返しの間隔は100〜200年程度と短く、歴史の記録に何度も登場します。

この「間隔の差」が、活断層のやっかいなところです。海溝型は数百年に一度なので、前回からの経過年数がある程度の目安になります。しかし活断層は数千年から数万年に一度です。人間が文字を持ってからの歴史がせいぜい数千年であることを考えると、大半の活断層は「文字が生まれる前に最後に動いたきり」ということになります。記録が残っていないので、地面を掘って過去のずれを直接調べるしかありません。

関連記事:南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由

活断層は山でどう見えるのか?

地形として見えます。活断層は地下に隠れた存在のように語られがちですが、実際には地表に痕跡を残していて、慣れると地形図の上でも現地でも判別できます。

活断層が地表につくる地形の模式図
活断層が地表につくる4つの地形。谷の直線性と川の屈曲がとくに分かりやすい(イメージ図解)

分かりやすいのは、谷が不自然に一直線に伸びている場所です。断層の面は周囲の岩より砕けていて弱いため、水に削られやすくなります。その結果、断層に沿って細長い谷ができます。次の地形図は、長野県の分杭峠から大鹿村へ南北に伸びる谷です。

分杭峠から大鹿村へ一直線に伸びる中央構造線沿いの谷の地形図
分杭峠から大鹿村へ、定規で引いたように一直線に伸びる谷。中央構造線に沿う地形(出典:国土地理院)

山が複雑に入り組んでいるなかで、ここだけが直線です。国道152号もこの谷をたどっています。これが中央構造線に沿う谷で、大鹿村にはこの断層を直接観察できる露頭があり、国の天然記念物になっています。

私はこの谷を、東側の稜線から見たことがあります。南アルプスの三伏峠は標高約2,580mで、日本一高い峠とされています。ここから西へ下ると、その先が大鹿村です。

南アルプス三伏峠の標識
三伏峠。ここから西へ下る谷の先が、中央構造線沿いの大鹿村

登っているときは、ただ長い登りだとしか思っていませんでした。地図を見て、自分が越えてきた尾根と下っていく谷が別々の岩でできていて、その境目が日本を東西に分ける大断層だと知ったのは、帰宅してからです。峠で撮った写真には標識しか写っていません。

もうひとつ分かりやすいのが、断層に沿ってできた細長い湖です。長野県大町市の木崎湖・中綱湖・青木湖は、糸魚川静岡構造線という別の大断層に沿って一列に並んでいます。地図で見ると3つの湖が縦に整列していて、自然にできた配置とは思えない規則正しさです。

糸魚川静岡構造線に沿う木崎湖
木崎湖。糸魚川静岡構造線に沿って、3つの湖が南北一列に並ぶ

このほか、山から平野へ張り出した尾根の先が、切りそろえたように三角形の崖になっている場所や、尾根の稜線が断層のところだけ低くくぼんでいる場所も、断層の痕跡です。登山道の峠が妙に低く整っているとき、そこが断層である可能性はそれなりにあります。峠が歩きやすいのは地面が砕けているからで、ありがたいような、そうでもないような話です。

関連記事:糸魚川静岡構造線とは何か——日本を東西に分ける大断層、フォッサマグナの西縁を歩く

活断層の地図に線がない場所も、安全とは限らない

安全とは言えません。活断層の地図に線が引かれていない場所でも、大きな地震は起きています。

2000年の鳥取県西部地震はマグニチュード7.3でしたが、事前に活断層として知られていた場所ではありませんでした。2008年の岩手・宮城内陸地震も、地表にはっきりした断層のずれが現れにくいタイプでした。地下で断層が動いても、その上を軟らかい堆積物が厚く覆っていると、地表の地形には痕跡が残りません。地形から探す方法には、原理的にこの限界があります。

産総研の活断層データベースの説明では、単独で大地震を起こすような規模の陸上の活断層は、おおむねすべて発見されているとされています。その一方で、沿岸部や火山地域、そして活動度の低いものや短いものについては、まだ確認できていないものが存在する可能性があるとも書かれています。海の底も同じで、陸地のように歩いて調べるわけにはいきません。

つまり活断層の地図は、「危険な場所の一覧」ではなく「これまでに見つけられた場所の一覧」です。線が引かれている場所は確かに警戒が必要ですが、線がないことは安全の証明にはなりません。

活断層を地形として読む

活断層は、日本列島が4枚のプレートに押され、引っ張られ続けていることの帰結です。列島が押されて盛り上がった結果が山であり、耐えきれずにずれた結果が内陸の地震です。山を登る行為と地震のニュースは、地下では同じ力につながっています。

そして活断層は、地下に隠れているだけの存在ではありません。一直線の谷、整列した湖、不自然に低い峠として、地表に出ています。登山地図を眺めるとき、「この谷はなぜまっすぐなのか」と一度考えてみると、地形の見え方が変わります。何万年もかけて動いてきた線の上を、私たちは歩いています。

山の成り立ちをプレートの動きから読む記事は、こちらにまとめています。「山の地質」カテゴリの記事一覧

参考にした資料

地震調査研究推進本部「活断層」「主要活断層帯」/産業技術総合研究所 活断層データベース/国土地理院 地理院タイル(地形図)/気象庁 地震情報。地形図は地理院タイルをもとに作成し、地点の座標は国土地理院の地名検索によるものです。

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リニアが越える日本の3大地質構造——フォッサマグナ・糸静線・中央構造線 https://chikyu-yama.online/linear-three-tectonic-lines/ https://chikyu-yama.online/linear-three-tectonic-lines/#respond Fri, 24 Jul 2026 12:45:50 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1848 リニア品川〜名古屋間286kmは、フォッサマグナ・糸静線・中央構造線という日本列島の3大地質構造を横断します。難工事の理由は地学で読み解けます。

投稿 リニアが越える日本の3大地質構造——フォッサマグナ・糸静線・中央構造線 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

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リニア中央新幹線(品川〜名古屋間286km)は、フォッサマグナ・糸魚川-静岡構造線・中央構造線という、日本列島を形づくる3つの大地質構造を横断して走ります。時速500kmの乗り物が同時に、数千万〜数億年分の地球の「継ぎ目」を越えていく——この一点だけで、これは交通インフラのニュースであると同時に、地学的に相当興味深い話になっています。

この記事の地学的な読みどころは3つです。①山梨実験線(42.8km、うち82%がトンネル)はすでにフォッサマグナ地域を通り、走行試験が行われています。②糸魚川-静岡構造線を越える山梨県早川町付近には、断層の露頭が国の天然記念物として残っています。③中央構造線の断層破砕帯(長野県大鹿村)では、わずか180mの通過に調査掘削を含めて約1年半を要しました。

品川から名古屋へ——リニアが横断する3つの地質構造とは何か?

日本列島の下では複数のプレートが長い時間をかけて押し合い、その圧力と変形の痕跡が地表に「構造線」という形で残っています。構造線とは、性質の異なる地盤どうしの境界線です。日本にはいくつもありますが、リニアが横断するのは特に規模の大きい3本です。

フォッサマグナは本州の中央部を南北に走る大きな「割れ目」で、東北日本と西南日本の地質の性格を分ける境界地帯です。詳しくはフォッサマグナとは何かで解説していますが、ここを境に両側の地質がまるで別の大陸のように変わります。

糸魚川-静岡構造線(以下「糸静線」)はフォッサマグナの西縁を画する断層線で、糸魚川から諏訪を経て静岡まで約250kmを伸びます。地震本部が活断層として評価している断層帯で、詳しくは糸魚川静岡構造線とは何かをご覧ください。

中央構造線は九州から関東へ延びる日本最大級の断層で、西南日本を「内帯」と「外帯」に分ける境界線です。詳しくは中央構造線とは何かで解説しています。なお、糸静線と中央構造線は諏訪湖付近で交差しますが、まったく別々の断層です(大鹿村中央構造線博物館)。名前が似ているせいで同じものだと思われることがありますが、成り立ちも動きの方向も異なります。

リニアルートと3大構造(フォッサマグナ・糸静線・中央構造線)の位置図
リニアルートと3つの大構造の位置関係(出典:国土地理院の地理院タイルを加工。構造線・ルートは概略)

フォッサマグナ——山梨実験線はすでに走り抜けている

山梨実験線は笛吹市から上野原市までの42.8kmで、フォッサマグナ地域内の御坂山地などを通りながら走行試験が実施されています。山梨県立リニア見学センターによれば、この実験線は営業線への転用が予定されており、フォッサマグナ区間の技術的な難関はすでに通過済みです。

42.8kmのうち82%がトンネルというのは、地上に出る区間のほうが例外だという意味です。御坂山地の地下をリニアが走り抜けていても、地上からは何も起きていないように見えます。山梨県立リニア見学センターで実際の走行を確認できますが、見えるのはトンネルの出口付近からわずかに顔を出す車両だけです。地球の内部を貫く工事の大半は、地上からはまったく見えない場所で完結しています。

リニアをめぐる議論が各所で続いているあいだに、フォッサマグナ区間は実験線として技術的に先に越えていました。少なくともここは、結論が出ています。

糸静線越え——早川町に残る天然記念物の断層露頭

リニアは山梨県早川町付近で糸静線を横断します。早川町新倉には糸静線の断層露頭があり、国の天然記念物に指定されています(早川町観光協会・文化庁)。露頭では、西側の古い地層(黒色の粘板岩を含む瀬戸川層群)が、東側の新しい地層(凝灰岩類)の上に乗り上げた形で接しています。地層の新旧が入れ替わった状態で積み重なっており、プレートの圧縮力がいかに強いかを岩石がそのまま記録しています。

地震本部の評価によれば、糸静線断層帯はM8クラスの地震が懸念される活断層帯です。リニアのトンネルがこの断層帯の地下を横断する設計は、工学上の十分な検討を要します。ただし現実問題として、品川と名古屋を最短で結ぶルートで糸静線を完全に避ける方法は物理的に存在しないため、どこかで横断するほかありません。地質の制約と路線設計の折り合いをつけた結果が、早川町付近の横断ルートです。

糸静線と中央構造線が交差する諏訪付近は、地質地図上でも特異な場所です。2本の大断層の交差地帯を、リニアは大きく迂回することなく通過しています。

中央構造線の通過に、なぜ1年半かかったのか?

リニアは長野県大鹿村の伊那山地トンネル青木川工区(延長3.6km)で中央構造線を横断します。2025年12月下旬に貫通が確認されましたが(信濃毎日新聞)、構造線一帯の断層区間約180mの通過に、調査掘削を含めておよそ1年半を要しました。

180mは、平地なら徒歩で2分かかりません。それに1年半かかった理由が「断層破砕帯」です。断層破砕帯とは、断層の動きによって岩石が細かく砕かれた帯のことで、トンネル工事における最大の難所になります。砕けた岩は崩れやすく、高圧の地下水を含んでいることが多いです。掘り進むそばから壁が崩れ、地下水が噴き出す状況で、安定した岩盤がどこから始まるかも事前には正確にわかりません。

断層破砕帯をトンネルが横断する模式断面図
断層破砕帯の掘削イメージ。もろい岩と高圧の地下水がトンネル工事最大の難所になる(イメージ図解)

トンネル全長3.6kmの5%に満たない区間が、工期の大半を占めた計算です。大鹿村付近では中央構造線が伊那山地と赤石山脈の境界をなし、さらに東側には複数の地質境界(戸台構造線・仏像構造線など)が並走しています(大鹿村中央構造線博物館)。南アルプスの地盤がこれほど複雑な理由は、断層が重なって密集しているためで、その密集地帯をくぐり抜けるには相応の時間がかかります。

三伏峠から見える、中央構造線の谷

地質の話は地図の上だけでなく、実際に歩いて体感できる場所があります。南アルプスの三伏峠(標高約2,580m)は日本一高い峠とされ、鳥倉登山口から稜線へ上がる最初の通過点です。峠に立つと西側に深い谷が伸び、その先が大鹿村方面になっています。

この谷が、中央構造線に沿ってできた谷です。リニアが苦労して通り抜けようとしている断層帯と、同じ地質の軸線上にある地形が峠から目視できます。峠から西側を眺めると、谷の深さと切れ込みの急さが、断層の存在感をそのまま地形に写した感じで見えます。

三伏峠の標識と原生林
三伏峠(標高約2,580m・日本一高い峠とされる)。西側の谷は中央構造線に沿う大鹿村へ下る

鳥倉登山口から三伏峠への標高差は約1,200mで、樹林帯の登りが長く続きます。稜線に出るまでのあいだ足元の岩の変化を観察しようとするのですが、実際には息が上がっていてそれどころではありません。峠に着いたときの解放感と、そこから初めて見渡せる西の谷の深さのほうが、記憶にははっきり残っています。「ここが地質の境界の縁なのか」と理解できるのは、だいたい帰宅してからです。

40分で越える、数億年分の地質年表

リニアが全線開業すると、品川〜名古屋を約40分で結びます。その40分のあいだに列車は、フォッサマグナ(ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界地帯)を通り、糸静線(約250kmの活断層帯)を横断し、中央構造線(日本最大級の断層)を越えます。乗客にとってはシートに座っているだけの40分ですが、地学的には日本列島の主要な地質境界をすべて通り抜ける旅になっています。

南アルプスの稜線と遠くに富士山
南アルプス南部の稜線から富士山を望む。7月中旬の朝

フォッサマグナは数百万年前、糸静線は数百万〜数千万年前、中央構造線は1億年以上前から動いてきた構造です。それぞれ形成の時代も地盤の性質も異なる地帯を、1本のトンネルが横断していきます。2026年7月に静岡工区の着工が容認され、南アルプストンネルの全工区が本格的に動き出しました。これで3つの地質構造をすべて横断するルートの工事が揃いました。

180mに1年半かかったという数字を「遅延」と読むか「断層への正直な対応」と読むかは立場によって変わりますが、どちらも事実の範囲内です。難工事の報道は、地球が積み重ねてきた時間の長さに、工事が正面から向き合っている証拠でもあります。

参考資料

日本列島の地質をもっと読む

フォッサマグナ・糸静線・中央構造線それぞれの詳しい成り立ちと地学的な意味は、以下の記事で解説しています。

山の成り立ちをプレート運動から読み解く記事は、山の地質カテゴリにまとめています。

投稿 リニアが越える日本の3大地質構造——フォッサマグナ・糸静線・中央構造線 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

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中央構造線とは何か——一部区間はM8級地震を起こしうる活断層でもある https://chikyu-yama.online/median-tectonic-line-geology/ https://chikyu-yama.online/median-tectonic-line-geology/#respond Tue, 30 Jun 2026 08:54:15 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1459 関東から九州まで1,000kmにわたって日本列島を貫く大断層「中央構造線」。フォッサマグナと並ぶこの巨大構造が、どのようにして生まれ、なぜ西日本の山々を南北で別の岩石に塗り分けているのかを、地球規模のスケールで読み解きます。

投稿 中央構造線とは何か——一部区間はM8級地震を起こしうる活断層でもある は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

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山の地質を調べていると、フォッサマグナと並んでもう一つ、必ずと言っていいほど登場する言葉があります。中央構造線です。南アルプスでも、紀伊山地でも、四国の山でも、地質の話になると決まってこの線が顔を出します。先日の南海トラフの記事で四国の地質図を載せましたが、あの「北のピンク色と南の境界」がまさに中央構造線でした。

フォッサマグナが日本列島を南北に走る「溝」だとすれば、中央構造線は西日本を東西に貫く「線」です。どちらも日本列島の骨組みを決めている大構造ですが、性質はまったく異なります。この記事では、関東から九州まで1,000kmにわたって延びるこの大断層を、地球規模のスケールで整理します。

中央構造線とは何か

中央構造線(メディアンテクトニックライン、MTL)は、関東地方から九州地方まで1,000km以上にわたって延びる、日本最大級の断層です。長野県の諏訪湖の南から、赤石山脈(南アルプス)、紀伊半島、四国を通り、九州西部の八代付近まで、ほぼ一直線に日本列島を横断しています。

ただの断層ではありません。中央構造線は「構造線」です。構造線とは、たくさんずれ動いた結果、両側にまったく違う種類の岩石が並んでしまった、地質の境界線のことを指します。中央構造線を境に、北側と南側ではできた岩石も、生まれた環境も、年代も異なります。一本の線を越えると、地球の履歴書が別のページに切り替わるわけです。

中央構造線が関東から九州まで日本列島を横断する地図
[図解: 中央構造線の縦断地図(諏訪湖〜赤石山脈〜紀伊半島〜四国〜九州西部)と内帯・外帯]
中央構造線の全体像と、糸魚川静岡構造線・諏訪湖との位置関係を示した図
中央構造線の全体像。九州から関東まで約1,000km延び、諏訪湖付近で糸魚川静岡構造線と交差します。線を挟んだ北と南では、岩石の生い立ちがまったく違います。

中央構造線の二つの顔 — 「地質境界」と「活断層」

中央構造線を理解するうえで、最初に押さえておきたいのが「二つの顔」を持っているという点です。これを混同すると話がややこしくなります。

一つめは地質境界としての中央構造線です。これは約1億年前にできた、日本列島の「古傷」です。北側と南側で異なる岩石を分ける境界線で、九州から関東まで1,000km以上連続しています。

二つめは活断層としての中央構造線です。こちらは現在も動いている断層で、四国から紀伊半島西部にかけて分布しています。古傷である地質境界の一部を「通り道」として再利用し、今も活動を続けています。政府の地震調査研究推進本部によれば、和歌山市付近の区間が動くと、内陸型地震としては最大級のマグニチュード8.0程度の地震が起きる可能性があるとされています。

ここで面白いのが、地質境界は九州まで延びているのに、活断層としての中央構造線は九州には存在しないとされている点です。2016年の熊本地震のあと、産総研(産業技術総合研究所)が「九州には中央構造線(活断層)はない」という見解を示しました。「古傷」はあっても、「今も痛む傷」は九州まで届いていない、ということです。同じ名前なのに地域によって意味が変わるので、ニュースで中央構造線という言葉を聞くときは、どちらの顔の話なのかを区別すると混乱せずに済みます。

中央構造線の二つの顔(地質境界と活断層)を対比する図
中央構造線の二つの顔。地質境界(左・約1億年前の古傷・九州〜関東)と活断層(右・現在も活動・四国〜紀伊)は、分けて理解すると正確です。

中央構造線はどうやってできたのか

中央構造線の誕生は、日本列島がまだアジア大陸の一部だった時代までさかのぼります。

今から約1億年前、白亜紀と呼ばれる時代のことです。当時、日本列島にあたる場所は大陸の縁にあり、海洋プレートが沈み込んでいました。この沈み込みによって、二種類のまったく異なる岩石が、隣り合わせで作られていきます。

北側(内帯)では、地下深くでマグマが大量に生まれ、領家変成岩や花崗岩ができました。これらは「高温・低圧」の環境で作られた岩石です。一方、南側(外帯)では、沈み込み帯の深い場所で三波川変成岩という「低温・高圧」の岩石が作られました。同じ時代に、すぐ隣で、正反対の条件の岩石が並行して生まれていたわけです。

そして、プレートの運動方向が斜めにずれる「横ずれ」に変わったことで、これらの岩石が大きく水平移動しました。低温高圧の外帯の岩石が、高温低圧の内帯の岩石とぴたりと接するようにずれ動き、その境界が中央構造線になりました。本来なら地下の深さも生まれた場所も違う岩石どうしが、横ずれ運動によって地表で隣り合わせになってしまった——これが中央構造線の正体です。深さ何十kmも離れて生まれた岩石が今は肩を並べているのですから、地球の地殻はなかなか乱暴な引っ越しをするものです。

中央構造線ができるまでの3段階を示す図
中央構造線ができるまで。白亜紀の沈み込みで内帯(領家帯・花崗岩)と外帯(三波川帯・結晶片岩)が別々に生まれ、横ずれ運動で接した境界が中央構造線です。

中央構造線と山 — 西日本を南北で塗り分ける

中央構造線の北側を内帯、南側を外帯と呼びます。この区分は、西日本の山々の性格をそのまま決めています。

内帯(北側)は、領家帯の花崗岩が広く分布する地域です。花崗岩は風化すると白っぽく明るい山肌をつくります。外帯(南側)は、三波川帯の結晶片岩が分布します。結晶片岩は薄く板状に剥がれやすく、緑がかった独特の岩肌を見せます。南海トラフの記事で触れた四国山地は、まさにこの外帯(三波川帯や四万十帯)にあたります。

つまり、西日本の山に登るとき、中央構造線のどちら側にいるかで足元の岩石が変わります。紀伊半島でも四国でも、北へ行くか南へ行くかで「白い花崗岩の世界」と「緑の結晶片岩の世界」が切り替わる。普段は意識しませんが、地質図を片手に歩くと、その境目を踏み越えた瞬間が地図の上でわかります。山の色合いがどことなく違うな、と感じたら、中央構造線をまたいでいるのかもしれません。

中央構造線を境にした内帯と外帯の岩石の違いを示す断面図
[図解: 内帯(領家帯・花崗岩)と外帯(三波川帯・結晶片岩)を分ける中央構造線の断面]

中央構造線を「見る」場所

中央構造線は、その存在を地表で実感できる場所がいくつもあります。代表的なのが、長野県の大鹿村周辺です。

大鹿村は南アルプスの主峰・赤石岳のふもとに位置し、村のほぼ真下を中央構造線が通っています。ここには日本で唯一の中央構造線博物館があり、断層が地表に露出した「露頭」も複数公開されています。国の天然記念物に指定された北川露頭では、内帯の岩石と外帯の岩石が破砕されながら接している様子を直接見ることができます。2012年に新たに見つかった程野露頭では、幅8mほどの断層破砕帯が観察できます。

近くにある分杭峠(ぶんぐいとうげ)は、中央構造線の真上に位置し、「ゼロ磁場のパワースポット」として有名です。スピリチュアルな人気を集めている場所ですが、その正体は地質の大断層の上にある峠というのが地学的な見方です。神秘的な売り出され方をしている場所の足元に、1億年前の地殻変動の痕跡が走っている——というのは、なかなか味わい深い組み合わせだと思います。

もう一つ、中央構造線がよく現れるのが直線的な地形です。断層に沿って岩盤が砕かれているため、その帯は侵食されやすく、まっすぐな谷をつくります。諏訪湖から大鹿村にかけて、国道152号がほぼ中央構造線をなぞるように走っているのも偶然ではありません。地図を広げて、不自然なほどまっすぐな谷が南北に続いていたら、その下に大断層が隠れている可能性が高いです。

フォッサマグナと中央構造線はどう違うのか

最後に、混同されやすいフォッサマグナとの違いを整理しておきます。どちらも日本列島の大構造ですが、性質はまったく別物です。

フォッサマグナは「面」です。日本列島を南北に走る、幅100km以上の帯状の地質構造帯で、約2,000万年前以降に厚い地層が溜まった、比較的新しい立体的な構造です。これに対して中央構造線は「線」です。西日本を東西に横断する一本の断層で、約1億年前に生まれた、ずっと古い構造です。

この二つは、静岡県付近で交差します。南北のフォッサマグナと東西の中央構造線が、ちょうど十字に交わるのです。フォッサマグナの西縁である糸魚川-静岡構造線と中央構造線を同じものと勘違いしている説明をときどき見かけますが、走る方向も年代もまったく違う別の構造です。「新しい南北の溝」と「古い東西の線」、この二本を頭の中で分けておくと、日本列島の地質はぐっと整理して理解できます。

フォッサマグナと中央構造線が静岡で十字に交差する図
フォッサマグナ(面・南北)と中央構造線(線・東西)は、静岡県付近で十字に交差します。性質も年代もまったく異なる別の構造です。

日本列島の地下には、こうした大構造が何本も走り、互いに交差しながら現在の地形を形づくっています。日本の山がなぜここにあるのかを追いかけていくと、プレート運動という大きな力と、それが刻んだ中央構造線やフォッサマグナといった構造に、何度も行き当たります。西日本の山に登るとき、足元のどこかに1億年前の大断層が走っていると思うと、見慣れた稜線も少し違って見えてくるはずです。


プレート運動と山の成り立ちをテーマにした記事は「山の地質カテゴリ」にまとめています。フォッサマグナ・南海トラフ・日本の山とプレート運動の記事とあわせて読むと、日本列島の骨組みがどのように作られたのか、その全体像が見えてきます。

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フォッサマグナとは何か——現地写真と図解で見る大地溝帯の正体 https://chikyu-yama.online/fossa-magna-geology/ https://chikyu-yama.online/fossa-magna-geology/#respond Tue, 28 Apr 2026 03:12:50 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1181 日本列島の中央部に横たわる巨大な地質構造帯「フォッサマグナ」。南アルプスから富士山まで、日本の山の成り立ちを根本から支配するこの地帯が、どのようにして生まれたかを地球規模のスケールで読み解きます。

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山の地質を調べていると、ほぼ必ずと言っていいほど「フォッサマグナ」という言葉に行き当たります。火打山でも、甲斐駒ケ岳でも、焼岳でも、それぞれまったく違う文脈でこの言葉が出てきます。富士山や八ヶ岳はフォッサマグナの上に載っており、北アルプスの東縁はフォッサマグナの西の端(糸魚川-静岡構造線)で区切られています。日本の主要な山の地質を語ろうとすると、どこかでこの地帯に突き当たるのです。

「フォッサマグナとは何か」を一言で説明するのはなかなか難しく、「地形的な溝ではなく、地質学的な溝です」と言うと「では具体的には?」という話になります。この記事では、日本列島の「背骨」ともいえるこの地帯を、地球規模のスケールで整理します。

フォッサマグナとは何か

フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で「大きな溝」を意味します。日本列島の中央部に位置する大規模な地質構造帯で、東北日本と西南日本を分ける境界です。

発見・命名したのは、明治時代に日本政府に招かれたドイツ人地質学者ハインリヒ・エドムント・ナウマンです。地質調査の過程で、日本列島の中央部に古い地層と新しい地層の境界が存在することを見出し、この地帯を「大きな溝」と名付けました。「ナウマン象」の発見者として教科書に登場する人物でもあり、フォッサマグナの発見とナウマン象という二つの大仕事を同一人物がやり遂げているのは、なかなかの仕事量です。

ここで重要なのは、フォッサマグナが「地形的な溝」ではないという点です。富士山も八ヶ岳もフォッサマグナの上にどっしりと鎮座していますし、現地を歩いても溝の気配はまったくありません。フォッサマグナは地質学的な溝です。古い岩石が大きくへこんで、そこに新しい地層が厚く堆積した地帯を指します。「大きな溝」と名付けられているのに現地で溝がどこにも見当たらないのは少々紛らわしいのですが、その「溝」は地下数千メートルに沈んでいます。地形図を見ても何も出てこない理由はそこにあります。

フォッサマグナの位置と構造
糸魚川-静岡構造線を西縁とするフォッサマグナ。日本列島を東西に分断する巨大な地溝帯です。

西縁と東縁 — 境界はどこにあるのか

フォッサマグナには西側の境界と東側の境界があります。ところが、この二つは扱いがまったく異なります。

西縁:糸魚川-静岡構造線(糸静線)

西縁は糸魚川-静岡構造線(略して糸静線)として明瞭に確認されています。新潟県糸魚川市から長野県・山梨県を経て静岡市まで、南北に約250kmにわたって延びる断層です。

糸静線はただの断層ではありません。この線を境に、西側と東側では地層の年代がまったく異なります。西側(西南日本)の飛騨山脈には5億年以上前の古い岩石が露出しているのに対し、東側(フォッサマグナ内)には約2,500万年前以降の比較的新しい地層が分布しています。地図上の一本の線を越えると、億年単位の時間が切り替わります。

東縁:研究者によって諸説あり

一方、東縁の位置については現在も議論が続いています。ナウマン自身は直江津〜平塚を結ぶラインを提唱しましたが、その後の研究者たちはさまざまな東縁案を提示しています。現在よく知られているのは、新潟県新発田から長岡市付近の小出を経て関東方面に続く新発田-小出構造線です。ほかにも柏崎〜銚子、柏崎〜千葉市(信越房豆帯)といった案があり、「東縁はここだ」という完全な合意には至っていません。

西縁ほど明瞭な断層が確認されていないことが、東縁の特定を難しくしている主な理由です。フォッサマグナの東側は、その後の地殻変動で構造が複雑に変形しています。発見から150年近く経っても「東の端がどこか」がはっきりしないのは、それだけこの地帯の構造が手ごわいということです。

フォッサマグナはどのようにして生まれたのか

フォッサマグナの形成を理解するには、日本列島の誕生という大きな舞台から話を始める必要があります。

かつて日本列島はアジア大陸の一部だった

今から約2,500万年前より前、日本列島はアジア大陸の東端に接していました。現在の日本海は存在せず、日本列島にあたる場所は大陸の縁でした。

ところが約2,000万〜1,500万年前、大陸の縁が引っ張られるように裂け始めます。ユーラシアプレートが動く中で、日本列島にあたる部分は東西に引っ張られ、地殻が薄く伸びていきます。この東西の引っ張りが本州の折れ目として集中した場所が、現在のフォッサマグナにあたる地帯です。

地殻が伸びて薄くなったその部分は、数千メートルにわたって大きく沈降しました。東北日本と西南日本が観音開きのように分かれていくとき、その「蝶番」の部分が大きくへこんで巨大な溝が生まれたのです。これがフォッサマグナの正体です。

日本列島の観音開きとフォッサマグナの形成過程
日本列島がアジア大陸から観音開きのように分かれ、その蝶番にあたる部分が沈み込んでフォッサマグナができました。

海の底に地層が積もり続けた

日本列島が大陸から分離して日本海が生まれると、フォッサマグナの巨大な溝は海の底になりました。古い地層が大きく沈んだこの溝の中に、2,000万年前から数百万年前にかけて海底の砂や泥、火山噴出物などが次々と積み重なっていきます。

現在、フォッサマグナの溝を埋めている地層の厚さは最大で8,000〜10,000m以上とも推定されています。富士山(3,776m)の倍以上の厚さの地層が地下に埋まっている計算です。地表からは山しか見えないのに、地下にはその山を高さで二倍以上も超える地層が静かに積み重なっています。登山者の視点からすると、重要なものは全部地表に出ていてほしいのですが、この地帯はそうなっていません。

伊豆半島の衝突と隆起

その後、状況は大きく変化します。数百万年前から、フィリピン海プレートが伊豆半島を乗せたまま北上し、日本列島に衝突し始めました。それまで引っ張られていた日本列島は、今度は圧縮される方向に転換します。

この圧縮によって、フォッサマグナを埋めていた厚い地層が隆起し始めました。フォッサマグナ地域に連なる山々の多くは、こうして地層が押し上げられてできたものです。一方、糸静線をはさんで西どなりに立つ南アルプスは、フォッサマグナの地層ではなく、もっと古い付加体(かつて海溝で陸側に押しつけられた地層)でできていますが、その隆起を後押ししたのも同じ伊豆弧の衝突です。甲斐駒ケ岳の記事でも触れていますが、白い花崗岩の峰々が並ぶ南アルプスの隆起は、まさにこの伊豆弧衝突の産物です。

甲斐駒ヶ岳の白い花崗岩の峰
甲斐駒ケ岳の白い花崗岩。フォッサマグナの南で伊豆弧が衝突した圧縮によって、地下深くで固まった岩体が地表まで押し上げられました。

フォッサマグナが育てた火山列

フォッサマグナにはもうひとつ大きな特徴があります。この地帯に沿って、南北に連なる壮大な火山列が存在するという点です。

北から順に、新潟焼山・妙高山・草津白根山・浅間山・八ヶ岳・富士山・箱根山と、日本を代表する火山が縦一列に並んでいます。これだけの顔ぶれが同一直線上に並ぶのは偶然ではありません。

フォッサマグナへの圧縮が続く中で、糸静線をはじめとする断層帯には地殻に亀裂が多く入っています。マグマにとって、こうした亀裂は地表まで上がりやすい「通り道」になります。フォッサマグナの圧縮が断層を活性化し、その断層がマグマの貫入を促した結果、南北方向にずらりと火山が並ぶ地形が生まれたと考えられています。

火打山の近くに新潟焼山と妙高山が並ぶのも、この構造の延長線上にあります。また、焼岳が北アルプス唯一の活火山としてフォッサマグナ西縁のすぐ東側に位置しているのも、同じ文脈で理解できます。ひとつひとつの火山を個別に調べていると「なぜここに」という疑問が毎回出てきますが、フォッサマグナという構造を押さえておくと、その説明がまとめて一本で通ります。

フォッサマグナパークで断層を見た翌朝、東の火打山に登りました。火打山の西隣には、今も噴気を上げる活火山の新潟焼山があり、山頂からはわずか3kmほどの距離です。前日に見た「列島の継ぎ目」と、その上に並ぶ火山の列が、2日間の山行でひとつながりになりました。

火打山の山頂から西を望む山並み
火打山の山頂から西を望む(7月中旬)。この方角に頸城(くびき)の山々と新潟焼山が連なります
フォッサマグナに沿って南北に並ぶ火山列
新潟焼山から箱根山まで、フォッサマグナに沿って南北一列に並ぶ火山群。糸魚川-静岡構造線などの断層がマグマの通り道になりました。
南アルプスの稜線越しに見える富士山
南アルプスの稜線から見た富士山。手前の稜線は糸静線の西側にある古い付加体の山、雲海の向こうに立つ富士山はフォッサマグナの上に生まれた火山です。一枚の写真に、境界の西と東が写っています。

フォッサマグナと中央構造線の違い

フォッサマグナと並んでよく登場する地質用語に中央構造線(メディアンテクトニックライン)があります。どちらも日本列島を縦断する大構造ですが、性質がまったく異なります。

フォッサマグナは「面」です。幅100km以上にわたる帯状の地質構造帯で、厚い地層が詰まった立体的な地質体です。中央構造線は「線」です。西南日本を東西に横断する断層で、関東から九州まで1,000km近くにわたって続く世界最大級の断層のひとつです。糸静線(フォッサマグナの西縁)とは直交する方向に走っており、静岡県付近で交差します。

「中央構造線はフォッサマグナの西縁と同じものではないのか」と混同されやすいのですが、まったくの別物です。糸静線は南北方向に走るフォッサマグナの「端の線」であり、中央構造線は西南日本を東西に切る別の断層系です。日本列島の地下には複数の大構造が走っており、互いに交差しながら現在の地形を形づくっています。

地質の境界を「見る」ことはできるか

フォッサマグナの本体は地下数千メートルに沈んでいるので、掘らないかぎり見えません。ところが西の縁だけは事情が違います。糸静線という一本の断層に絞られているぶん、地表に顔を出している場所があるのです。しかも、わざわざ掘り出して見せてくれる場所まであります。

断層を掘り出して見せている場所——フォッサマグナパーク

新潟県糸魚川市の根知(ねち)に、フォッサマグナパークがあります。糸静線の断層破砕帯——断層がずれ動くときに岩が砕けてできた帯——を人工的に掘り出して、そのまま見学できるようにした屋外施設です。1990年に開園し、見学のじゃまになる擁壁を撤去して露頭を掘り下げる大がかりな改修を経て、2018年8月に今の姿でリニューアルオープンしました。

フォッサマグナパークの糸魚川静岡構造線の断層露頭
糸魚川市根知のフォッサマグナパーク。斜面が茶色くえぐれている帯が、糸魚川-静岡構造線の断層破砕帯です。手前の「西」と奥の「東」の標識のあいだで、岩石の年代が2億年以上変わります。

現地で少し拍子抜けするのは、日本列島の地質境界がきわめて地味な茶色い斜面だという点です。派手な断崖を期待して行くと肩透かしを食らいます。ところがその地味な帯の左右で、岩石の年齢は桁違いに変わります。糸魚川市の説明によれば、この露頭では西側に約2億7,000万年前の岩石が、東側に約1,600万年前の岩石が接しています。数メートル歩くだけで2億5,000万年をまたぐ計算です。

この露頭は2021年3月に国の天然記念物に指定されました(名称は「糸魚川市根知の糸魚川-静岡構造線」)。幅10メートル以上の断層破砕帯が地表に露出している点が評価されています。ナウマンが「大きな溝」と名付けてから約140年を経て、その西の縁が国の天然記念物になったわけです。

見学は屋外の無人施設で、駐車場から露頭まで約500メートル、徒歩10分ほど。それなりの傾斜があります。冬季は閉鎖されます。私が訪れたのは糸静線沿いの山に登った日の午後で、7月中旬の緑が濃く、露頭の東側は草に覆われかけていました。断層を見に来て植物の勢いに感心して帰るのも妙な話ですが、それだけ「列島の継ぎ目」が日常の風景に埋もれているということでもあります。

なお、フォッサマグナパークとフォッサマグナミュージアムは別の施設です。パークは根知の屋外露頭、ミュージアムは糸魚川市街にある博物館で、ヒスイの展示で知られています。名前が似ているので、カーナビに入れる際は注意してください。

断層がつくった地形をたどる

露頭まで行かなくても、糸静線は地形として追えます。長野県松本市〜糸魚川市にかけてのルートがそれです。松本平(松本盆地)は糸静線に沿った断層谷で、国道を走っていると地形の雰囲気が変わる区間があります。断層が見えているわけではないのですが、地形の辻褄が急に合い始める感覚があって、「あ、何かが変わった」と思ってから地図を確認すると、だいたい糸静線の近くにいます。青木湖・中綱湖・木崎湖の仁科三湖が細長く一直線に並んでいるのも、断層の溝に水が溜まったためです。この谷を実際に走って確かめた話は糸魚川静岡構造線の記事にまとめています。

糸魚川-静岡構造線活断層系は現在も活動中の活断層です。日本列島全体の圧縮が続いている限り、この断層はこれからも動き続けます。

もうひとつ、地質の境界が地表に残した副産物があります。翡翠(ひすい)です。糸魚川はヒスイの産地として知られていますが、これも地質境界のすぐ近くという立地と無関係ではありません。境界付近の高い圧力の環境が翡翠の生成条件を整えたとされており、地質の境界が特定の鉱物を産み出すという関係がここでも成立しています。糸魚川市街のフォッサマグナミュージアムで実物を見られます。

フォッサマグナを知ると山が変わって見える

フォッサマグナという視点を持つと、日本の山の見え方が少し変わります。

南アルプスは、フォッサマグナの南でぶつかった伊豆弧の圧縮によって、古い付加体が押し上げられてできた山地です。瑞牆山のような奇峰は、フォッサマグナの東縁付近で地下に貫入したマグマが冷えて花崗岩になり、侵食によって露出した姿です。富士山は、フォッサマグナの断層帯が生んだマグマ通路から噴出した成層火山です。火打山は、フォッサマグナの新しい地層が隆起した山で、両隣のフォッサマグナ産火山(焼山・妙高山)に囲まれた非火山体という個性的な立ち位置にいます。

それぞれの山の物語は、フォッサマグナという大舞台の上で起きているサブストーリーです。個別の山の記事を読むとき、頭の片隅にフォッサマグナという地質の大黒柱を置いておくと、各山の成り立ちが一段深いところで理解できます。「なぜこの山がここにあるのか」という問いを追いかけていくと、多くの場合フォッサマグナに行き着きます。地球の時間軸で見れば比較的「最近」の出来事が、これほど劇的な地形を日本列島に刻み込んでいるわけです。


フォッサマグナに関連する山の地質解説は「山の地質カテゴリ」にまとめています。日本列島全体のプレート配置は日本の山とプレート運動の記事で総覧できます。火打山・甲斐駒ケ岳・焼岳・瑞牆山の記事では、この記事で説明した構造が個別の山でどう現れているかを読み解いています。日本列島を走るほかの大構造については、フィリピン海プレート・南海トラフ・中央構造線の記事もあわせてどうぞ。

フォッサマグナをさらに深掘りする4本:

投稿 フォッサマグナとは何か——現地写真と図解で見る大地溝帯の正体 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

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