活断層 アーカイブ - 地球を感じる山登り 山の成り立ちを地質学から読み解く登山ブログ Wed, 14 Oct 2026 23:59:03 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.3 https://chikyu-yama.online/wp-content/uploads/2026/04/favicon_tozan-150x150.png 活断層 アーカイブ - 地球を感じる山登り 32 32 活断層とは何か——日本に2,000以上ある理由と、地図に浮かぶ「動く場所」の法則 https://chikyu-yama.online/katsudanso-basics/ https://chikyu-yama.online/katsudanso-basics/#respond Thu, 30 Jul 2026 11:54:11 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1992 活断層は、これまで何度もずれ動き、これからも動くと考えられている地下の割れ目です。日本に2,000以上ある理由、分布に現れる偏り、そして山を歩くと見えてくる断層の痕跡を、地形の写真と図解で解説します。

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活断層は、これまでに何度もずれ動き、これからもずれ動くと考えられている地下の割れ目です。地震のニュースでは必ずと言っていいほど名前が出てきますが、そもそも普通の断層と何が違うのか、なぜ日本にこれほど多いのかは、あまり説明されません。

活断層を理解するポイントは3つあります。ひとつは、日本に2,000以上もある理由が、列島を押しているプレートの動きにあること。ふたつめは、その分布が日本中に均等ではなく、はっきりと偏っていること。そして3つめは、活断層が地下に隠れているだけでなく、地表の地形として見える形で残っているということです。3つめは登山とも関係があります。私たちが歩いている谷や峠の一部は、断層がつくったものです。

活断層とは何か——くり返しずれてきた傷跡

地下の岩盤に割れ目ができ、その両側がずれたものを断層と呼びます。断層そのものは日本中の地下にあり、数え切れません。何億年も前に一度ずれたきり、その後まったく動いていないものも大量にあります。

このうち、地質学的に見て最近の時代にくり返し動いてきて、これからも動くと考えられるものが活断層です。地震調査研究推進本部(地震本部)は活断層を「最近の地質時代にくり返し活動し、将来も活動することが推定される断層」と定義しています。この「最近」がどれくらいかについては、約200万年前以降とする立場と、数十万年前以降とする立場があり、研究者によって幅があります。いずれにしても、人間の感覚からすると気が遠くなる長さです。

ここで大事なのは、なぜ同じ場所がくり返し動くのかという点です。理由は単純で、一度割れた面は周りより弱いからです。板を一度折ってから接着しても、次に力を加えたとき折れるのはたいてい同じ場所です。地下でも同じことが起きています。だから活断層は、過去に動いた記録がそのまま将来の予測材料になります。

ただし、そのくり返しの間隔は数千年から数万年に一度です。前回の地震から千年経っていても、地質の時間感覚ではまだ「さっき動いたばかり」の範囲に入ります。

断層とは何か——正断層・逆断層・横ずれ断層の分類

断層は、地下の岩盤に力が加わって岩石が破壊され、その割れ目を境に両側がずれた不連続面を指します。このずれ方の向きによって呼び方が変わり、代表的なものが正断層・逆断層・横ずれ断層の3種類です。

正断層は、地殻が両側から引っ張られる引張応力場でできる断層で、上側の岩盤(上盤)が下側の岩盤(下盤)に対して滑り落ちる形でずれます。逆断層はその逆で、横から圧縮される圧縮応力場でできる断層で、上盤が下盤の上にせり上がるようにずれます。

横ずれ断層は、斜め方向からの圧縮によって生じ、断層面を境に地盤が水平方向にすれ違うように動きます。ここまで見てきた活断層も、いずれかの分類に当てはまる動き方をしており、段差の向きやずれの方向から、どのタイプの断層かをある程度読み取ることができます。

なぜ日本には2,000以上もあるのか?

日本列島が、4枚のプレートに押し合われる場所にあるからです。

東からは太平洋プレートが、南からはフィリピン海プレートが、それぞれ日本列島の下へ沈み込んでいます。沈み込む板は列島を押し続けるので、陸地の岩盤には常に力がかかります。押され続けた岩盤はどこかで耐えきれなくなり、弱い面に沿ってずれます。これが内陸で起きる地震です。地震本部によれば、日本の陸域とその周辺の海域には2,000を超える活断層があるとされています。

2,000すべてを同じ精度で調べるのは現実的ではないので、地震本部は規模が大きく社会への影響も大きいものを選び、重点的に調査しています。これが主要活断層帯で、当初98だったものが見直され、現在は114の断層帯が対象になっています。ニュースで名前を聞く断層帯の多くはこの114に含まれます。

山を登る人にとっては、この「押され続けている」という状態こそが山の存在理由でもあります。押されて盛り上がった結果が山脈であり、押されて耐えきれずずれた結果が地震です。同じ力の、出力先が違うだけの話です。

関連記事:日本の山はなぜここにある? — プレート運動と山の成り立ち

地図に浮かぶ「動く場所」の法則

活断層は日本中に均等に散らばっているわけではありません。分布にははっきりとした偏りがあり、そこには理由があります。

密度がもっとも高いのは、中部地方から近畿地方北部にかけての一帯です。この地域は山地と盆地が交互に並び、その境目に沿って断層が発達しています。琵琶湖や京都盆地、奈良盆地といった平地が山に囲まれて点在するあの地形は、断層運動がつくったものです。

西日本では、中央構造線という日本最大級の断層に沿って帯状に並びます。四国から紀伊半島、そして長野県まで、1,000km以上にわたって列島を東西に貫く線です。

九州中部はやや事情が違います。ここは押されているというより、南北に引っ張られています。別府から阿蘇を経て島原へ、東西に細長い低地が並ぶのはそのためで、この引っ張りの力が地面を裂き、断層をつくっています。2026年7月28日に発生した令和8年熊本地震で動いたとみられる日奈久断層帯も、この動きの中にあります。

逆に、北海道北部などは活断層の密度が低い地域として知られています。密度が低いことと地震が起きないことは同じではありませんが、少なくとも「日本ならどこでも同じように活断層がある」わけではないことは、地図を見れば分かります。

関連記事:中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体/日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった

活断層の地震は、南海トラフの地震と何が違うのか?

大きな違いは、震源の深さとくり返しの間隔です。

活断層の地震と海溝型地震の違いを示す断面図
活断層の地震と海溝型地震の違い。震源の深さとくり返しの間隔が大きく異なる(イメージ図解)

活断層による地震は、地下5〜20kmという浅い場所で起こります。震源が浅いぶん、真上の地表が強く揺れます。規模を示すマグニチュードが同じでも、深い地震より被害が大きくなりやすいのはこのためです。地震の規模としては海溝型より小さくても、震源の真上にある町では激しい揺れになります。

一方、南海トラフのような海溝型地震は、海のプレートと陸のプレートの境界がずれるものです。震源域が広く、揺れは長く続き、津波を伴います。くり返しの間隔は100〜200年程度と短く、歴史の記録に何度も登場します。

この「間隔の差」が、活断層のやっかいなところです。海溝型は数百年に一度なので、前回からの経過年数がある程度の目安になります。しかし活断層は数千年から数万年に一度です。人間が文字を持ってからの歴史がせいぜい数千年であることを考えると、大半の活断層は「文字が生まれる前に最後に動いたきり」ということになります。記録が残っていないので、地面を掘って過去のずれを直接調べるしかありません。

関連記事:南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由

活断層は山でどう見えるのか?

地形として見えます。活断層は地下に隠れた存在のように語られがちですが、実際には地表に痕跡を残していて、慣れると地形図の上でも現地でも判別できます。

活断層が地表につくる地形の模式図
活断層が地表につくる4つの地形。谷の直線性と川の屈曲がとくに分かりやすい(イメージ図解)

分かりやすいのは、谷が不自然に一直線に伸びている場所です。断層の面は周囲の岩より砕けていて弱いため、水に削られやすくなります。その結果、断層に沿って細長い谷ができます。次の地形図は、長野県の分杭峠から大鹿村へ南北に伸びる谷です。

分杭峠から大鹿村へ一直線に伸びる中央構造線沿いの谷の地形図
分杭峠から大鹿村へ、定規で引いたように一直線に伸びる谷。中央構造線に沿う地形(出典:国土地理院)

山が複雑に入り組んでいるなかで、ここだけが直線です。国道152号もこの谷をたどっています。これが中央構造線に沿う谷で、大鹿村にはこの断層を直接観察できる露頭があり、国の天然記念物になっています。

私はこの谷を、東側の稜線から見たことがあります。南アルプスの三伏峠は標高約2,580mで、日本一高い峠とされています。ここから西へ下ると、その先が大鹿村です。

南アルプス三伏峠の標識
三伏峠。ここから西へ下る谷の先が、中央構造線沿いの大鹿村

登っているときは、ただ長い登りだとしか思っていませんでした。地図を見て、自分が越えてきた尾根と下っていく谷が別々の岩でできていて、その境目が日本を東西に分ける大断層だと知ったのは、帰宅してからです。峠で撮った写真には標識しか写っていません。

もうひとつ分かりやすいのが、断層に沿ってできた細長い湖です。長野県大町市の木崎湖・中綱湖・青木湖は、糸魚川静岡構造線という別の大断層に沿って一列に並んでいます。地図で見ると3つの湖が縦に整列していて、自然にできた配置とは思えない規則正しさです。

糸魚川静岡構造線に沿う木崎湖
木崎湖。糸魚川静岡構造線に沿って、3つの湖が南北一列に並ぶ

このほか、山から平野へ張り出した尾根の先が、切りそろえたように三角形の崖になっている場所や、尾根の稜線が断層のところだけ低くくぼんでいる場所も、断層の痕跡です。登山道の峠が妙に低く整っているとき、そこが断層である可能性はそれなりにあります。峠が歩きやすいのは地面が砕けているからで、ありがたいような、そうでもないような話です。

関連記事:糸魚川静岡構造線とは何か——日本を東西に分ける大断層、フォッサマグナの西縁を歩く

活断層の地図に線がない場所も、安全とは限らない

安全とは言えません。活断層の地図に線が引かれていない場所でも、大きな地震は起きています。

2000年の鳥取県西部地震はマグニチュード7.3でしたが、事前に活断層として知られていた場所ではありませんでした。2008年の岩手・宮城内陸地震も、地表にはっきりした断層のずれが現れにくいタイプでした。地下で断層が動いても、その上を軟らかい堆積物が厚く覆っていると、地表の地形には痕跡が残りません。地形から探す方法には、原理的にこの限界があります。

産総研の活断層データベースの説明では、単独で大地震を起こすような規模の陸上の活断層は、おおむねすべて発見されているとされています。その一方で、沿岸部や火山地域、そして活動度の低いものや短いものについては、まだ確認できていないものが存在する可能性があるとも書かれています。海の底も同じで、陸地のように歩いて調べるわけにはいきません。

つまり活断層の地図は、「危険な場所の一覧」ではなく「これまでに見つけられた場所の一覧」です。線が引かれている場所は確かに警戒が必要ですが、線がないことは安全の証明にはなりません。

活断層を地形として読む

活断層は、日本列島が4枚のプレートに押され、引っ張られ続けていることの帰結です。列島が押されて盛り上がった結果が山であり、耐えきれずにずれた結果が内陸の地震です。山を登る行為と地震のニュースは、地下では同じ力につながっています。

そして活断層は、地下に隠れているだけの存在ではありません。一直線の谷、整列した湖、不自然に低い峠として、地表に出ています。登山地図を眺めるとき、「この谷はなぜまっすぐなのか」と一度考えてみると、地形の見え方が変わります。何万年もかけて動いてきた線の上を、私たちは歩いています。

山の成り立ちをプレートの動きから読む記事は、こちらにまとめています。「山の地質」カテゴリの記事一覧

参考にした資料

地震調査研究推進本部「活断層」「主要活断層帯」/産業技術総合研究所 活断層データベース/国土地理院 地理院タイル(地形図)/気象庁 地震情報。地形図は地理院タイルをもとに作成し、地点の座標は国土地理院の地名検索によるものです。

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日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった https://chikyu-yama.online/hinagu-fault-kumagawa/ https://chikyu-yama.online/hinagu-fault-kumagawa/#comments Wed, 29 Jul 2026 12:45:14 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1958 2026年7月28日、熊本県で最大震度7の地震が発生しました。動いたとみられるのは日奈久断層帯——2016年の熊本地震で動かずに残っていた区間です。球磨川の源流から河口まで100マイルを走った経験から、八代平野が揺れた理由を地形から読み解きます。

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日奈久断層帯(ひなぐだんそうたい)は、九州が南北に引き裂かれる動きによって生まれた、全長およそ81kmの横ずれ断層帯です。2026年7月28日、この断層帯の一部が動いたとみられる地震が発生し、熊本県宇城市と氷川町で震度7の揺れが観測されました。

この地震を地形から読むポイントは3つあります。ひとつは、九州という島そのものが南北に引っ張られ続けているということ。ふたつめは、2016年の熊本地震で動かずに残っていた区間が、今回動いたとみられるということ。そして3つめは、強い揺れに見舞われた八代平野が、まさにその断層の運動によってつくられた土地だということです。

はじめにお断りしておくと、この記事は地震発生の翌日にあたる2026年7月29日時点で公表されている情報をもとに書いています。どの断層のどの区間が動いたのか、地面がどれだけ動いたのかは、いずれも速報値や暫定的な解析結果で、今後の詳しい調査で更新される見込みです。被害の状況も刻々と変わるため、本文では扱っていません。最新の情報は気象庁や国土地理院の発表を確認してください。

私は以前、球磨川の源流から河口までをたどるトレイルランニングの大会に出たことがあります。距離は100マイル(約160km)、登り下りの合計は9,000mを超えます。今回強い揺れが観測された地域は、そのコースの終盤と重なります。当時は「長い川沿いを走っている」としか思っていませんでしたが、あの道のりは地図の上の線ではなく、九州の地下構造を横切る断面そのものでした。

九州はいま、南北に引き裂かれている

九州の地図を広げると、大分から阿蘇を通って島原へ、東西に細長い低地が並んでいることに気づきます。別府湾、阿蘇のカルデラ、雲仙。これらが一直線に近い形で並んでいるのは偶然ではありません。九州が南北方向に引っ張られ、その中央部が帯状に落ち込んでできた地形で、別府–島原地溝と呼ばれます。地溝とは、両側から引っ張られた地面が短冊状に落ち込んだ低地のことです。

なぜ引っ張られるのか。南からフィリピン海プレートが斜めに沈み込んでいることと、九州の南西にある沖縄トラフが今も開き続けていることが関係しています。東北大学の研究グループは2018年、この地溝の地下構造を解析し、九州が南北に分裂しつつある実態を示しています。日本列島の他の場所が押し縮められているのに対して、九州の中央部だけは引き伸ばされているという、少し特殊な場所です。

地面が引き伸ばされるとき、壊れ方は大きく2通りあります。そのまま垂直に落ち込むか、横にずれるか。九州中部では両方が起きていて、日奈久断層帯は主に「横にずれる」タイプの断層です。プレートの動きが山と地形をつくる仕組みそのものについては、日本の山はなぜここにある? — プレート運動と山の成り立ちに整理しています。

海溝から沈み込むフィリピン海プレートと別府−島原地溝の断面図
地溝の真下では、プレートはすでに深さ約110kmまで潜っています(深さ・距離の根拠:気象研究所プレート形状モデル)

日奈久断層帯とは何か

地震調査研究推進本部の長期評価によると、日奈久断層帯は熊本県益城町の付近から南西へ延び、八代市を通って八代海の南部に達します。全体の長さはおよそ81km。ひとつながりの断層に見えますが、性質の違いから3つの区間に分けられています。

北東端の高野–白旗区間が約16km、中央の日奈久区間が約40km、そして南西端の八代海区間が約30kmです。それぞれ想定される地震の規模も異なり、日奈久区間ではマグニチュード7.5程度、八代海区間では7.3程度と評価されています。同じ評価では、日奈久区間が平均して3,600年から1万1,000年ほどの間隔で、八代海区間が1,100年から6,400年ほどの間隔で活動を繰り返してきたとされています。人の一生からすると気の遠くなる間隔ですが、地面にとっては定期的な出来事です。

球磨川の流路と実走コース、人吉盆地、八代平野、震度7を観測した地点の地形図
青い線が球磨川、赤い線が実際に走ったコース(GPSログ)。球磨川が源流から南西へ下り、人吉盆地を西へ抜けたあと、大きく北へ向きを変えて八代平野に出るU字型の流れがわかります。コースは川岸ではなく、その谷を見下ろす山を越えていきます(出典:国土地理院/河川データ:© OpenStreetMap contributors)

なぜ2016年には動かなかったのか?

結論から書くと、2016年に動いたのは隣の断層で、日奈久断層帯の大部分は力を溜めたまま残されていたからです。

2016年の熊本地震で大きくずれ動いたのは、布田川断層帯の布田川区間でした。日奈久断層帯は布田川断層帯と益城町付近で接していますが、このときは北端の一部が動いたにとどまり、南西へ延びる長い区間はほとんど動きませんでした。当時から、残された区間が今後の地震を起こす可能性は指摘されていました。

今回の地震について、東京大学地震研究所の酒井慎一教授は、2016年に動かずに残っていた日奈久断層帯の南の部分が動いた可能性があると述べています。気象庁の解析でも、この地震は東北東–西南西の方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型とされていて、日奈久断層帯の性質とよく一致します。震源の分布も、熊本市付近から八代市を通って八代海の北部へと、断層に沿った細長い帯状に並んでいます。

地面が実際にどれだけ動いたかは、国土地理院の観測に表れています。八代市の千丁に置かれた電子基準点は、北東方向におよそ87cm動き、あわせて約32cm沈み込みました(暫定値)。人工衛星から地表の変化を捉えるレーダー解析でも、日奈久断層帯の北西側で最大50cmほどの変動が確認されています。年に数ミリずつ溜めてきたひずみが、数十秒で解放されるとこうなります。なおこれらは暫定的な値で、今後の詳しい解析で更新されます。

源流から河口までの道のりは、九州の地質を横切る一本の線だった

球磨川リバイバルトレイルは、2020年7月の豪雨災害からの復興を掲げて2022年に始まった大会です。球磨川の源流にあたる水上村をスタートし、流域の山々を西へ横断して、河口の八代市に至ります。九州で初めての100マイル(約160km)レースでもあります。川岸をずっと下っていくのかというとそうではなく、球磨川が削った谷を見下ろす山をいくつも越えながら、源流から河口へ向かって少しずつ高度を落としていく設計です。

私が走ったときのGPSログが残っています。実際の移動距離は169km、登りの合計はおよそ9,300m、最高地点の標高は1,626mでした。そしてゴール地点の標高はほぼ0mです。1,600mから海面まで下る道のりを、山を越え直しながら進むことになります。この上下動そのものが、球磨川の流域がどれだけ複雑な地形をしているかを表しています。

このコースが地質的に面白いのは、球磨川そのものが普通の川ではないからです。産業技術総合研究所の地質調査総合センターは、球磨川がU字型の非常に特異な流路を持っていて、その形には地質構造の成り立ちが大きく関わっていると指摘しています。ふつう川はまっすぐ海を目指しますが、球磨川は一度西へ向かい、大きく曲がってから北西の八代へ抜けます。先ほどの地図で青く描いた線がその流路です。源流から人吉盆地までは南西へ下り、そこで向きを変えて西へ、さらに大きく北へ曲がってようやく海に出ています。地面の硬さと構造に、流れ方を決められているわけです。

人吉盆地——断層が沈めた平地

球磨川の上流部に広がる人吉盆地は、川が削ってできた谷ではありません。コース自体はこの盆地の北側の山地を越えていくので中心部は通りませんが、この盆地の成り立ちが球磨川という川の性格を決めています。産総研の解説によれば、人吉盆地は断層運動によってできた構造盆地で、およそ700万年から800万年前に形成が始まりました。南の縁には活断層があります。地面が断層に区切られて落ち込み、そこへ球磨川と川辺川が土砂を運び込み、さらに火山からの噴出物が何度も流れ込んで埋め立てられました。あの平らな土地は、削られてできたのではなく、沈んだところが埋まってできたものです。

球磨川の峡谷——硬い岩に阻まれた川

盆地を出ると、川は一転して深い谷に入ります。産総研の資料では、この下流部には硬い岩が分布していて、川が削りきれずに険しいV字谷をつくっていると説明されています。特に鍾乳洞で知られる球泉洞のあたりは、石灰岩を含む古い時代の硬い岩が集まっていて、流域でもっとも急峻な谷になります。海の底に積もった砂や泥、サンゴの殻が、長い時間をかけて大陸の縁に押し付けられて固まった岩です。それが1億年以上たって、川の行く手を阻んでいます。

逆に、地層のもろい場所では谷が広がります。同じ川なのに、区間によって谷の幅がまったく違うのはそのためです。走っていると、両側から山が迫ってくる区間と、急に空が広くなる区間が交互に現れます。地図の等高線で見ていたものが、そのまま視界の広さの変化として出てきます。

球磨川の峡谷区間と川沿いの道路
峡谷区間の球磨川。両側から山が迫り、川がぎりぎりの幅で谷を刻んでいます

この区間で印象に残っているのは、川でも山でもなく道路でした。舗装が大きく歪んだまま、あるいは段差になったまま残っている箇所がいくつもあったのです。地震で地面が動いた跡が、走った当時もまだそのままになっていました。足で踏んで越えるとき、地球が動かした結果を自分の脚で乗り越えているという感覚がありました。地質の話は普段どうしても「何百万年前に」という単位になりますが、あの段差だけは現在進行形でした。

それだけ強く覚えているのに、その道路の写真が一枚もありません。当時の私が何を撮っていたかというと、川と山ばかりです。地質のブログを書く未来がわかっていれば、真っ先にあの段差にカメラを向けていました。

八代平野——断層の縁にできた三角州

峡谷を抜けると、視界が一気に開けて八代平野に出ます。ゴール地点です。ここは球磨川が上流から運び続けた砂や泥が海際に積もってできた三角州で、南東側にはすぐ山地が迫っています。この山地と平野の境目を走っているのが、日奈久断層帯です。八代市が公開している防災の資料でも、日奈久断層帯は市内の平野部と山間部のあいだを走っていると説明されています。北西側が相対的に沈み、南東側が高いまま残ったことで、山と平野がくっきり分かれました。

八代平野と山地の境界を走る日奈久断層帯の活断層図
赤い線が活断層です。日奈久断層帯が、緑色の平野と灰色の山地の境目をなぞるように走っているのが見えます。震度7を観測した氷川町は平野側にあります(出典:国土地理院 活断層図)

地図で見ると、この関係はもっとはっきりします。国土地理院の活断層図に描かれた断層線は、平野と山地の境目からほとんど外れません。川が自然に削ってできた地形なら、境目はもっと入り組んだ形になるはずです。定規で引いたように直線的なのは、そこが地面の割れ目だからです。

山の上から見下ろした八代平野と八代海
ゴール手前、平野を見下ろす山の上から。手前に広がる平らな土地が八代平野で、その先が八代海です

この写真は、コース終盤に平野を見下ろす位置から撮ったものです。撮影地点の座標を地図に落とすと、山地と平野の境界にあたる場所でした。写真の中で、手前の斜面が断層の南東側に残された山地、その向こうに一気に開ける平らな土地が沈んだ側にあたります。境目が直線的で、山が平野に向かってなだらかに移り変わらないところに、断層の存在が出ています。空の色と枯れた下草から分かるとおり、3月上旬のよく晴れた午後でした。

つまり、レースのゴール地点は、断層がつくった低地に川が土砂を敷き詰めた場所ということになります。源流の山から河口の平野まで、私がこの流域を横断するのに38時間近くかかりました。丸一日半以上、ずっとこの地形の上にいたことになります。体力の方は完全に底をつきましたが、そのぶん、この土地の高さの変化を1メートル単位で味わいました。地図を眺めて理解するのと、38時間近くかけて全部踏むのとでは、同じ地形から入ってくる情報量がまるで違います。

なぜ八代平野で揺れが大きくなったのか?

震源が近かったことに加えて、平野そのものが揺れを大きくする構造だからです。

硬い岩盤の上では、地震の波は速く通り抜けます。ところが、砂や泥が厚く積もった柔らかい土地に入ると、波は速度を落とし、そのぶん振幅が大きくなります。浅い水路に波が入ると背が高くなるのと同じ理屈です。八代平野は球磨川が運んだ堆積物でできた土地なので、この増幅が起きやすい条件がそろっています。八代市自身も、平野部は地盤が軟らかいため建物の倒壊や液状化が懸念されると、以前から注意を促していました。

断層が地面を沈ませ、その窪みを川が埋め、その柔らかい土の上で揺れが増幅する。原因と結果が一本につながっています。人が住みやすい平らな土地は、たいてい断層と川がセットでつくったものです。

2020年の水害と、今回の地震

球磨川流域は2020年7月の豪雨で大きな被害を受けました。産総研は当時の緊急調査で、球磨川の特異な流路と流域の地質構造が、氾濫や斜面崩壊の起こり方に関わっていた可能性を指摘しています。狭い峡谷に大量の水が集まり、抜けきらずに上流側で溢れるという地形の条件がありました。

球磨川リバイバルトレイルのエイドステーション
コース途中のエイドステーション。「眠気に」「エネルギーに」と手書きの札が並び、地元の方々に支えられて成り立っている大会です

そして今回、同じ流域が地震に見舞われました。豪雨と地震はまったく別の現象ですが、被害の出方を決めた土台は同じです。断層が土地を切り分け、川がその間を削り、低い場所に土砂を敷き詰めた——その地形の上に、人の暮らしがあります。球磨川リバイバルトレイルという大会自体が水害からの復興を掲げて始まったことを思うと、この土地が地形と付き合い続けてきた歴史の重さを感じます。

断層にはまだ力が残っている

気象庁は、今回と同程度の揺れを起こす地震に1週間ほど注意するよう呼びかけています。実際、本震のあとも震度5弱の揺れが繰り返し観測されています。日奈久断層帯は3つの区間に分かれていて、今回動いたとみられる範囲の南西側、八代海の区間にはまだひずみが残っているとみる専門家もいます。

地震で緩んだ斜面は、そのあとの雨で崩れやすくなります。球磨川流域はもともと急峻な谷を抱えた土地です。揺れが収まったあとも、しばらくは山側の状況に注意が要ります。

なお、九州には「中央構造線」は存在しません。産総研は、九州中部では中央構造線に当たる断層線が地表に現れていないことを明確に説明しています。九州で語られる臼杵–八代構造線は、名前は似ていても別のものです。この違いについては中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体で扱っています。また、九州を引き伸ばしている力の源であるフィリピン海プレートの沈み込みは、南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由に書きました。

被災された地域の一日も早い復旧を願っています。

参考にした資料

地震の情報は2026年7月29日時点の発表内容です。数値には暫定値が含まれます。

山の成り立ちを地形から読む記事は山の地質にまとめています。

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糸魚川静岡構造線とは何か——日本を東西に分ける大断層、フォッサマグナの西縁を歩く https://chikyu-yama.online/itoigawa-shizuoka-tectonic-line/ https://chikyu-yama.online/itoigawa-shizuoka-tectonic-line/#respond Tue, 14 Jul 2026 22:28:06 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1566 糸魚川静岡構造線(糸静線)は、新潟県糸魚川市から静岡市付近まで日本列島を縦断し、列島を地質学的に東日本と西日本に分ける大断層です。フォッサマグナとの違い、形成史、断層の上を歩ける場所まで解説します。

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糸魚川静岡構造線(糸静線)は、新潟県糸魚川市から諏訪湖を経て静岡市付近まで日本列島を南北に縦断し、列島を地質学的に「東日本」と「西日本」に分ける大断層です。この線の西側には数億年前の古い岩盤が、東側には約2,000万年前以降の若い地層が接しています。つまり日本列島は、この一本の線を境に「年齢が桁違いの二つの土地」を貼り合わせた構造をしています。

ポイントは3つあります。糸静線は「フォッサマグナの西縁」であってフォッサマグナそのものではないこと。この断層が日本海の誕生と同時にできた「列島の折り目」であること。そして現在も動く活断層として、国内トップクラスの要注意断層であることです。

冬の遠見尾根から見下ろす大町側の谷と夕暮れの空
冬の遠見尾根から大町側を見下ろす。眼下の低地——大糸線と姫川が通るこの谷こそ、糸静線がつくった「列島の継ぎ目」です。

糸静線とフォッサマグナはどう違うのか?

結論:糸静線は「線」、フォッサマグナは「面」です。フォッサマグナは本州中央部に広がる巨大な溝状の地帯(大地溝帯)で、面的な広がりを持ちます。糸静線はその西の縁を区切る断層、いわば溝の「西側の壁」です。フォッサマグナミュージアムの解説でも、この二つの混同への注意が繰り返されています。当ブログのフォッサマグナとは何かでは溝の全体像を扱ったので、この記事は「壁」そのものの話です。

なお、日本列島にはもう一本「日本を分ける大断層」があります。西南日本を内帯・外帯に分ける中央構造線です。両者は諏訪湖付近で交差します。1億年級の断層と2,000万年級の断層が十字に交わる諏訪盆地は、日本の地質の交差点と言っていい場所です。

「日本を東西に分ける線」の名前は?——中央構造線との混同に注意

「日本列島を東西に分ける線」の名前は、糸魚川静岡構造線(糸静線)です。地図帳や教科書で「東日本と西日本の地質の境界」として登場するのはこの線です。ややこしいのは、線そのものは南北方向に走っていること。南北に走る線だからこそ、列島を東と西に仕切れるわけです。

よく混同されるのが中央構造線です。あちらは九州から関東へ、列島を横方向に貫く日本最長級の断層で、分けているのは西南日本の「北側と南側」。つまり、日本を東西に分けるのが糸静線、西南日本を南北に分けるのが中央構造線です。2本は諏訪湖の近くで交差しており、日本列島の骨組みはこの2本の大断層を覚えるだけで一気に読みやすくなります。

日本海の誕生と「観音開き」——糸静線はなぜできたのか

糸静線の起源は、日本列島の誕生そのものに遡ります。約2,000万年前、アジア大陸の東の縁が引き裂かれ、裂け目に海水が入り込みました。これが日本海の始まりです。このとき大陸から離れた日本列島は、東日本が反時計回り、西日本が時計回りに回転しながら移動しました。両開きの扉が開くような動きなので「観音開き」と呼ばれます。岩石に残る残留磁気の向きが東西日本で系統的に違うことが、回転の証拠です。

扉が二枚とも開けば、蝶番のところに大きな隙間ができます。その隙間がフォッサマグナであり、隙間の西側の切れ目が糸静線です。隙間には海が入り込み、2,000万年分の泥や火山噴出物が厚さ6,000m以上(推定。ボーリングでも基盤に未到達)積もりました。その後、フィリピン海プレートに押されて列島が東西圧縮に転じると、埋まった溝は隆起し、糸静線沿いは山と谷の列になりました。列島の「継ぎ目」は、できてから2,000万年経った今も列島でいちばん動きやすい場所であり続けています。

糸魚川静岡構造線の東西断面図:西側の古い岩盤とフォッサマグナの新しい堆積物
糸静線をまたぐ断面の模式図。西は数億年前の岩盤、東は2,000万年前以降の若い堆積物。一本の断層を境に地質の「年齢」が激変します。

断層の右と左で「2.5億年」ずれている

糸魚川市根知のフォッサマグナパークには、糸静線を人工的に掘り出した露頭があります。糸魚川ジオパークの解説によると、断層破砕帯を挟んで西側は約2.7億年前の岩石、東側は約1,600万年前の岩石。指を10cm動かすだけで、地質年代が約2.5億年ジャンプします。恐竜が登場する前の岩と、日本海ができた後の岩が、破砕帯を挟んで隣り合っているわけです。地質学では日常ですが、冷静に考えるとかなり乱暴な隣人関係です。

この東西差は、山の姿にもそのまま現れます。糸静線の西側にそびえる北アルプスは古い岩盤が隆起した山脈で、東側の妙高山・八ヶ岳・富士山・箱根はフォッサマグナの溝に噴き出した若い火山の列です。「岩の山脈」と「火山の列」が谷一本を挟んで向かい合う——この構図が読めると、中部山岳の地図の見え方が変わります。

糸魚川静岡構造線の位置図:糸魚川から白馬・松本・諏訪湖・韮崎を経て静岡へ
糸静線の概略ルート。糸魚川から姫川沿いに南下し、白馬・松本・諏訪湖を経て静岡へ抜けます(出典:国土地理院の地図を加工。赤線は概略位置)。

糸静線の上を「歩ける」場所

大断層の面白いところは、巨大すぎて逆に生活の中に溶け込んでいることです。糸静線の谷を、JR大糸線が糸魚川から松本まで律儀になぞって走ります。青木湖・中綱湖・木崎湖の仁科三湖は断層の溝に並んだ構造湖。戦国時代に塩を運んだ「塩の道」も、険しい姫川渓谷を避けて断層沿いの低地を通りました。断層が交易路を決め、いまは鉄道路線を決めている——2,000万年前の地殻変動が、現代の時刻表に反映されている構図です。

小熊山から見下ろす木崎湖と大町の谷、手前に自転車
秋の自転車旅で、小熊山の草原から見下ろした木崎湖(仁科三湖)。断層の溝に水が溜まった構造湖で、湖も、湖畔の集落も、水田も、糸静線がつくった細長い低地に収まっています。

私は秋に、この谷を大町から白馬まで自転車で走ったことがあります。ロードバイクでも気づくほど、谷は不自然なくらい「まっすぐ」です。小熊山の中腹から木崎湖を見下ろしたとき、細長い湖と細長い水田と細長い集落が一直線に並んでいるのを見て、ようやく腑に落ちました。この土地の形を決めているのは川でも人でもなく、断層です。自転車のペダルを漕ぎながら、2,000万年前の裂け目の底をなぞっていたわけです。

私自身がこの断層を最も意識するのは、厳冬期の遠見尾根に登るときです。テント泊装備を担いで尾根に上がると、東には大町・白馬の谷が一本の帯のように延び、その向こうにフォッサマグナ側の山々が霞みます。足元の後立山連峰は古い岩盤、谷の向こうは若い火山地帯。「いま列島の継ぎ目を見下ろしている」と思うと、湯を沸かす間も景色に意味が増します。なお冬の遠見尾根についてはカクネ里氷河に通った記録で詳しく書いています。

手軽に「断層そのもの」を見たいなら、前述のフォッサマグナパーク(糸魚川市、冬季閉鎖あり)が決定版です。露頭のすぐ近くには、日本海がここまで来ていた証拠である日本最大級の枕状溶岩「車石」もあります。諏訪湖では、断層の横ずれで地面が引き裂かれてできた凹地に水が溜まった「プルアパート盆地」を、湖を見下ろす立石公園から一望できます。湖でワカサギを釣っている足の下が、二つの大断層の交差点です。

新倉断層——糸魚川静岡構造線の断層面を直接見られる露頭

糸静線を実際に歩いて確かめられる地点として、山梨県南巨摩郡早川町新倉の「新倉断層」があります。内河内川左岸に位置し、2001年に国の天然記念物に指定されている露頭です。

アクセスは県道37号(南アルプス公園線)を北上し、小之島トンネルを抜けた先に駐車場と案内板があり、そこから徒歩約5分です。露頭では、西側の先新第三系黒色粘板岩が、東側の新第三系中新統凝灰岩類の上にのし上がっている様子が明瞭に観察できます。

糸静線の東西で年代の異なる岩盤が接する境界を、実際の断層面として直接目視できる点で、フォッサマグナパークや仁科三湖とはまた違った角度から大断層を体感できる場所です。

活断層としての糸静線——次はいつ動くのか?

糸静線は過去の遺物ではなく、現役の活断層帯です。政府の地震調査研究推進本部は、糸魚川−静岡構造線断層帯(活断層帯としての評価区間は全長約158km)を4区間に分けて評価しています。特に松本盆地から諏訪湖にかけての中北部区間は、M7.6程度の地震の30年以内発生確率が14〜30%と、国内の活断層で最高クラスです。平均活動間隔600〜800年に対し、前回の活動から1,000年前後が経過しているとみられています。

実際、2014年には白馬村で神城断層地震(M6.7)が発生し、糸静線北部の断層が地表にずれを残しました。国が評価する約110の主要活断層帯で、地表に断層が現れた地震はこれが初めてです。登山者にとって糸静線の谷は北アルプスの玄関口ですが、そこが列島で最も動きやすい断層の一つだという事実は、頭の隅に置いておく価値があります。

「継ぎ目」から日本の山を読む

糸静線がフォッサマグナの「西の壁」なら、溝の中身と東の火山列の話はフォッサマグナとは何かで読めます。もう一本の大断層は中央構造線とは何かへ。この2本の大断層とフォッサマグナを、リニア中央新幹線が一路線でどう越えるのかはリニアが越える日本の3大地質構造で読めます。日本列島の骨組みを俯瞰するなら日本の山はなぜここにある?がハブ記事です。「山の地質」カテゴリで、山の成り立ちをプレートレベルで解説しています。

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中央構造線とは何か——一部区間はM8級地震を起こしうる活断層でもある https://chikyu-yama.online/median-tectonic-line-geology/ https://chikyu-yama.online/median-tectonic-line-geology/#respond Tue, 30 Jun 2026 08:54:15 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1459 関東から九州まで1,000kmにわたって日本列島を貫く大断層「中央構造線」。フォッサマグナと並ぶこの巨大構造が、どのようにして生まれ、なぜ西日本の山々を南北で別の岩石に塗り分けているのかを、地球規模のスケールで読み解きます。

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山の地質を調べていると、フォッサマグナと並んでもう一つ、必ずと言っていいほど登場する言葉があります。中央構造線です。南アルプスでも、紀伊山地でも、四国の山でも、地質の話になると決まってこの線が顔を出します。先日の南海トラフの記事で四国の地質図を載せましたが、あの「北のピンク色と南の境界」がまさに中央構造線でした。

フォッサマグナが日本列島を南北に走る「溝」だとすれば、中央構造線は西日本を東西に貫く「線」です。どちらも日本列島の骨組みを決めている大構造ですが、性質はまったく異なります。この記事では、関東から九州まで1,000kmにわたって延びるこの大断層を、地球規模のスケールで整理します。

中央構造線とは何か

中央構造線(メディアンテクトニックライン、MTL)は、関東地方から九州地方まで1,000km以上にわたって延びる、日本最大級の断層です。長野県の諏訪湖の南から、赤石山脈(南アルプス)、紀伊半島、四国を通り、九州西部の八代付近まで、ほぼ一直線に日本列島を横断しています。

ただの断層ではありません。中央構造線は「構造線」です。構造線とは、たくさんずれ動いた結果、両側にまったく違う種類の岩石が並んでしまった、地質の境界線のことを指します。中央構造線を境に、北側と南側ではできた岩石も、生まれた環境も、年代も異なります。一本の線を越えると、地球の履歴書が別のページに切り替わるわけです。

中央構造線が関東から九州まで日本列島を横断する地図
[図解: 中央構造線の縦断地図(諏訪湖〜赤石山脈〜紀伊半島〜四国〜九州西部)と内帯・外帯]
中央構造線の全体像と、糸魚川静岡構造線・諏訪湖との位置関係を示した図
中央構造線の全体像。九州から関東まで約1,000km延び、諏訪湖付近で糸魚川静岡構造線と交差します。線を挟んだ北と南では、岩石の生い立ちがまったく違います。

中央構造線の二つの顔 — 「地質境界」と「活断層」

中央構造線を理解するうえで、最初に押さえておきたいのが「二つの顔」を持っているという点です。これを混同すると話がややこしくなります。

一つめは地質境界としての中央構造線です。これは約1億年前にできた、日本列島の「古傷」です。北側と南側で異なる岩石を分ける境界線で、九州から関東まで1,000km以上連続しています。

二つめは活断層としての中央構造線です。こちらは現在も動いている断層で、四国から紀伊半島西部にかけて分布しています。古傷である地質境界の一部を「通り道」として再利用し、今も活動を続けています。政府の地震調査研究推進本部によれば、和歌山市付近の区間が動くと、内陸型地震としては最大級のマグニチュード8.0程度の地震が起きる可能性があるとされています。

ここで面白いのが、地質境界は九州まで延びているのに、活断層としての中央構造線は九州には存在しないとされている点です。2016年の熊本地震のあと、産総研(産業技術総合研究所)が「九州には中央構造線(活断層)はない」という見解を示しました。「古傷」はあっても、「今も痛む傷」は九州まで届いていない、ということです。同じ名前なのに地域によって意味が変わるので、ニュースで中央構造線という言葉を聞くときは、どちらの顔の話なのかを区別すると混乱せずに済みます。

中央構造線の二つの顔(地質境界と活断層)を対比する図
中央構造線の二つの顔。地質境界(左・約1億年前の古傷・九州〜関東)と活断層(右・現在も活動・四国〜紀伊)は、分けて理解すると正確です。

中央構造線はどうやってできたのか

中央構造線の誕生は、日本列島がまだアジア大陸の一部だった時代までさかのぼります。

今から約1億年前、白亜紀と呼ばれる時代のことです。当時、日本列島にあたる場所は大陸の縁にあり、海洋プレートが沈み込んでいました。この沈み込みによって、二種類のまったく異なる岩石が、隣り合わせで作られていきます。

北側(内帯)では、地下深くでマグマが大量に生まれ、領家変成岩や花崗岩ができました。これらは「高温・低圧」の環境で作られた岩石です。一方、南側(外帯)では、沈み込み帯の深い場所で三波川変成岩という「低温・高圧」の岩石が作られました。同じ時代に、すぐ隣で、正反対の条件の岩石が並行して生まれていたわけです。

そして、プレートの運動方向が斜めにずれる「横ずれ」に変わったことで、これらの岩石が大きく水平移動しました。低温高圧の外帯の岩石が、高温低圧の内帯の岩石とぴたりと接するようにずれ動き、その境界が中央構造線になりました。本来なら地下の深さも生まれた場所も違う岩石どうしが、横ずれ運動によって地表で隣り合わせになってしまった——これが中央構造線の正体です。深さ何十kmも離れて生まれた岩石が今は肩を並べているのですから、地球の地殻はなかなか乱暴な引っ越しをするものです。

中央構造線ができるまでの3段階を示す図
中央構造線ができるまで。白亜紀の沈み込みで内帯(領家帯・花崗岩)と外帯(三波川帯・結晶片岩)が別々に生まれ、横ずれ運動で接した境界が中央構造線です。

中央構造線と山 — 西日本を南北で塗り分ける

中央構造線の北側を内帯、南側を外帯と呼びます。この区分は、西日本の山々の性格をそのまま決めています。

内帯(北側)は、領家帯の花崗岩が広く分布する地域です。花崗岩は風化すると白っぽく明るい山肌をつくります。外帯(南側)は、三波川帯の結晶片岩が分布します。結晶片岩は薄く板状に剥がれやすく、緑がかった独特の岩肌を見せます。南海トラフの記事で触れた四国山地は、まさにこの外帯(三波川帯や四万十帯)にあたります。

つまり、西日本の山に登るとき、中央構造線のどちら側にいるかで足元の岩石が変わります。紀伊半島でも四国でも、北へ行くか南へ行くかで「白い花崗岩の世界」と「緑の結晶片岩の世界」が切り替わる。普段は意識しませんが、地質図を片手に歩くと、その境目を踏み越えた瞬間が地図の上でわかります。山の色合いがどことなく違うな、と感じたら、中央構造線をまたいでいるのかもしれません。

中央構造線を境にした内帯と外帯の岩石の違いを示す断面図
[図解: 内帯(領家帯・花崗岩)と外帯(三波川帯・結晶片岩)を分ける中央構造線の断面]

中央構造線を「見る」場所

中央構造線は、その存在を地表で実感できる場所がいくつもあります。代表的なのが、長野県の大鹿村周辺です。

大鹿村は南アルプスの主峰・赤石岳のふもとに位置し、村のほぼ真下を中央構造線が通っています。ここには日本で唯一の中央構造線博物館があり、断層が地表に露出した「露頭」も複数公開されています。国の天然記念物に指定された北川露頭では、内帯の岩石と外帯の岩石が破砕されながら接している様子を直接見ることができます。2012年に新たに見つかった程野露頭では、幅8mほどの断層破砕帯が観察できます。

近くにある分杭峠(ぶんぐいとうげ)は、中央構造線の真上に位置し、「ゼロ磁場のパワースポット」として有名です。スピリチュアルな人気を集めている場所ですが、その正体は地質の大断層の上にある峠というのが地学的な見方です。神秘的な売り出され方をしている場所の足元に、1億年前の地殻変動の痕跡が走っている——というのは、なかなか味わい深い組み合わせだと思います。

もう一つ、中央構造線がよく現れるのが直線的な地形です。断層に沿って岩盤が砕かれているため、その帯は侵食されやすく、まっすぐな谷をつくります。諏訪湖から大鹿村にかけて、国道152号がほぼ中央構造線をなぞるように走っているのも偶然ではありません。地図を広げて、不自然なほどまっすぐな谷が南北に続いていたら、その下に大断層が隠れている可能性が高いです。

フォッサマグナと中央構造線はどう違うのか

最後に、混同されやすいフォッサマグナとの違いを整理しておきます。どちらも日本列島の大構造ですが、性質はまったく別物です。

フォッサマグナは「面」です。日本列島を南北に走る、幅100km以上の帯状の地質構造帯で、約2,000万年前以降に厚い地層が溜まった、比較的新しい立体的な構造です。これに対して中央構造線は「線」です。西日本を東西に横断する一本の断層で、約1億年前に生まれた、ずっと古い構造です。

この二つは、静岡県付近で交差します。南北のフォッサマグナと東西の中央構造線が、ちょうど十字に交わるのです。フォッサマグナの西縁である糸魚川-静岡構造線と中央構造線を同じものと勘違いしている説明をときどき見かけますが、走る方向も年代もまったく違う別の構造です。「新しい南北の溝」と「古い東西の線」、この二本を頭の中で分けておくと、日本列島の地質はぐっと整理して理解できます。

フォッサマグナと中央構造線が静岡で十字に交差する図
フォッサマグナ(面・南北)と中央構造線(線・東西)は、静岡県付近で十字に交差します。性質も年代もまったく異なる別の構造です。

日本列島の地下には、こうした大構造が何本も走り、互いに交差しながら現在の地形を形づくっています。日本の山がなぜここにあるのかを追いかけていくと、プレート運動という大きな力と、それが刻んだ中央構造線やフォッサマグナといった構造に、何度も行き当たります。西日本の山に登るとき、足元のどこかに1億年前の大断層が走っていると思うと、見慣れた稜線も少し違って見えてくるはずです。


プレート運動と山の成り立ちをテーマにした記事は「山の地質カテゴリ」にまとめています。フォッサマグナ・南海トラフ・日本の山とプレート運動の記事とあわせて読むと、日本列島の骨組みがどのように作られたのか、その全体像が見えてきます。

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