モンブラン アーカイブ - 地球を感じる山登り 山の成り立ちを地質学から読み解く登山ブログ Wed, 16 Sep 2026 09:07:15 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.3 https://chikyu-yama.online/wp-content/uploads/2026/04/favicon_tozan-150x150.png モンブラン アーカイブ - 地球を感じる山登り 32 32 モンブランで誰もピッケルにリーシュを付けていなかった——調べたら、日本と欧州は違うものを議論していた https://chikyu-yama.online/ice-axe-leash-japan-europe/ https://chikyu-yama.online/ice-axe-leash-japan-europe/#respond Wed, 16 Sep 2026 09:02:19 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=2229 モンブランで見たのは、リーシュを付けずにピッケルを持つ登山者ばかりでした。日本では「必ず付ける」が常識です。この差を出典をたどって調べたところ、スイス山岳会が2014年に「外せ」と公式に書いていた一方で、日本の公的団体には着用の規定がなく、しかも両者が指している「リーシュ」が別物である可能性が見えてきました。

投稿 モンブランで誰もピッケルにリーシュを付けていなかった——調べたら、日本と欧州は違うものを議論していた は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
この夏モンブランに登って、ずっと引っかかっていたことがあります。まわりの登山者もガイドも、ピッケルにリーシュ(流れ止め)を付けていませんでした。素手で持ち、休むときはザックに挿す。それだけです。日本の雪山では、リーシュを付けるのがほぼ暗黙の了解になっています。私も付けています。同じ道具の同じ使い方で、なぜここまで扱いが違うのか。帰国してから出典をたどって調べたところ、思っていたのと違う結論に行き着きました。

ピッケルのヘッドと、取り付けられた黄色いウェビングのリーシュ
筆者のピッケル(Grivel Monte Rosa)。右に伸びる黄色いテープがリーシュで、この端を手首か体につなぐ

先に結論を3つ書きます。①スイス山岳会は2014年に「ハンドループは外せ」と公式に表明していました。②一方で日本の公的な指導団体には、リーシュ着用を義務づけた規定が見当たりませんでした。③そして最も意外だったのは、日本と欧州が「リーシュ」という言葉で別のものを指している可能性が高いことです。

夜明けのグーテ稜を登る登山者
夜明けのグーテ稜。ここから山頂まで、リーシュを付けた人をほとんど見なかった

日本の「必ず付ける」は、どこから来ているのか

まず自分の側を疑うところから始めました。日本でリーシュ着用が常識になっているなら、どこかに根拠があるはずです。

探した範囲では、公的な指導団体にリーシュ着用を義務づけた規定は見つかりませんでした。 日本山岳・スポーツクライミング協会の公認山岳コーチの検定基準を全文検索してみると、「リーシュ」「流れ止め」という語は一度も出てきません。出てくるのは「バンド(ショルダー、リスト)」で、これはピッケルの各部名称の一部として、ピック・アッズ・シャフト・スパイクと並べて挙げられているだけです。カッティングの実技評価に「シャフトの握りとバンドの調整」という項目はありますが、着用そのものを求める文言ではありません。

では何が「常識」を作っているのか。メーカーと小売と入門メディアでした。モンベルは「登はん中の落下や万が一の紛失を防ぐためにピッケルリーシュは必ず使用しましょう」と書いています。好日山荘は「雪山でピッケルを無くすと命に関わるので、必ず用意してください」。国際山岳ガイドが監修した記事にも「必ずリーシュコードをつけましょう」とあります。

つまり日本の暗黙の了解は、規則ではなく、道具を売る側と教える側の一致した推奨によって形づくられているということになります。これは悪いことではありません。ただ「決まりだから」ではなく「そう勧められているから」だと知っておくと、次の話が理解しやすくなります。

スイス山岳会は「外せ」と書いていた

欧州側には、驚くほどはっきりした文書がありました。スイス山岳会の機関誌『Die Alpen』2014年8月号、タイトルは「Handschlaufe weg vom Pickel」——ピッケルからハンドループを外せ、です。

リード文はこうです。「山岳ガイドと指導者の見解は一致している。ピッケルのハンドループは表面的な安全感しか与えず、実際には邪魔で、時に危険である。ゆえに使用は推奨されない」。同会の教育部門責任者は「店頭でほぼすべてのピッケルにハンドループが付いているのは、主に販売上の理由だ」とまで言い、記事はこう締めくくられます。「ピッケルにハンドループを付けた山岳ガイドを見たことがある人がいるだろうか?」

理由は主に3つ挙げられていました。ジグザグに登るたびに左右の手を持ち替える必要があり、最もバランスの悪い瞬間に両手を使う作業を強いられること。滑落したときに振り回されるピッケルが体を傷つけること。そして、雪にピッケルを埋めて支点を作るときに邪魔になること。

抽象論ではなく、実際の受傷事例も公表されています。スイスの山岳事故報告のプラットフォームに載った例では、4,000m峰の最終登高で両手が必要な岩場を、ピッケルをハンドループにぶら下げたまま通過した登山者が、足を滑らせた際に顔の前で揺れていたピッケルが当たり、上顎の前歯を2本折っています。

モンブランのボス稜
ボス稜。両側が切れ落ちた雪稜では、進む向きに合わせてピッケルを持ち替える場面が続く

モンブランのガイド会社の装備リストを何社か確認しましたが、リーシュを要求しているものは一つもありませんでした。英国のある会社にいたっては、ピッケルの項に「すべてのリーシュとストラップを外すこと。邪魔になる」と明記しています。私が現地で見た光景は、個人の好みではなく、そういう指導の結果だったわけです。

リストループ式・袈裟懸け式・リーシュなしの3種類を比較した図解
ピッケルのリーシュは3種類ある。欧州が「外せ」と言っているのは①で、日本のガイドが勧めるのは②(模式図)

ここで話が噛み合っていないことに気づいた

ここまで調べて、「やはり日本が遅れているのか」と思いかけました。ところが、決定的な行き違いがありました。

欧州が否定しているのは、手首に通すリストループです。 ドイツ語のHandschlaufe、フランス語のdragonne。いずれも「手首の輪」を指す語で、スイス山岳会の記事も、事故事例も、専門誌の議論も、すべてこのタイプを前提にしています。

一方、日本のガイドが勧めているものを読み直すと、多くが袈裟懸け式(ボディリーシュ)です。肩からたすき掛けにして体とピッケルをつなぐタイプで、手首は自由なままなので持ち替えができます。ヤマケイオンラインの記事も「袈裟懸けで体と連結するボディーリーシュがピッケルの持ち替えをしやすくおすすめ」と、まさに欧州が問題にした持ち替えの不便さを回避する形を勧めています。

上の図が、この記事でいちばん伝えたいところです。①と②は、手首につなぐか体につなぐかという違いだけでなく、持ち替えができるかどうかという決定的な差があります。つまり「欧州はリーシュを使わない、日本は使う」という対立は、正確には「欧州はリストループを否定した、日本は袈裟懸け式を選んだ」という話だった可能性があります。実際、日本のあるガイドは、欧州でリーシュを使わないという話について「あれはリストループを使わないという意味だ」と明確に解釈していました。同じ言葉で違うものを指したまま、比べていたことになります。

この視点で自分の装備を見直すと、確認すべきは「付けているかどうか」ではなく「どのタイプを付けているか」でした。手首に固定するタイプなら、欧州の批判はそのまま当てはまります。体につなぐタイプなら、批判の主要部分である持ち替えの問題は最初から起きません。

どちらの言い分にも、統計的な裏づけはなかった

調べていて最も意外だったのはここです。「リーシュのせいで負傷した」「リーシュのおかげで助かった」を数字で示した研究や遭難統計を、日欧どちらにも見つけられませんでした。

象徴的なやりとりがあります。ドイツ語圏の山岳安全専門誌で、読者が「スイス山岳会などがハンドループを外せと書いているが、どんな根拠で? もっと詳しい調査はあるのか」と質問しました。答えたのは同誌の編集者で山岳ガイドでもある人物ですが、返ってきたのは個別の事例と経験則でした。統計は出てきません。回答はこう締められています。「利点と欠点をすべて知ったうえで、自分で決めてください。ただし、もし転倒してピッケルで顔を負傷したとしても、驚かないでください」。

国際的な安全規格を作るUIAAのアイスツールの規格を読んでも、リーシュに関する記述は一語もありませんでした。規格として推奨も禁止もしていないということです(競技のアイスクライミングではリーシュ禁止と明記されていますが、これは登山ではなく競技の話です)。

つまりこれは、データで決着がついた問題ではなく、現場の判断が分かれたまま続いている問題です。そう理解すると、日本のメーカーが「必ず付けましょう」と書くことも、スイス山岳会が「外せ」と書くことも、どちらも誠実な立場表明として読めるようになります。

日本にも「いらない」と言うガイドがいる

「日本は全員リーシュ」も、実は正確ではありませんでした。国際山岳ガイドの近藤謙司氏は2015年の記事で、はっきり「ピッケルのバンドはいらない」と書いています。理由は欧州側とほぼ同じで、滑落したとき「バンドにつながったピッケルが凶器となって降り注いでくる」こと。そして「バンド類を付けずに手に一体化させて、つねに握っている感覚を覚え込ませるべき」だと述べています。

逆方向の例もあります。フランスのペツルは、氷河歩行用のピッケルについて、リーシュなしのモデルと、リーシュを同梱した別モデルの両方を売っています。ドイツの大手小売のガイド記事には「ピッケルは通常つねにハンドループ付きで使う」と、スイス山岳会と真逆のことが書かれています。

結局、国境で綺麗に分かれているわけではありませんでした。分かれているのは「ガイドや安全機関の実務判断」と「道具を売る側・教える側の標準案内」で、その力関係がたまたま日欧で逆になっている。私が現地で感じた違和感の正体は、これだったのだと思います。

で、自分はどうするか

この記事で「外すべきだ」と書くつもりはありません。安全に直結する話で、しかも統計的な根拠が存在しない以上、他人の装備を断定的に否定できる材料を私は持っていません。

そのうえで、調べた結果として自分の中で整理がついたことを3つ書きます。

ひとつめ。論点は「付ける/付けない」ではなく「どのタイプか」でした。リストループと袈裟懸け式は、利点も欠点もまったく別物です。両者を「リーシュ」とひとくくりにしたまま議論しても噛み合いません。

ふたつめ。欧州の議論は氷河とクレバスを前提にしている、という点です。持ち替えの頻度、支点を掘る作業、クレバスに落ちたときに絡む危険。これらは氷河を歩く前提の話で、氷河の少ない日本の厳冬期の稜線にそのまま持ち込めるとは限りません。ただし、この条件差とリーシュ慣行を結びつけて論じた公的な資料は見つけられなかったので、ここは私の推測です。

みっつめ。モンブランのような持ち替えが連続する雪稜では、リーシュレスに理があると、現場で歩いていて実感しました。ボス稜では稜線の向きに合わせて何度も持ち替えます。あそこで毎回手首の輪を外して付け替えていたら、確かに面倒だし、面倒だからこそ横着をして、そちらのほうが危なかったと思います。

そのうえで自分の話をすると、国内でもリーシュなしでいくことにしました。ヨーロピアンスタイルです。……と言うと格好がつくのですが、決め手は「モンブランで誰も付けていなかったから」で、要するに周りに流されただけです。流された後で出典をたどったら、流された方向にも一応の理屈はありました。順番が完全に逆なのは認めます。

もっとも、これを人に勧める気はありません。氷河のない日本の稜線に欧州の結論をそのまま持ち込めるとは限らない、と数段落前に自分で書いたばかりです。

ただ、これだけ食い違っている日欧の議論にも、はっきり一致している点がひとつだけありました。行動中にピッケルを失うと命に関わる、というところです。「外せ」と言っているスイス山岳会も、外した先でなくしてもいいとは一言も書いていません。手首の輪を否定する文章の中ですら、ピッケルは常に手にあるものとして話が進んでいます。

では、その「なくすと命に関わる」をどう埋めるか。私の答えは、本当に緊張する冬山にはピッケルを2本持っていくことです。実際にそうしています。リーシュは付けません。この形なら、滑落したときに紐の先で刃物が自分を追いかけてくることはありませんし、1本を落としても、もう1本が手元に残ります。リーシュが引き受けていた役割を、道具の数のほうに肩代わりさせているだけとも言えます。

難点は重さですが、最近の短めのピッケルは意外と軽いですし、雪山では「ピッケル2本あれば」と思う場面も割とあります。それを踏まえると、2本目のピッケルの重さは払う価値があると考えています。

そう考えると、本当の分かれ目はリーシュの有無ではないのだと思います。付けていてもいなくても、休憩でも、写真を撮るときでも、ピッケルを手から離さない。落としても止まるとは限らない斜面では、その習慣そのものが効きます。リーシュはあくまで、その習慣が破れたときの保険にすぎません。保険の是非を論じる前に、保険を使わずに済む持ち方を体に入れておく。私が調べた範囲でいちばん確かだったのは、たぶんここでした。

この夏のモンブランの山行そのものは、モンブラン登山記録——4,600mで引き返したに書きました。ほかの山の記録は、カテゴリ「登山記録」にまとめています。

投稿 モンブランで誰もピッケルにリーシュを付けていなかった——調べたら、日本と欧州は違うものを議論していた は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/ice-axe-leash-japan-europe/feed/ 0
モンブラン登山記録——4,600mで引き返した。山頂は「厚さ20mの氷のドーム」の上にある https://chikyu-yama.online/mont-blanc-climbing-record/ https://chikyu-yama.online/mont-blanc-climbing-record/#respond Tue, 08 Sep 2026 08:52:46 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=2123 西ヨーロッパ最高峰モンブラン(約4,806m)にグーテルートで挑んだ記録です。落石の名所・大クーロワールの通過、4,362mのヴァロ避難小屋、ボス稜の雪稜、そして4,600mでの撤退とヘリ下山まで。標高プロファイルと地質の見どころ付きで振り返ります。

投稿 モンブラン登山記録——4,600mで引き返した。山頂は「厚さ20mの氷のドーム」の上にある は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
モンブランは、フランスとイタリアの国境にそびえる西ヨーロッパ最高峰です。標高は「約4,806m」。歯切れの悪い書き方をするのには理由があって、山頂が岩ではなく氷のドームだからです。フランスの測量チームが隔年で公式測量をしており、2023年の値は4,805.59m。測量のたびに数m単位で変わります。夏休みにこの山へ、シャモニ側の定番であるグーテルートから向かいました。先に結果を書いておくと、山頂には届いていません。標高4,600m、残り200mほどのところで引き返しました。それでも、日本の山とはスケールがひとつ違う、氷と岩の4日間でした。

この記録のポイントは3つあります。①ルート前半は「強く砕かれた変成岩」の岩稜で、名物の落石地帯・グランクーロワール(大クロワール)を横切ること。②後半は氷河の上の雪稜歩きで、標高4,362mに緊急避難用の小屋(ヴァロ避難小屋)があること。③目指す山頂は岩ですらなく、厚さ15〜20mの氷の上だということ。

モンブラン・グーテルートの標高断面図。ニ・デーグルから山頂までの地形と主要地点、4,600mの撤退地点
グーテルートの断面。グーテ小屋までが岩の道、そこから先が雪と氷の稜線(地形断面:EU-DEM 25m)

順応日——標高3,800mのロープウェイ駅から氷の世界へ

いきなり4,800mに登ると高山病になるので、まずは高所順応です。シャモニの街(約1,000m)からロープウェイで一気にエギーユ・デュ・ミディ(3,842m)へ。20分で富士山より高い場所に運ばれるという、体に悪い乗り物です。展望台から雪の斜面に降り、ヴァレーブランシュ(白い谷)と呼ばれる氷河の上を半日歩いて、3,500m台の空気に体を慣らしました。

ヴァレーブランシュの雪原と針峰群
順応日のヴァレーブランシュ。足元は氷河の上で、周囲には花崗岩の針峰群が林立する

周囲に林立する尖塔群は「エギーユ(針)」と呼ばれます。モンブラン山塊の中心部は約3億年前——アルプスができるよりはるか前——にマグマが固まった花崗岩の塊で、その割れ目(節理)に沿って氷河と凍結融解が岩を剥ぎ取った結果、針の山になりました。花崗岩が絶景を作る理屈は日本の燕岳や甲斐駒ヶ岳と同じです。スケールは向こうが上ですが、理屈は輸入品ではなくどちらも地球製です。

なおこの遠征は家族同伴で、私が山に入っている間、家族はツェルマット観光やシャモニ谷のパラグライダー体験を満喫していました。下山後の報告会は、家族の「氷の宮殿がきれいだった」と私の「落石の音が怖かった」で、だいぶ温度差のある会になりました。

アタック日前半——「17分に1回」の落石地帯を朝イチで渡る

アタック前日は登山電車の終点ニ・デーグル(2,372m)から歩き出し、テートルース小屋(3,167m)に泊まりました。アタック日は未明に小屋を出発。ヘッドランプの灯りで岩稜を登り始めてすぐ、このルート最大の関門・グランクーロワールを横断します。

グランクーロワールは幅数十mの岩の溝で、上から絶え間なく石が落ちてきます。学術誌NHESSに掲載された観測研究によると、夏の68日間に記録された大規模落石は2,648件、1日平均39件。頻度が最も上がる夕方には17分に1回のペースになります。落石が少ない早朝に、一人ずつ、立ち止まらずに渡る——それがこの場所の作法です。私の横断中も、どこか上のほうでカラカラと乾いた音がしていました。心臓に良くない音です。

同じ研究グループの集計では、この一帯で夏1シーズンに平均3.7人が亡くなっています(1990年以降の平均)。一方、2019年夏の68日間に通過センサーが数えた横断は17,768回。単純に割ると、横断1回あたりの死亡率はおよそ0.02%、5,000回に1回です。登りと下りで2回渡るので、1回の登山では約0.04%、2,500人に1人。年間の交通事故死亡率(日本で約0.002%)の20倍を、数分の横断で引き受ける計算になります。数字にすると「たいしたことない」と「無視できない」のちょうど境目で、実際に渡ってみた感覚もそのあたりでした。

【閲覧注意】下の動画は、大クーロワールで登山者が岩の崩落に巻き込まれる瞬間の実際の映像です。かなり衝撃的な内容なので、苦手な方は再生せず読み飛ばしてください。落石の規模と速さを知りたい方だけ再生を。なお、巻き込まれた登山者は無事に救助されています。

大クーロワールで実際に起きた岩の崩落(2020年7月撮影、YouTube「Kate’s Climbing Stories」より)。落石の規模と速さは、文章より一度見たほうが早いです。巻き込まれた登山者はその後ヘリで救助されています
夜明けのグーテ岩稜。強く破砕された片麻岩のガレた斜面
夜明けのグーテ岩稜。岩はどれも角ばって砕けており、手で置いただけの積み木のような斜面が続く

なぜこんなに石が落ちるのか。理由は岩の素性にあります。意外なことに、このあたりはモンブランの代名詞である花崗岩ではありません。研究論文ではこの壁を「強く破砕された片麻岩と雲母片岩」と記載しています。花崗岩が貫入してくる前からあった古い変成岩の層で、もともと割れ目だらけのうえ、岩を凍りつかせて接着してきた永久凍土が温暖化で緩み、接着剤が剥がれるように崩れ続けているのです。実際に手をかける岩はどれも角ばって鋭く、グローブ越しでも「砕けた岩」だと伝わってきます。

アタック日後半——ボス稜、4,600mで引き返す

グーテ小屋(3,835m)を過ぎると岩は雪の下に消え、世界は白一色になります。ドーム・デュ・グーテ(4,304m)のだだっ広い雪原を越えると、稜線上にぽつんと銀色の箱が見えてきます。ヴァロ避難小屋、標高4,362m。ジュラルミン製の無人シェルターで、悪天候時の緊急避難専用です。中で泊まる計画は禁止ですが、この小屋の存在に何人の登山者が命を救われてきたかを思うと、見た目が物置なのは些細な問題です。

ドーム・デュ・グーテ付近から見上げるモンブラン山頂部とボス稜
山頂部の氷のドームとボス稜。稜線上の小さな構造物がヴァロ避難小屋(4,362m)

ヴァロ小屋から先が、ルートのハイライトであるボス稜です。「こぶ(ボス)」の名のとおり雪のこぶを2つ越えると、稜線は両側が切れ落ちた細い雪のナイフリッジになります。標高は4,500mを超え、空気は平地の6割弱。ロープを結び合い、3歩進んで1回深呼吸、のリズムでじりじり高度を上げます。不思議なもので、順応日に3,500mを歩いた体は確かに応えてくれていて、苦しいなりに足は前に出続けました。高所順応は筋トレと違って成果が見えませんが、確かに効いています。

この稜線では、進む向きに合わせて何度もピッケルを持ち替えます。そのとき周りの登山者もガイドも誰ひとり流れ止めを付けていないことが気になって、帰国してから調べ直しました。その顛末はモンブランで誰もピッケルにリーシュを付けていなかったに書いています。

ボス稜上部の細い雪稜と山頂方向
ボス稜上部。山頂から風に飛ばされた雪煙が旗のようにたなびいていた

ところが、そこから先が続きませんでした。標高4,600m付近、山頂までは残り200mほど。見上げた山頂部は雲に巻かれ、雪煙が真横に流れていました。山頂が嵐だったのです。ボス稜は両側が切れ落ちた細い雪稜で、ここで暴風につかまると逃げ場がありません。体調にも時間にも余裕はありましたが、割に合わない賭けだと判断して引き返しました。登山でいちばん難しいのは登ることではなく、あと200mを諦めることだと再確認した次第です。

踏めなかった山頂について、ひとつ書いておきたいことがあります。あそこにあるのは岩ではありません。岩の山頂(4,792m)は約40m西の氷の下に埋まっていて、登山者が立つのはその上に載った厚さ15〜20mの氷帽の頂点です。つまりモンブランの最高点は毎年少しずつ形を変える氷でできていて、公式標高が測量のたびに変わるのはこのためです。「何mの山に登ったか」が測った年によって違う。裏を返せば、次に来たときに立つ最高点は、今年の山頂とは別物ということになります。同じ山頂には二度登れない山だと思えば、持ち越しも悪くありません。

下山——山が閉鎖され、ヘリでクーロワールを越える

その日はグーテ小屋まで下って一泊。小屋の昼食はスパゲッティの山盛りでした。標高3,835mでは水は約87℃で沸騰するので、麺の茹で加減には多くを求めないのが大人というものです。行動後の体には何であれ塩気と炭水化物がごちそうでした。

ところが、この日の午後にルートそのものが閉鎖されました。猛暑で大クーロワールの落石が危険な水準に達したとして、サンジェルヴェ市がテートルース小屋とグーテ小屋の閉鎖を決めたのです。山頂の風で足を止められ、そのあとで山の入口を閉められた格好でした。

グーテ小屋の山盛りスパゲッティ
グーテ小屋のスパゲッティ。3,835mの食堂で出てくる炭水化物は無条件に正義
テートルース小屋と背後の岩壁、物資輸送のヘリコプター
下山日のテートルース小屋。物資輸送のヘリが行き交う。背後の岩壁が崩れやすい変成岩の正体

翌朝の下山は、歩きではありませんでした。閉鎖の理由が落石である以上、危険なクーロワールをもう一度歩いて渡るわけにはいきません。グーテ小屋の上からヘリコプターに乗り、クーロワールを空中で飛び越えて、テートルース小屋の上の氷河に降ろされました。危険区間だけを迂回する、という下山です。料金は一人およそ15,000円。安くはありませんが、飛行時間にして数分、グーテの岩壁の上を斜めに滑空していく間は、この山行でいちばんスリリングな時間でした。落石を避けるための搬送が、結果的にモンブランの一部を空から滑空する最高の遊覧飛行になったわけで、15,000円の使い道としては文句のない部類です。そこから先は自分の足で、ニ・デーグルを経てシャモニの街まで下りました。

次の便を迎えに飛び立つ山岳ヘリコプターと眼下の谷
次の登山者を迎えにグーテ小屋へ戻っていくヘリ。数分前まで自分もこの機体の中にいて、眼下にこの谷が広がっていた

谷を流れるアルヴ川は、氷河が岩盤を削った細かい岩の粉を含んで乳白色に濁っています。街のカフェから白い川と白い山頂を同時に眺めていると、氷河が今この瞬間も山を削っている音が、あの白さなのだと腑に落ちます。ついでに言えば、私を追い返した落石も同じ現象の一部です。山が削られる現場に、たまたま居合わせただけの話でした。

シャモニの街中を流れる乳白色に濁ったアルヴ川
シャモニの街中を流れるアルヴ川。氷河が岩盤を削った細かい岩の粉が溶け込み、乳白色に濁っている。この色は「氷河ミルク」と呼ばれる

帰ってから——アルプスと日本の山は「親戚」だった

最終日はイタリア側のプンタ・ヘルブロンネル(3,466m)へロープウェイで渡り、モンブラン山塊を反対側から眺めました。アルプスはアフリカ側のプレートとユーラシアプレートの衝突で盛り上がった山脈で、観測では今も年2mm前後隆起を続けています。大陸同士の衝突が山を作る構図はエベレストの山頂が海底だった話と同じで、氷河が山を削って絶景を作る構図は日本アルプスのカールやモレーンと同じ。そして日本にも、小さいながら本物の氷河が現存します。地球の仕組みに国境はなく、モンブランで見た風景の部品は、実は日本の山にもひと通り揃っています。

ヨーロッパアルプスとモンブランができるまでの3段階の断面図解。テチス海が開き、海底がアフリカ側の下へ沈み込んで海が閉じ、大陸衝突で3億年前の花崗岩が持ち上がった
アルプスとモンブランができるまで(断面模式図)。①海が開き ②海底が沈み込んで海が閉じ ③大陸どうしが衝突して、ヨーロッパ側の地下に眠っていた3億年前の花崗岩が持ち上がった。針峰群もボス稜も、この花崗岩体の上にある
プンタ・ヘルブロンネルから望むモンブラン山塊の針峰群と氷河
イタリア側から見たモンブラン山塊。花崗岩の針峰群の間を氷河が流れ下る

山行の記録は、カテゴリ「登山記録」でほかにも書いています。

投稿 モンブラン登山記録——4,600mで引き返した。山頂は「厚さ20mの氷のドーム」の上にある は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/mont-blanc-climbing-record/feed/ 0