地震 アーカイブ - 地球を感じる山登り 山の成り立ちを地質学から読み解く登山ブログ Mon, 05 Oct 2026 06:48:52 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.3 https://chikyu-yama.online/wp-content/uploads/2026/04/favicon_tozan-150x150.png 地震 アーカイブ - 地球を感じる山登り 32 32 プレートテクトニクスを深さで見る——地表から核まで6,371kmの断面 https://chikyu-yama.online/plate-tectonics-by-depth/ https://chikyu-yama.online/plate-tectonics-by-depth/#respond Mon, 14 Sep 2026 07:42:05 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=2499 プレートの話はたいてい地図の上、つまり平面で進みます。けれど沈み込んだプレートの行方を知るには、縦方向の目盛りが要ります。マグマが生まれる深さ100km、プレートが滞留する660km、そして落ちた先の2,900km。掘っていないのになぜ中身が分かるのかも含めて、地表から核までを深さで追います。

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先日秋田駒ヶ岳へ登山で向かった際に、バス乗り場の情報センターで地球の断面を描いた案内板が立っていました。玉ねぎのように層が重なった図で、いちばん外側の細い線のところに「地殻」と書いてあります。山の案内板なのに、絵の主役は山ではなく地球の中身でした。

秋田駒ヶ岳の麓に立つ案内板の「地球の構造」の図。地殻・上部マントル・下部マントル・外核・内核の層と、海嶺・海溝・ホットスポットが描かれている
秋田駒ヶ岳の麓に立つ案内板より引用(筆者撮影)。この図をもとに、以下で深さの数字を当てはめていきます

よく見ると、この図はかなり欲張りに作られています。層の名前(地殻・上部マントル・下部マントル・外核・内核)が並んでいるだけでなく、外周には海嶺、海溝、弧状列島、ホットスポットが描き込まれ、マントルの中には矢印でぐるりと回る流れが示されています。つまり「地球の中身の層構造」と「その流れが地表に何を作るか」を1枚に詰め込んでいます。外核には「主として鉄・液体」、内核には「主として鉄・固体」と添えてあります。

山の成り立ちの話をするとき、私はたいてい地図を広げます。プレートがどちらへ動き、どの断層がどこを走っているか。全部、平面の話です。ところがこの案内板は、同じ話を縦方向、つまり深さで描いていました。

ただ、この図には数字がありません。地殻がどれくらい薄いのか、マグマはどの深さで生まれるのか、沈み込んだプレートはどこまで落ちるのか。そこが入ると、この絵の意味はずいぶん変わります。

この記事では、案内板の図に深さの目盛りを入れていきます。プレートがどこでマグマを作り、どこで足止めされ、最後にどこへ行き着くのか。平面の地図では見えない部分を、縦方向に追ってみます。

人が届く深さは、りんごの皮より薄い

地球の半径は約6,371kmです。まずこの数字を頭に置いて、人間が上下に動ける範囲を並べてみます。

いちばん高いところはエベレストの8,848m。いちばん深いところはマリアナ海溝の底で、約10,900mです。上下を足しても20km足らずで、登山者が自分の足で稼げる高さはそのうちのさらに一部です。掘るほうはどうかというと、いちばん深い穴は旧ソ連がコラ半島に掘った12,262m。1970年に掘りはじめて、1989年にこの深さへ達しました。当初は15,000mを目指していましたが、深くなるほど岩が熱くやわらかくなり、そこで止まっています。1992年に掘削は終わり、今もこれが人類の最深記録です。

海のほうでは、日本の地球深部探査船「ちきゅう」が紀伊半島沖で海底下3,262.5mまで掘り、科学掘削の世界記録を更新しました。水面から数えれば7,740mになります。それでも、地殻を抜けてその下へ到達した人はまだ誰もいません。

地球の層構造に深さの数値を入れた図。左が地表から中心6,371kmまでの断面、右が深さ150kmまでの拡大で、エベレスト・人類最深の掘削・地殻の底・マグマが生まれる深さの位置を示す
案内板の図に深さの目盛りを入れたもの。右はいちばん上の150kmだけを引き伸ばした拡大図で、エベレストも人類最深の穴も、この細長い帯のさらに上のほうに収まってしまいます

比率にすると、12kmは6,371kmの0.2%です。地球を直径1mの球に縮めたとすると、人類が掘った最深の穴は1mmに届きません。爪で引っかいた傷です。りんごの皮より薄いという比喩がよく使われますが、りんごに失礼なくらい薄いというのが正確なところだと思います。

掘っていないのに、なぜ中身が分かるのか

誰も行ったことがないのに、案内板の図は層の深さを何kmまで書いています。あれは推測ではなく、地震の揺れを世界中で測った結果です。

大きな地震が起きると、揺れは地球全体に広がります。その揺れが地球の中をどう通ってきたかは、通り道の性質で変わります。かたい岩の中では速く、やわらかいところでは遅く、境目があれば曲がります。世界中の地震計で到着時刻を比べると、途中に何があったかが逆算できます。スイカを叩いて中身を当てるのと原理は同じです。違うのは、地球は自分で叩けないので、地震が叩いてくれるのを待つしかない点です。

決定的だったのは、地震の揺れのうち「S波」と呼ばれる種類の振る舞いでした。この波は、物を横にずらすようにして進みます。水やあめのような液体は、横にずらしても元に戻ろうとする力が働かないので、この波は液体の中をまったく進めません。

地球の断面図。震源から出たS波はマントルを通って地表に届くが、外核に当たると止まり、震源から103度より遠い範囲には届かないことを示す
震源から角度で103度より遠い場所には、S波がまったく届きません。途中に液体があって、そこで止められていることになります

観測してみると、震源から地球の中心を見込む角度で103度より遠い場所では、S波が一切届いていませんでした。途中に液体の層があり、そこで止まっているということです。この観測から、ドイツ生まれの地震学者ベノー・グーテンベルクは、深さおよそ2,900kmから先に液体の巨大な芯があると結論しました。1910年代の話で、それから100年たった今も、この深さの見積もりはほとんど変わっていません。

つまり案内板のあの図は、誰も見たことのない場所の見取り図でありながら、世界中の地震計が100年以上かけて描いた実測図でもあります。

深さ100km——山の火が生まれる場所

ここからは、登山者に関係が深い深さに絞っていきます。まず深さ100km前後。秋田駒ヶ岳や岩手山のような火山の材料が作られている場所です。

岩手山の山頂火口。すり鉢状のくぼみの中に中央火口丘が盛り上がっている
岩手山の山頂火口。9月中旬の朝でも、火口のまわりだけは草がほとんどなく、地面の色がそのまま出ています

東北の下には、太平洋のプレートが東から斜めに沈み込んでいます。沈んでいく板は、海底で水をたっぷり吸い込んだ岩でできています。深くなるほど圧力と温度が上がり、深さ110kmあたりでその水が絞り出されます。絞り出された水が上にある熱い岩にしみ込むと、岩の溶ける温度が下がって、部分的に溶けはじめます。これがマグマです。くわしい仕組みはマグマは海の水から生まれるに書きました。

この理屈の面白いところは、火山ができる場所が地図の上で決まってしまうことです。沈み込んだ板が深さ100〜150kmに達する真上の地表に、火山が海溝と平行な列をつくって並びます。日本に111ある活火山の並び方が妙に整っているのは、地表の都合ではなく、地下100kmの深さの都合です。

火口のふちに立って中をのぞきこんでいるとき、その火のもとが作られた場所は、真下に100kmです。水平方向なら東京から静岡あたりまでの距離を、まっすぐ下に数えることになります。登ってきた標高差がだいたい1,000mだったことを考えると、桁が二つ違います。

沈んだプレートは、どこまで落ちるのか

ここで、案内板の図に描かれていた矢印の話に入ります。秋田駒ヶ岳の下へ潜っていった太平洋プレートは、そのあとどうなるのか。深さ100kmで水を絞り出したあとも、板は沈み続けます。どこまで行くのでしょうか。

沈み込んだプレートが深さ660kmで滞留し、やがて落下して核とマントルの境目に積もり、そこから上昇流が立ち上るまでを示した地球断面図
沈み込んだプレートの行き先。660kmでいったん止まり、時間をかけて落ち、核の表面で止まります。その上に積もったものが温められて、別の場所で上昇流になります

まず深さ660kmで、いったん止まります。ここはマントルの岩の詰まり方が切り替わる境目で、沈んできた板は冷たくて切り替わりが遅れるぶん、周りより軽い状態のまま境目に達します。そのため下へ進めず、横倒しになって溜まります。日本海から中国東北部にかけての地下には、この横たわった板が広がっています。

ただし永久にそこにいるわけではありません。時間をかけて温まると密度が上がり、境目を突き抜けて下へ落ちていきます。しかも連続的にではなく、ちぎれた塊が間隔をあけて落ちていくことが、地震波で地球内部を透かして見る観測から分かっています。

そして終点は、深さ2,900km。核とマントルの境目です。ここから先へは進めません。理由は単純で、その下が液体の鉄だからです。岩は鉄より軽いので、鉄の海に石を落としても沈まない。プレートは核の表面に積もっていくことになります。

面白いのは、そこに過去の記録が残っている点です。東京大学の研究グループが約8万の地震波形を解析した結果、核とマントルの境目のあたりに、2億年前に沈み込んだプレートの痕跡が見つかっています。地表にはとっくに証拠が残っていない古い沈み込み帯の情報が、深さ2,900kmには保存されているということになります。

積もった板はそこで温められ、周囲のマントルを熱します。熱くなった部分はやがて浮力を得て、細い柱のように立ち上っていきます。それが地表に届いたところがホットスポットで、ハワイの火山列島がこのタイプです。案内板の図にも「ホットスポット」と書き込まれていました。

つまり、秋田駒ヶ岳の下に潜っていった板は、数億年かけて地球の中心近くまで落ち、そこで温められ、まったく別の場所から火山として出てくる可能性があるということになります。案内板に描かれたぐるりと回る矢印は、この一周を表していたわけです。矢印1本が数億年というのは、案内板の説明としてはなかなか思い切った省略だと思います。

深さ2,900km——液体の鉄と、コンパスの北

さらに下、深さ2,900kmから先が、S波を止めていた液体の層です。主成分は鉄で、温度は数千度。この鉄が対流しています。要するに、地球の内側では鉄の海が流れ続けているということになります。

ここで登山道具の話につながります。流れているのは電気を通す金属なので、その流れが地球全体を大きな電磁石にしています。地磁気です。私たちがコンパスで北を確かめられるのは、深さ2,900kmより下で鉄が流れているからです。

しかもこの流れは一様ではないので、コンパスが指す北は、地図の北とぴったり一致しません。日本ではコンパスの北が地図の北より西にずれていて、そのずれは北へ行くほど大きくなります。国土地理院の値では、北海道の敏音知(ぴんねしり)で約11度。日本で唯一ずれがないのは南鳥島です。しかも一定ではなく、全国平均で過去50年間に西へ約1.4度ずつ動いてきました。

地形図に磁北線を引くという地味な作業は、突き詰めると6,000km下を流れる鉄の向きに合わせて紙に線を引いているということになります。コンパスは装備の中でいちばん原始的な部類の道具ですが、地球の中心近くを直接のぞいている唯一の装備でもあります。GPSが見ているのが上空2万kmの衛星であることと並べると、方向としてはずいぶん対照的です。

いちばん深いところは、また固い

深さ5,150kmを超えると、同じ鉄でもまた固体に戻ります。中心の6,371kmまで続くこの部分が内核です。外側より熱いのに固まっているのは、圧力が桁違いに強いからで、熱よりも圧力が勝っている状態です。温度の見積もりには研究によって幅がありますが、数千度、太陽の表面と同じ程度とされています。

そしてこの内核は、外側の鉄が少しずつ冷えて固まることで、今も成長しているとされています。固まるときに軽い成分が吐き出され、それが上向きの流れを生んで、さきほどの鉄の対流を駆動している。つまりコンパスの北は、地球の中心が冷えていく過程の副産物ということになります。

もう少し話を広げると、この地磁気が太陽からの荷電粒子を受け流して、大気が剥ぎ取られるのを防いでいます。山頂で息ができるのも、遡れば深さ5,000kmの事情です。山の空気の薄さに文句を言いたくなることはありますが、そもそも空気がある理由がここにあるので、強くは言えません。

深さで見ると、山の見え方が変わる

最初に引用した案内板の図に戻ります。マントルの中にぐるりと回る矢印が描かれ、その先に海嶺・海溝・弧状列島・ホットスポットが並んでいました。岩でありながら、長い時間で見ればゆっくり流れている。その流れの上に薄い板が浮かんでいて、板同士がぶつかったり沈んだりしたところに山ができる。あの1枚は、ここまで書いてきた深さの話を全部ひとつの絵に詰め込んだものだったことになります。日本の山がなぜここにあるのかという話も、突き詰めればこの循環の末端で起きている出来事です。

秋田駒ヶ岳のカルデラのふちから見下ろした火口丘と谷、遠くに田沢湖
くぼ地のふちから見下ろしたところ。地表から見えるのはここまでですが、この景色を作った仕組みは全部、見えない深さの側にあります

標高3,000mの山に登ると、ずいぶん高いところまで来たという気になります。実際、その高さを稼ぐのに何時間もかかっています。ただ深さの目盛りで見ると、3,000mは6,371kmの0.05%です。山は地球の表面にできたごく浅いしわで、私たちはそのしわの上をせっせと移動していることになります。

プレートの動きを地図で追うと、矢印は地表を平らに移動していくように見えます。けれど縦に切ってみると、板は生まれた場所から数千kmを沈み、核の表面で止まり、温められてまた上がってくる。地図の矢印は、その循環を真上から見た影だったことになります。

それを知ったところで登りが楽になるわけではありませんが、火口をのぞきこんだときや、コンパスの針が落ち着くのを待っているときに、その下にある6,371kmを一瞬思い出せるくらいには、山の見え方が変わります。

地球の仕組みをもっと読む

マグマが生まれる仕組みはマグマは海の水から生まれる、日本の火山の並び方は活火山とは何か、プレートと日本列島の関係は日本の山はなぜここにある?にまとめています。地球の時間の桁に慣れておきたい場合は山の時間は「桁」で読むもどうぞ。「山の地質」カテゴリでは、山の成り立ちを地球規模で読み解く記事を揃えています。

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太平洋プレートとは何か——世界最大のプレートが日本海溝に沈み、東北の山々を作る https://chikyu-yama.online/pacific-plate-japan-mountains/ https://chikyu-yama.online/pacific-plate-japan-mountains/#respond Mon, 14 Sep 2026 00:07:30 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=2100 太平洋プレートは、世界最大の海のプレートです。年間約8cmで日本に近づき、日本海溝から沈み込んで蔵王や安達太良など東北の火山列を生み、2011年の巨大地震も起こしました。東北の山々の成り立ちをプレートの動きから解説します。

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太平洋プレートは、太平洋の海底のほぼ全体を占める世界最大のプレートで、年間約8cmの速さで日本列島に近づき、日本海溝から地球の内部へ沈み込んでいます。蔵王も安達太良も磐梯も、東北の名だたる山はこの沈み込みが作りました。ついでに言うと、2011年の巨大地震を起こしたのも同じプレートです。東北の山に登ることは、世界最大のプレートの働きを足で確かめることでもあります。

この記事のポイントは3つあります。①太平洋プレートは世界最大かつ最古級の海のプレートであること。②日本海溝から沈み込み、深さ約100kmで水を吐き出して東北の火山列を作っていること。③火山だけでなく、東北の背骨である奥羽山脈の隆起や巨大地震にも関わっていること。

日本列島周辺の4つのプレートと沈み込み帯
日本列島の周辺には4つのプレートがひしめく。太平洋プレートは東側から日本海溝・伊豆小笠原海溝に沈み込む

太平洋プレートはどれくらい大きいのか?

結論から言うと、地球上のどのプレートよりも大きく、面積は約1億km2に達します。日本の国土の約270枚分です。太平洋の海底が、ほぼ一枚の岩の板として、まとまって同じ方向に動いています。ハワイもこの板の上の乗客で、国土地理院の宇宙測地技術(VLBI)による観測では、ハワイは年間約6cmずつ日本に近づいていることが実測されています。1億年ほど待てばハワイ旅行が国内旅行になる計算ですが、その頃のハワイは海溝から地球の中へ沈み込む順番を待つ島になっています。

太平洋プレートの大きさを示す地図。面積約1億km2の範囲が太平洋のほぼ全体を占め、ハワイもこのプレートに乗って年に約6cm日本へ近づいている
太平洋プレートの大きさ(筆者作図)。面積は約1億km²、日本の国土およそ270個分。ハワイもこの板の上に乗っている。

古さも際立っています。太平洋プレートが生まれたのは約1.9億年前、恐竜がいたジュラ紀です。日本海溝のあたりまで旅してきた海底の年齢は約1.3億年。つまり日本の目の前に横たわっているのは、恐竜時代に作られた海底です。プレートの表面は生まれたときは熱く、海の中を数千kmかけて移動するあいだに冷えて重くなります。1.3億年も冷え続けた太平洋プレートは十分に重く、だから日本海溝で深々と沈み込めるわけです。

日本海溝で何が起きているのか?

東北の沖合約200kmの海底には、深さ約8,000mの細長い谷が南北に走っています。これが日本海溝で、太平洋プレートが東北の乗る陸側のプレートの下へ潜り込んでいく、その曲がり目です。地震調査研究推進本部(地震本部)の解説によると、太平洋プレートはほぼ東南東の方向から年間8cm程度の速さで日本列島に近づき、ここで陸側のプレートの下に沈み込んでいます。

沈み込むプレートは、ただ静かに消えていくのではありません。海底で長い年月をかけて水を含んだプレートは、深く沈んで高温・高圧にさらされると、抱えていた水を絞り出されます。地震本部の解説では、沈み込んだプレートが深さ100〜150kmに達したあたりで、放出された水が上のマントルの岩石の融点を下げ、マグマを発生させます。岩は乾いていると溶けにくく、水を含むと溶けやすくなる——この地味な性質が、東北の火山の出発点です。

太平洋プレートが日本海溝から沈み込み深さ約100kmで水を放出しマグマと火山フロントを作る断面図解
太平洋プレートの沈み込みと東北の火山のでき方。模式図で、縦方向は誇張しています。マグマ発生の深さと沈み込み速度は産業技術総合研究所・気象庁の資料にもとづきます。

なぜ東北の火山は一列に並ぶのか?

マグマが発生する条件が「プレートが深さ約100kmに達すること」なので、火山は海溝から一定の距離だけ離れた場所に、海溝と平行に一列に並びます。この列の海溝側の最前線を火山フロントと呼びます。東北大学の解説によると、東北地方では海溝から西へ約300kmの位置に火山列が走り、それがちょうど奥羽山脈に重なります。蔵王、安達太良、磐梯、吾妻——東北のスター級の山がきれいに南北一列に並んでいるのは、偶然ではなく幾何学です。地図で確かめたくなった方は、日本の活火山111の並び方の法則で実データの地図を載せています。

私が岩手山に登ったとき、山頂の薬師岳から御鉢を見下ろして言葉を失いました。緑をまとった稜線の内側に、突然、草木のない巨大な窪地が現れます。底には、さらに小さな火口丘が立っている。あの荒涼とした風景の燃料は、200km東の海の底から運ばれてきた1.3億年前の海底と、そこから絞り出された水です。火口の縁に立って「これは海のしわざか」と思うと、目の前の景色のスケールが一段深くなります。

岩手山の山頂火口である御鉢を見下ろした風景。中央に小さな火口丘が立ち、奥には雲海と平野が広がる
岩手山の山頂火口・御鉢。太平洋プレートが送り込んだ水が、この風景の燃料になっている

火山フロントは東北で終わりません。北へたどれば北海道から千島列島へ続きます。支笏湖の畔にそびえる樽前山も、太平洋プレートの沈み込みが作った火山のひとつです。1時間で登れる手軽な山ですが、動いているエンジンは世界最大のプレートです。樽前山の登山記録では、山頂に鎮座する溶岩ドームを間近に見た様子を書いています。

樽前山山頂から見下ろす支笏湖
樽前山から見下ろす支笏湖。北海道の火山も太平洋プレートの沈み込みが動かしている

奥羽山脈の隆起と巨大地震——火山以外の仕事

東北の背骨を持ち上げる

東北の山はすべてが火山ではありません。奥羽山脈という長さ約500kmの山脈全体が、東西から圧縮されて持ち上がっています。産総研の研究によると、日本列島は約300万年前から東西方向に強く押され始め、地殻が縮んで山脈と盆地が作られてきました。興味深いことに、同じ産総研の2017年の発表では、この東西圧縮を生んだ主因は、フィリピン海プレートの運動によって日本海溝の位置そのものが西へ押し寄せてきたことだと結論づけられています。太平洋プレートが沈み込む「現場」である日本海溝が、東北をじわじわ圧迫する——プレート同士の仕事は絡み合っていて、単独犯はなかなかいません。フィリピン海プレート側の仕事ぶりはフィリピン海プレートが作った日本の山で書いています。

一瞬で65mずれた日

年間8cmという速度は、日常の感覚ではゼロと同じです。ただしプレートは毎年律儀に8cmずつ滑ってくれるわけではなく、境界が固着したまま数百年分のひずみを溜め、あるとき一気に解放します。それが2011年の東北地方太平洋沖地震でした。JAMSTECが地球深部探査船で震源域を掘削した調査では、宮城県沖の断層のずれは海溝軸まで達し、その量は最大65mと推定されています。年間8cmの動きが、800年分まとめて数分で動いた計算です。山を作る力と巨大地震を起こす力が同じものだという事実は、東北の山に登るときに知っておいて損のないことだと思っています。

ハワイの海山が教えてくれるプレートの旅路

太平洋プレートの動きは、海底の地形にも記録されています。ハワイから日本へ向かって、海底火山の列(天皇海山列)が点々と延びています。マントルの深部から熱い物質が上がってくる場所(ホットスポット)の上をプレートが通過するたびに火山島が作られ、ベルトコンベアのように運ばれていった跡です。列の途中には「く」の字の折れ曲がりがあり、かつてはプレートが約4,000万年前に進行方向を変えた証拠とされてきました。近年の研究では、ホットスポット自体が動いていた効果も大きいと考えられるようになっています。いずれにせよ、海底には1億年分の移動履歴が一列に保存されているわけです。ドライブレコーダーより律儀な記録です。

その終着点が日本海溝です。ハワイ生まれの海山たちも、いずれ順番に海溝へ到着し、沈み込んでいきます。東北の山に登って東の水平線を眺めるとき、そこには世界最大のプレートの終着駅があります。日本の山の並び方をプレート全体から見た話は、日本の山はなぜここにある?にまとめています。

山の成り立ちや地質の話は、カテゴリ「山の地質」でほかにも多数書いています。

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活断層とは何か——日本に2,000以上ある理由と、地図に浮かぶ「動く場所」の法則 https://chikyu-yama.online/katsudanso-basics/ https://chikyu-yama.online/katsudanso-basics/#respond Thu, 30 Jul 2026 11:54:11 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1992 活断層は、これまで何度もずれ動き、これからも動くと考えられている地下の割れ目です。日本に2,000以上ある理由、分布に現れる偏り、そして山を歩くと見えてくる断層の痕跡を、地形の写真と図解で解説します。

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活断層は、これまでに何度もずれ動き、これからもずれ動くと考えられている地下の割れ目です。地震のニュースでは必ずと言っていいほど名前が出てきますが、そもそも普通の断層と何が違うのか、なぜ日本にこれほど多いのかは、あまり説明されません。

活断層を理解するポイントは3つあります。ひとつは、日本に2,000以上もある理由が、列島を押しているプレートの動きにあること。ふたつめは、その分布が日本中に均等ではなく、はっきりと偏っていること。そして3つめは、活断層が地下に隠れているだけでなく、地表の地形として見える形で残っているということです。3つめは登山とも関係があります。私たちが歩いている谷や峠の一部は、断層がつくったものです。

活断層とは何か——くり返しずれてきた傷跡

地下の岩盤に割れ目ができ、その両側がずれたものを断層と呼びます。断層そのものは日本中の地下にあり、数え切れません。何億年も前に一度ずれたきり、その後まったく動いていないものも大量にあります。

このうち、地質学的に見て最近の時代にくり返し動いてきて、これからも動くと考えられるものが活断層です。地震調査研究推進本部(地震本部)は活断層を「最近の地質時代にくり返し活動し、将来も活動することが推定される断層」と定義しています。この「最近」がどれくらいかについては、約200万年前以降とする立場と、数十万年前以降とする立場があり、研究者によって幅があります。いずれにしても、人間の感覚からすると気が遠くなる長さです。

ここで大事なのは、なぜ同じ場所がくり返し動くのかという点です。理由は単純で、一度割れた面は周りより弱いからです。板を一度折ってから接着しても、次に力を加えたとき折れるのはたいてい同じ場所です。地下でも同じことが起きています。だから活断層は、過去に動いた記録がそのまま将来の予測材料になります。

ただし、そのくり返しの間隔は数千年から数万年に一度です。前回の地震から千年経っていても、地質の時間感覚ではまだ「さっき動いたばかり」の範囲に入ります。

断層とは何か——正断層・逆断層・横ずれ断層の分類

断層は、地下の岩盤に力が加わって岩石が破壊され、その割れ目を境に両側がずれた不連続面を指します。このずれ方の向きによって呼び方が変わり、代表的なものが正断層・逆断層・横ずれ断層の3種類です。

正断層は、地殻が両側から引っ張られる引張応力場でできる断層で、上側の岩盤(上盤)が下側の岩盤(下盤)に対して滑り落ちる形でずれます。逆断層はその逆で、横から圧縮される圧縮応力場でできる断層で、上盤が下盤の上にせり上がるようにずれます。

横ずれ断層は、斜め方向からの圧縮によって生じ、断層面を境に地盤が水平方向にすれ違うように動きます。ここまで見てきた活断層も、いずれかの分類に当てはまる動き方をしており、段差の向きやずれの方向から、どのタイプの断層かをある程度読み取ることができます。

なぜ日本には2,000以上もあるのか?

日本列島が、4枚のプレートに押し合われる場所にあるからです。

東からは太平洋プレートが、南からはフィリピン海プレートが、それぞれ日本列島の下へ沈み込んでいます。沈み込む板は列島を押し続けるので、陸地の岩盤には常に力がかかります。押され続けた岩盤はどこかで耐えきれなくなり、弱い面に沿ってずれます。これが内陸で起きる地震です。地震本部によれば、日本の陸域とその周辺の海域には2,000を超える活断層があるとされています。

2,000すべてを同じ精度で調べるのは現実的ではないので、地震本部は規模が大きく社会への影響も大きいものを選び、重点的に調査しています。これが主要活断層帯で、当初98だったものが見直され、現在は114の断層帯が対象になっています。ニュースで名前を聞く断層帯の多くはこの114に含まれます。

山を登る人にとっては、この「押され続けている」という状態こそが山の存在理由でもあります。押されて盛り上がった結果が山脈であり、押されて耐えきれずずれた結果が地震です。同じ力の、出力先が違うだけの話です。

関連記事:日本の山はなぜここにある? — プレート運動と山の成り立ち

地図に浮かぶ「動く場所」の法則

活断層は日本中に均等に散らばっているわけではありません。分布にははっきりとした偏りがあり、そこには理由があります。

密度がもっとも高いのは、中部地方から近畿地方北部にかけての一帯です。この地域は山地と盆地が交互に並び、その境目に沿って断層が発達しています。琵琶湖や京都盆地、奈良盆地といった平地が山に囲まれて点在するあの地形は、断層運動がつくったものです。

西日本では、中央構造線という日本最大級の断層に沿って帯状に並びます。四国から紀伊半島、そして長野県まで、1,000km以上にわたって列島を東西に貫く線です。

九州中部はやや事情が違います。ここは押されているというより、南北に引っ張られています。別府から阿蘇を経て島原へ、東西に細長い低地が並ぶのはそのためで、この引っ張りの力が地面を裂き、断層をつくっています。2026年7月28日に発生した令和8年熊本地震で動いたとみられる日奈久断層帯も、この動きの中にあります。

逆に、北海道北部などは活断層の密度が低い地域として知られています。密度が低いことと地震が起きないことは同じではありませんが、少なくとも「日本ならどこでも同じように活断層がある」わけではないことは、地図を見れば分かります。

関連記事:中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体/日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった

活断層の地震は、南海トラフの地震と何が違うのか?

大きな違いは、震源の深さとくり返しの間隔です。

活断層の地震と海溝型地震の違いを示す断面図
活断層の地震と海溝型地震の違い。震源の深さとくり返しの間隔が大きく異なる(イメージ図解)

活断層による地震は、地下5〜20kmという浅い場所で起こります。震源が浅いぶん、真上の地表が強く揺れます。規模を示すマグニチュードが同じでも、深い地震より被害が大きくなりやすいのはこのためです。地震の規模としては海溝型より小さくても、震源の真上にある町では激しい揺れになります。

一方、南海トラフのような海溝型地震は、海のプレートと陸のプレートの境界がずれるものです。震源域が広く、揺れは長く続き、津波を伴います。くり返しの間隔は100〜200年程度と短く、歴史の記録に何度も登場します。

この「間隔の差」が、活断層のやっかいなところです。海溝型は数百年に一度なので、前回からの経過年数がある程度の目安になります。しかし活断層は数千年から数万年に一度です。人間が文字を持ってからの歴史がせいぜい数千年であることを考えると、大半の活断層は「文字が生まれる前に最後に動いたきり」ということになります。記録が残っていないので、地面を掘って過去のずれを直接調べるしかありません。

関連記事:南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由

活断層は山でどう見えるのか?

地形として見えます。活断層は地下に隠れた存在のように語られがちですが、実際には地表に痕跡を残していて、慣れると地形図の上でも現地でも判別できます。

活断層が地表につくる地形の模式図
活断層が地表につくる4つの地形。谷の直線性と川の屈曲がとくに分かりやすい(イメージ図解)

分かりやすいのは、谷が不自然に一直線に伸びている場所です。断層の面は周囲の岩より砕けていて弱いため、水に削られやすくなります。その結果、断層に沿って細長い谷ができます。次の地形図は、長野県の分杭峠から大鹿村へ南北に伸びる谷です。

分杭峠から大鹿村へ一直線に伸びる中央構造線沿いの谷の地形図
分杭峠から大鹿村へ、定規で引いたように一直線に伸びる谷。中央構造線に沿う地形(出典:国土地理院)

山が複雑に入り組んでいるなかで、ここだけが直線です。国道152号もこの谷をたどっています。これが中央構造線に沿う谷で、大鹿村にはこの断層を直接観察できる露頭があり、国の天然記念物になっています。

私はこの谷を、東側の稜線から見たことがあります。南アルプスの三伏峠は標高約2,580mで、日本一高い峠とされています。ここから西へ下ると、その先が大鹿村です。

南アルプス三伏峠の標識
三伏峠。ここから西へ下る谷の先が、中央構造線沿いの大鹿村

登っているときは、ただ長い登りだとしか思っていませんでした。地図を見て、自分が越えてきた尾根と下っていく谷が別々の岩でできていて、その境目が日本を東西に分ける大断層だと知ったのは、帰宅してからです。峠で撮った写真には標識しか写っていません。

もうひとつ分かりやすいのが、断層に沿ってできた細長い湖です。長野県大町市の木崎湖・中綱湖・青木湖は、糸魚川静岡構造線という別の大断層に沿って一列に並んでいます。地図で見ると3つの湖が縦に整列していて、自然にできた配置とは思えない規則正しさです。

糸魚川静岡構造線に沿う木崎湖
木崎湖。糸魚川静岡構造線に沿って、3つの湖が南北一列に並ぶ

このほか、山から平野へ張り出した尾根の先が、切りそろえたように三角形の崖になっている場所や、尾根の稜線が断層のところだけ低くくぼんでいる場所も、断層の痕跡です。登山道の峠が妙に低く整っているとき、そこが断層である可能性はそれなりにあります。峠が歩きやすいのは地面が砕けているからで、ありがたいような、そうでもないような話です。

関連記事:糸魚川静岡構造線とは何か——日本を東西に分ける大断層、フォッサマグナの西縁を歩く

活断層の地図に線がない場所も、安全とは限らない

安全とは言えません。活断層の地図に線が引かれていない場所でも、大きな地震は起きています。

2000年の鳥取県西部地震はマグニチュード7.3でしたが、事前に活断層として知られていた場所ではありませんでした。2008年の岩手・宮城内陸地震も、地表にはっきりした断層のずれが現れにくいタイプでした。地下で断層が動いても、その上を軟らかい堆積物が厚く覆っていると、地表の地形には痕跡が残りません。地形から探す方法には、原理的にこの限界があります。

産総研の活断層データベースの説明では、単独で大地震を起こすような規模の陸上の活断層は、おおむねすべて発見されているとされています。その一方で、沿岸部や火山地域、そして活動度の低いものや短いものについては、まだ確認できていないものが存在する可能性があるとも書かれています。海の底も同じで、陸地のように歩いて調べるわけにはいきません。

つまり活断層の地図は、「危険な場所の一覧」ではなく「これまでに見つけられた場所の一覧」です。線が引かれている場所は確かに警戒が必要ですが、線がないことは安全の証明にはなりません。

活断層を地形として読む

活断層は、日本列島が4枚のプレートに押され、引っ張られ続けていることの帰結です。列島が押されて盛り上がった結果が山であり、耐えきれずにずれた結果が内陸の地震です。山を登る行為と地震のニュースは、地下では同じ力につながっています。

そして活断層は、地下に隠れているだけの存在ではありません。一直線の谷、整列した湖、不自然に低い峠として、地表に出ています。登山地図を眺めるとき、「この谷はなぜまっすぐなのか」と一度考えてみると、地形の見え方が変わります。何万年もかけて動いてきた線の上を、私たちは歩いています。

山の成り立ちをプレートの動きから読む記事は、こちらにまとめています。「山の地質」カテゴリの記事一覧

参考にした資料

地震調査研究推進本部「活断層」「主要活断層帯」/産業技術総合研究所 活断層データベース/国土地理院 地理院タイル(地形図)/気象庁 地震情報。地形図は地理院タイルをもとに作成し、地点の座標は国土地理院の地名検索によるものです。

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日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった https://chikyu-yama.online/hinagu-fault-kumagawa/ https://chikyu-yama.online/hinagu-fault-kumagawa/#comments Wed, 29 Jul 2026 12:45:14 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1958 2026年7月28日、熊本県で最大震度7の地震が発生しました。動いたとみられるのは日奈久断層帯——2016年の熊本地震で動かずに残っていた区間です。球磨川の源流から河口まで100マイルを走った経験から、八代平野が揺れた理由を地形から読み解きます。

投稿 日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

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日奈久断層帯(ひなぐだんそうたい)は、九州が南北に引き裂かれる動きによって生まれた、全長およそ81kmの横ずれ断層帯です。2026年7月28日、この断層帯の一部が動いたとみられる地震が発生し、熊本県宇城市と氷川町で震度7の揺れが観測されました。

この地震を地形から読むポイントは3つあります。ひとつは、九州という島そのものが南北に引っ張られ続けているということ。ふたつめは、2016年の熊本地震で動かずに残っていた区間が、今回動いたとみられるということ。そして3つめは、強い揺れに見舞われた八代平野が、まさにその断層の運動によってつくられた土地だということです。

はじめにお断りしておくと、この記事は地震発生の翌日にあたる2026年7月29日時点で公表されている情報をもとに書いています。どの断層のどの区間が動いたのか、地面がどれだけ動いたのかは、いずれも速報値や暫定的な解析結果で、今後の詳しい調査で更新される見込みです。被害の状況も刻々と変わるため、本文では扱っていません。最新の情報は気象庁や国土地理院の発表を確認してください。

私は以前、球磨川の源流から河口までをたどるトレイルランニングの大会に出たことがあります。距離は100マイル(約160km)、登り下りの合計は9,000mを超えます。今回強い揺れが観測された地域は、そのコースの終盤と重なります。当時は「長い川沿いを走っている」としか思っていませんでしたが、あの道のりは地図の上の線ではなく、九州の地下構造を横切る断面そのものでした。

九州はいま、南北に引き裂かれている

九州の地図を広げると、大分から阿蘇を通って島原へ、東西に細長い低地が並んでいることに気づきます。別府湾、阿蘇のカルデラ、雲仙。これらが一直線に近い形で並んでいるのは偶然ではありません。九州が南北方向に引っ張られ、その中央部が帯状に落ち込んでできた地形で、別府–島原地溝と呼ばれます。地溝とは、両側から引っ張られた地面が短冊状に落ち込んだ低地のことです。

なぜ引っ張られるのか。南からフィリピン海プレートが斜めに沈み込んでいることと、九州の南西にある沖縄トラフが今も開き続けていることが関係しています。東北大学の研究グループは2018年、この地溝の地下構造を解析し、九州が南北に分裂しつつある実態を示しています。日本列島の他の場所が押し縮められているのに対して、九州の中央部だけは引き伸ばされているという、少し特殊な場所です。

地面が引き伸ばされるとき、壊れ方は大きく2通りあります。そのまま垂直に落ち込むか、横にずれるか。九州中部では両方が起きていて、日奈久断層帯は主に「横にずれる」タイプの断層です。プレートの動きが山と地形をつくる仕組みそのものについては、日本の山はなぜここにある? — プレート運動と山の成り立ちに整理しています。

海溝から沈み込むフィリピン海プレートと別府−島原地溝の断面図
地溝の真下では、プレートはすでに深さ約110kmまで潜っています(深さ・距離の根拠:気象研究所プレート形状モデル)

日奈久断層帯とは何か

地震調査研究推進本部の長期評価によると、日奈久断層帯は熊本県益城町の付近から南西へ延び、八代市を通って八代海の南部に達します。全体の長さはおよそ81km。ひとつながりの断層に見えますが、性質の違いから3つの区間に分けられています。

北東端の高野–白旗区間が約16km、中央の日奈久区間が約40km、そして南西端の八代海区間が約30kmです。それぞれ想定される地震の規模も異なり、日奈久区間ではマグニチュード7.5程度、八代海区間では7.3程度と評価されています。同じ評価では、日奈久区間が平均して3,600年から1万1,000年ほどの間隔で、八代海区間が1,100年から6,400年ほどの間隔で活動を繰り返してきたとされています。人の一生からすると気の遠くなる間隔ですが、地面にとっては定期的な出来事です。

球磨川の流路と実走コース、人吉盆地、八代平野、震度7を観測した地点の地形図
青い線が球磨川、赤い線が実際に走ったコース(GPSログ)。球磨川が源流から南西へ下り、人吉盆地を西へ抜けたあと、大きく北へ向きを変えて八代平野に出るU字型の流れがわかります。コースは川岸ではなく、その谷を見下ろす山を越えていきます(出典:国土地理院/河川データ:© OpenStreetMap contributors)

なぜ2016年には動かなかったのか?

結論から書くと、2016年に動いたのは隣の断層で、日奈久断層帯の大部分は力を溜めたまま残されていたからです。

2016年の熊本地震で大きくずれ動いたのは、布田川断層帯の布田川区間でした。日奈久断層帯は布田川断層帯と益城町付近で接していますが、このときは北端の一部が動いたにとどまり、南西へ延びる長い区間はほとんど動きませんでした。当時から、残された区間が今後の地震を起こす可能性は指摘されていました。

今回の地震について、東京大学地震研究所の酒井慎一教授は、2016年に動かずに残っていた日奈久断層帯の南の部分が動いた可能性があると述べています。気象庁の解析でも、この地震は東北東–西南西の方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型とされていて、日奈久断層帯の性質とよく一致します。震源の分布も、熊本市付近から八代市を通って八代海の北部へと、断層に沿った細長い帯状に並んでいます。

地面が実際にどれだけ動いたかは、国土地理院の観測に表れています。八代市の千丁に置かれた電子基準点は、北東方向におよそ87cm動き、あわせて約32cm沈み込みました(暫定値)。人工衛星から地表の変化を捉えるレーダー解析でも、日奈久断層帯の北西側で最大50cmほどの変動が確認されています。年に数ミリずつ溜めてきたひずみが、数十秒で解放されるとこうなります。なおこれらは暫定的な値で、今後の詳しい解析で更新されます。

源流から河口までの道のりは、九州の地質を横切る一本の線だった

球磨川リバイバルトレイルは、2020年7月の豪雨災害からの復興を掲げて2022年に始まった大会です。球磨川の源流にあたる水上村をスタートし、流域の山々を西へ横断して、河口の八代市に至ります。九州で初めての100マイル(約160km)レースでもあります。川岸をずっと下っていくのかというとそうではなく、球磨川が削った谷を見下ろす山をいくつも越えながら、源流から河口へ向かって少しずつ高度を落としていく設計です。

私が走ったときのGPSログが残っています。実際の移動距離は169km、登りの合計はおよそ9,300m、最高地点の標高は1,626mでした。そしてゴール地点の標高はほぼ0mです。1,600mから海面まで下る道のりを、山を越え直しながら進むことになります。この上下動そのものが、球磨川の流域がどれだけ複雑な地形をしているかを表しています。

このコースが地質的に面白いのは、球磨川そのものが普通の川ではないからです。産業技術総合研究所の地質調査総合センターは、球磨川がU字型の非常に特異な流路を持っていて、その形には地質構造の成り立ちが大きく関わっていると指摘しています。ふつう川はまっすぐ海を目指しますが、球磨川は一度西へ向かい、大きく曲がってから北西の八代へ抜けます。先ほどの地図で青く描いた線がその流路です。源流から人吉盆地までは南西へ下り、そこで向きを変えて西へ、さらに大きく北へ曲がってようやく海に出ています。地面の硬さと構造に、流れ方を決められているわけです。

人吉盆地——断層が沈めた平地

球磨川の上流部に広がる人吉盆地は、川が削ってできた谷ではありません。コース自体はこの盆地の北側の山地を越えていくので中心部は通りませんが、この盆地の成り立ちが球磨川という川の性格を決めています。産総研の解説によれば、人吉盆地は断層運動によってできた構造盆地で、およそ700万年から800万年前に形成が始まりました。南の縁には活断層があります。地面が断層に区切られて落ち込み、そこへ球磨川と川辺川が土砂を運び込み、さらに火山からの噴出物が何度も流れ込んで埋め立てられました。あの平らな土地は、削られてできたのではなく、沈んだところが埋まってできたものです。

球磨川の峡谷——硬い岩に阻まれた川

盆地を出ると、川は一転して深い谷に入ります。産総研の資料では、この下流部には硬い岩が分布していて、川が削りきれずに険しいV字谷をつくっていると説明されています。特に鍾乳洞で知られる球泉洞のあたりは、石灰岩を含む古い時代の硬い岩が集まっていて、流域でもっとも急峻な谷になります。海の底に積もった砂や泥、サンゴの殻が、長い時間をかけて大陸の縁に押し付けられて固まった岩です。それが1億年以上たって、川の行く手を阻んでいます。

逆に、地層のもろい場所では谷が広がります。同じ川なのに、区間によって谷の幅がまったく違うのはそのためです。走っていると、両側から山が迫ってくる区間と、急に空が広くなる区間が交互に現れます。地図の等高線で見ていたものが、そのまま視界の広さの変化として出てきます。

球磨川の峡谷区間と川沿いの道路
峡谷区間の球磨川。両側から山が迫り、川がぎりぎりの幅で谷を刻んでいます

この区間で印象に残っているのは、川でも山でもなく道路でした。舗装が大きく歪んだまま、あるいは段差になったまま残っている箇所がいくつもあったのです。地震で地面が動いた跡が、走った当時もまだそのままになっていました。足で踏んで越えるとき、地球が動かした結果を自分の脚で乗り越えているという感覚がありました。地質の話は普段どうしても「何百万年前に」という単位になりますが、あの段差だけは現在進行形でした。

それだけ強く覚えているのに、その道路の写真が一枚もありません。当時の私が何を撮っていたかというと、川と山ばかりです。地質のブログを書く未来がわかっていれば、真っ先にあの段差にカメラを向けていました。

八代平野——断層の縁にできた三角州

峡谷を抜けると、視界が一気に開けて八代平野に出ます。ゴール地点です。ここは球磨川が上流から運び続けた砂や泥が海際に積もってできた三角州で、南東側にはすぐ山地が迫っています。この山地と平野の境目を走っているのが、日奈久断層帯です。八代市が公開している防災の資料でも、日奈久断層帯は市内の平野部と山間部のあいだを走っていると説明されています。北西側が相対的に沈み、南東側が高いまま残ったことで、山と平野がくっきり分かれました。

八代平野と山地の境界を走る日奈久断層帯の活断層図
赤い線が活断層です。日奈久断層帯が、緑色の平野と灰色の山地の境目をなぞるように走っているのが見えます。震度7を観測した氷川町は平野側にあります(出典:国土地理院 活断層図)

地図で見ると、この関係はもっとはっきりします。国土地理院の活断層図に描かれた断層線は、平野と山地の境目からほとんど外れません。川が自然に削ってできた地形なら、境目はもっと入り組んだ形になるはずです。定規で引いたように直線的なのは、そこが地面の割れ目だからです。

山の上から見下ろした八代平野と八代海
ゴール手前、平野を見下ろす山の上から。手前に広がる平らな土地が八代平野で、その先が八代海です

この写真は、コース終盤に平野を見下ろす位置から撮ったものです。撮影地点の座標を地図に落とすと、山地と平野の境界にあたる場所でした。写真の中で、手前の斜面が断層の南東側に残された山地、その向こうに一気に開ける平らな土地が沈んだ側にあたります。境目が直線的で、山が平野に向かってなだらかに移り変わらないところに、断層の存在が出ています。空の色と枯れた下草から分かるとおり、3月上旬のよく晴れた午後でした。

つまり、レースのゴール地点は、断層がつくった低地に川が土砂を敷き詰めた場所ということになります。源流の山から河口の平野まで、私がこの流域を横断するのに38時間近くかかりました。丸一日半以上、ずっとこの地形の上にいたことになります。体力の方は完全に底をつきましたが、そのぶん、この土地の高さの変化を1メートル単位で味わいました。地図を眺めて理解するのと、38時間近くかけて全部踏むのとでは、同じ地形から入ってくる情報量がまるで違います。

なぜ八代平野で揺れが大きくなったのか?

震源が近かったことに加えて、平野そのものが揺れを大きくする構造だからです。

硬い岩盤の上では、地震の波は速く通り抜けます。ところが、砂や泥が厚く積もった柔らかい土地に入ると、波は速度を落とし、そのぶん振幅が大きくなります。浅い水路に波が入ると背が高くなるのと同じ理屈です。八代平野は球磨川が運んだ堆積物でできた土地なので、この増幅が起きやすい条件がそろっています。八代市自身も、平野部は地盤が軟らかいため建物の倒壊や液状化が懸念されると、以前から注意を促していました。

断層が地面を沈ませ、その窪みを川が埋め、その柔らかい土の上で揺れが増幅する。原因と結果が一本につながっています。人が住みやすい平らな土地は、たいてい断層と川がセットでつくったものです。

2020年の水害と、今回の地震

球磨川流域は2020年7月の豪雨で大きな被害を受けました。産総研は当時の緊急調査で、球磨川の特異な流路と流域の地質構造が、氾濫や斜面崩壊の起こり方に関わっていた可能性を指摘しています。狭い峡谷に大量の水が集まり、抜けきらずに上流側で溢れるという地形の条件がありました。

球磨川リバイバルトレイルのエイドステーション
コース途中のエイドステーション。「眠気に」「エネルギーに」と手書きの札が並び、地元の方々に支えられて成り立っている大会です

そして今回、同じ流域が地震に見舞われました。豪雨と地震はまったく別の現象ですが、被害の出方を決めた土台は同じです。断層が土地を切り分け、川がその間を削り、低い場所に土砂を敷き詰めた——その地形の上に、人の暮らしがあります。球磨川リバイバルトレイルという大会自体が水害からの復興を掲げて始まったことを思うと、この土地が地形と付き合い続けてきた歴史の重さを感じます。

断層にはまだ力が残っている

気象庁は、今回と同程度の揺れを起こす地震に1週間ほど注意するよう呼びかけています。実際、本震のあとも震度5弱の揺れが繰り返し観測されています。日奈久断層帯は3つの区間に分かれていて、今回動いたとみられる範囲の南西側、八代海の区間にはまだひずみが残っているとみる専門家もいます。

地震で緩んだ斜面は、そのあとの雨で崩れやすくなります。球磨川流域はもともと急峻な谷を抱えた土地です。揺れが収まったあとも、しばらくは山側の状況に注意が要ります。

なお、九州には「中央構造線」は存在しません。産総研は、九州中部では中央構造線に当たる断層線が地表に現れていないことを明確に説明しています。九州で語られる臼杵–八代構造線は、名前は似ていても別のものです。この違いについては中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体で扱っています。また、九州を引き伸ばしている力の源であるフィリピン海プレートの沈み込みは、南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由に書きました。

被災された地域の一日も早い復旧を願っています。

参考にした資料

地震の情報は2026年7月29日時点の発表内容です。数値には暫定値が含まれます。

山の成り立ちを地形から読む記事は山の地質にまとめています。

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南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由 https://chikyu-yama.online/nankai-trough-geology/ https://chikyu-yama.online/nankai-trough-geology/#respond Tue, 30 Jun 2026 04:04:58 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1420 南海トラフは「次に来る巨大地震」として語られがちですが、地質の視点で見ると四国山地や紀伊山地をまるごと作り出した主役でもあります。フィリピン海プレートの沈み込みが、山と地震という二つの顔をどう生み出してきたのかを地球規模のスケールで読み解きます。

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南海トラフという言葉は、ほぼ「次に来る巨大地震」とセットで耳に入ってきます。テレビでも防災訓練でも、語られるのは決まって被害想定の話です。ところが地質の視点から見ると、南海トラフはもうひとつ別の顔を持っています。四国山地や紀伊山地——剣山も大峰山脈も大台ヶ原も、すべてこの海溝の働きで生まれた山だという顔です。

登山者からすると、足元の山を作った張本人が「災害の代名詞」として恐れられているわけで、なんとも複雑な気分になります。この記事では、防災の文脈をいったん脇に置いて、南海トラフが日本の山をどう作ってきたのかを地球規模のスケールで読み解きます。

南海トラフとはどこにあるのか

南海トラフは、静岡県の駿河湾沖から、紀伊半島・四国の南側を通り、九州・日向灘の沖まで延びる、東西約700kmの海底の溝です。水深は深いところで4,000mを超えます。

「トラフ(trough)」とは舟底のような細長い盆地のことで、水深6,000mを超える「海溝(trench)」よりやや浅いものを指します。名前は違っても、地球の構造としての役割は海溝と同じです。深さで呼び名が変わるだけで、海のプレートが陸のプレートの下に沈み込んでいく場所、という本質は変わりません。

ここで起きているのは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下へ沈み込むという運動です。海側のフィリピン海プレートが、年間4〜6cmという速度で、陸側の日本列島の下へもぐり込んでいます。年間数cmと言われてもピンときませんが、爪が伸びる速度とだいたい同じです。その爪が伸びるくらいのペースで、海の岩盤がまるごと日本の下に押し込まれ続けている、と考えるとなかなかの迫力です。

南海トラフの位置とフィリピン海プレートの沈み込み方向を示す日本列島南部の地図
南海トラフは駿河湾沖から四国沖を経て日向灘沖まで、東西約700kmにわたって延びています。フィリピン海プレートが内陸へ向かって沈み込んでいます。
南海トラフの断面図。フィリピン海プレートの沈み込みと付加体、四国山地の隆起
南海トラフの断面。沈み込むプレートが海底の地層をはぎ取って付加体をつくり、その付加体が隆起して四国山地・紀伊山地になりました。ひずみの解放が100〜150年周期の巨大地震です。

なぜ「溝」ができるのか — プレートの沈み込みを読む

海のプレートと陸のプレートがぶつかると、密度の高い海のプレートのほうが下に沈み込みます。フィリピン海プレートは海洋プレートで、ユーラシアプレートという大陸プレートよりも重い。重いほうが負けて沈むという、地球規模で見れば極めて素直な力学です。

沈み込む場所は、プレートが引きずり込まれて地表が一段低くなります。これが「溝」、すなわちトラフの正体です。南海トラフは地形の偶然でできた谷ではなく、プレートが沈み込んでいるという事実がそのまま海底の地形に現れたものです。

南海トラフの沈み込みには、ひとつ特徴があります。沈み込む角度がとても緩いのです。四国沖ではおよそ5度、紀伊半島沖でも10度ほどしかありません。プレートはほとんど水平に近い角度で日本の下へすべり込んでいきます。この「浅い角度で沈む」という性質が、次に説明する付加体の発達と、四国山地・紀伊山地の成り立ちに決定的に効いてきます。

南海トラフでのフィリピン海プレートの沈み込みと付加体形成の断面図
フィリピン海プレートが緩い角度で沈み込み、削り取られた堆積物が付加体として陸側に積み重なる。四国山地・紀伊山地はこの付加体が隆起したものです。

付加体が四国山地と紀伊山地を作った

南海トラフを理解するうえで最も重要な概念が付加体(ふかたい)です。英語ではアクリーショナリープリズム(accretionary prism)と呼ばれます。

仕組みはこうです。海のプレートの上には、長い年月をかけて海底に積もった砂や泥が乗っています。プレートが沈み込むとき、その上に乗った柔らかい堆積物は一緒には沈みきれません。陸のプレートの先端が、まるでブルドーザーの排土板のように堆積物をこそげ取り、陸側へ押しつけていきます。こうして削り取られた堆積物が、何百万年もかけて陸側にどんどん積み重なってできた地質体が付加体です。

つまり付加体とは、海の底だったものが陸にくっついて山になった地層です。四国山地も紀伊山地も、この付加体が隆起してできた山地です。剣山(つるぎさん)も、大峰山脈も、大台ヶ原も、もとをたどれば海の底に積もった砂や泥が、プレートに削り取られて陸に貼りつけられたものなのです。標高1,900mの剣山の山頂に立っているとき、その足元は元・海底だと考えると、地球のスケールの大きさにくらくらします。山に登っているつもりが、実は持ち上げられた海の底に登っている、というのはなかなか含蓄のある話です。

下の写真は、冬に剣山へ登ったときに撮ったものです。正面に見えるのが次郎笈(じろうぎゅう)、その奥へと四国山地が幾重にも連なっています。この山並みがまるごと、かつて海の底に積もった地層だと思って眺めると、見慣れた稜線も少し違って見えてきます。

剣山の山頂付近から次郎笈へ続く稜線と、幾重にも連なる四国山地
剣山から次郎笈へと続く稜線。奥に連なる四国山地の山々は、いずれも海底堆積物が削り取られて積み上がった付加体が隆起したものです。

この付加の歴史は、四国の地質図を見るとそのまま縞模様として刻まれています。北から南へ、地質帯が東西に延びる帯となって積み重なっており、しかも南へ行くほど地質が若くなります。海溝で削り取られた地層が次々と南側(海溝側)に付け加わり、古いものが順に北へ押し上げられてきたためです。四国の縞模様は、付加体が南へ南へと成長してきた年輪のようなものです。そして一番南の地質帯のさらに南、海の中に現在の南海トラフがあります。

四国の地質図。地質帯が東西に帯状に並び、南へ行くほど新しい付加体になる
四国の地質図。北(上)から南(下)へ地質帯が帯状に並び、南へ行くほど新しい付加体になります。付加体が南へ成長してきた歴史が、そのまま地図上の縞模様として読み取れます。出典:産総研 20万分の1日本シームレス地質図

なお、いちばん北のピンク色の領域と、その南側との境界は中央構造線という別起源の大断層です。これは沈み込みでできた付加体の帯とは成り立ちが異なるので、分けて見ると地質図がより読み解けます。中央構造線についてはフォッサマグナの記事でも「面」と「線」の違いとして触れています。

南海トラフの沈み込み角度が緩いことが、ここで効いてきます。浅い角度でプレートが入り込むほど、堆積物をこそげ取る「排土板」の作用範囲が広くなり、付加体が大きく発達します。西南日本の太平洋側に、赤石山脈・紀伊山地・四国山地と高い山地が帯状に連なっているのは偶然ではありません。南海トラフに平行して、削り取られた地層が次々と積み上げられてきた結果です。

四国山地は今も隆起している

付加体の積み重ねは過去の話ではありません。四国山地は現在も隆起を続けています。推定される隆起量は、剣山地の中央部でおよそ年2.5mm、石鎚山地付近で年2.0mmほどです。

年2.5mmと聞くと地味ですが、これを100万年続ければ2,500mになります。実際には侵食で削られる分があるので単純計算どおりにはなりませんが、押し上げる力が今も働き続けていることは確かです。フィリピン海プレートが沈み込みをやめない限り、四国の山は伸び続けます。登るたびにわずかに高くなっている山に挑んでいる、と考えると、なかなか手強い相手です。

100〜150年に一度、プレートが跳ね上がる

同じ沈み込み運動が、山を作る一方で巨大地震も生み出します。「次に来る地震」として南海トラフが語られるのは、このメカニズムが原因です。

フィリピン海プレートが沈み込むとき、陸側のプレートとの境界が強く固着している場所があります。固着したまま海のプレートが沈み込み続けると、陸側のプレートの先端が一緒に地下へ引きずり込まれ、ぐっと押し下げられていきます。バネを少しずつ縮めているような状態で、地下にはひずみが蓄積されていきます。

そして陸側のプレートが引きずり込みに耐えられなくなった瞬間、一気に跳ね上がります。この跳ね返りが巨大地震であり、海底が急激に持ち上がることで津波が発生します。縮めていたバネが限界で弾けるイメージです。

このひずみの蓄積と解放のサイクルが、南海トラフでは概ね100〜150年の間隔で繰り返されてきました。過去1,400年の記録を広く見れば、約90〜270年という幅で大地震が起きています。歴史に残る主な地震を並べると、その周期性がよくわかります。

  • 1707年 宝永地震(M8.6) — 東海・南海が同時に動いた連動型。わずか49日後に富士山が噴火(宝永噴火)しました
  • 1854年 安政東海地震・安政南海地震(M8.4級) — 東側が動いた約31時間後に西側が動く、時間差連動でした
  • 1944年 昭和東南海地震(M7.9)/1946年 昭和南海地震(M8.0) — 約2年の間隔をあけて連続発生しました
南海トラフ巨大地震のメカニズム。固着・ひずみ蓄積から跳ね上がり・津波発生までを3コマで示す図
固着によってひずみが蓄積し(左)、限界に達すると(中)、陸側プレートが一気に跳ね上がって海底が隆起し津波が発生します(右)。この繰り返しが巨大地震です。

注目すべきは、毎回まったく同じ起き方をするわけではないという点です。一度に全体が動くこともあれば、東と西が時間差で動くこともある。同じ場所で繰り返しているのに発生の仕方が毎回違うので、予測が難しい相手として知られています。前回の昭和の地震からすでに約80年が経過しており、地下では次のひずみが着実に溜まり続けています。

南海トラフ・フォッサマグナ・伊豆衝突 — 一枚のプレートの三つの仕事

ここで視野を少し広げると、面白い構図が見えてきます。四国の南で沈み込んでいるフィリピン海プレートは、別の場所ではまったく違う仕事もしているのです。

同じフィリピン海プレートは、伊豆半島を乗せたまま北へ進み、本州に正面から衝突しています。南海トラフでは「下に沈み込む」のに対し、伊豆のあたりでは「ぶつかって押し込む」。一枚のプレートが、場所によって沈み込みと衝突という二つの異なる働きをしているわけです。

そしてこの伊豆の衝突こそが、日本列島中央部のフォッサマグナを強く圧縮し、南アルプスを押し上げた原動力でもあります。つまりフィリピン海プレートは、四国・紀伊では付加体として山を作り、伊豆では衝突によって南アルプスを持ち上げている。日本の太平洋側の山々の多くが、結局はこの一枚のプレートの動きに行き着きます。日本の山がなぜここにあるのかを考えていくと、プレートというたった数枚の岩盤の振る舞いに、これほど多くの山が支配されていることに驚かされます。

登山で「見える」南海トラフの痕跡

南海トラフは海の底にあるので、その溝そのものを登山中に見ることはできません。しかし、その働きの結果は地上のあちこちに刻まれています。

四国山地や紀伊山地を歩いていると、層状に重なった硬い堆積岩の露頭に出会うことがあります。これが付加体の地層で、もとは海底に積もった砂泥が、プレートに削り取られて陸に押しつけられたものです。地層が大きく傾いていたり、複雑に折れ曲がっていたりするのは、付加体が形成されるときに強い力で押し込まれた証拠です。きれいに水平に積もったはずの地層がぐにゃりと曲がっているのを見ると、「これだけ曲げる力が働いたのか」と素直に感心します。

紀伊半島や四国の山が全体的に急峻で、深い谷が刻まれているのも、隆起が今も続いていることと関係しています。山が持ち上がるスピードに対して、川が懸命に削り込む。その綱引きの結果が、あの急な谷地形です。四国の山を歩いて「やけに谷が深いな」と感じたら、それは南海トラフが今も山を押し上げ続けているサインだと考えてよいでしょう。

防災のニュースで南海トラフという言葉を聞くと身構えてしまいますが、同じ力が四国山地や紀伊山地という登山フィールドを作り、今も育て続けています。地震を起こす力と、山を生み出す力は、まったく同じひとつの運動の表と裏です。次に西日本の山に登るとき、足元の地層が「持ち上げられた海の底」だと思い出すと、その山の見え方が少し変わるはずです。


プレート運動と山の成り立ちをテーマにした記事は「山の地質カテゴリ」にまとめています。フォッサマグナや日本の山とプレート運動の記事とあわせて読むと、日本列島の山がどのようにして生まれたのか、その全体像が見えてきます。

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