モンブランは、フランスとイタリアの国境にそびえる西ヨーロッパ最高峰です。標高は「約4,806m」。歯切れの悪い書き方をするのには理由があって、山頂が岩ではなく氷のドームだからです。フランスの測量チームが隔年で公式測量をしており、2023年の値は4,805.59m。測量のたびに数m単位で変わります。夏休みにこの山へ、シャモニ側の定番であるグーテルートから向かいました。先に結果を書いておくと、山頂には届いていません。標高4,600m、残り200mほどのところで引き返しました。それでも、日本の山とはスケールがひとつ違う、氷と岩の4日間でした。
この記録のポイントは3つあります。①ルート前半は「強く砕かれた変成岩」の岩稜で、名物の落石地帯・グランクーロワール(大クロワール)を横切ること。②後半は氷河の上の雪稜歩きで、標高4,362mに緊急避難用の小屋(ヴァロ避難小屋)があること。③目指す山頂は岩ですらなく、厚さ15〜20mの氷の上だということ。

順応日——標高3,800mのロープウェイ駅から氷の世界へ
いきなり4,800mに登ると高山病になるので、まずは高所順応です。シャモニの街(約1,000m)からロープウェイで一気にエギーユ・デュ・ミディ(3,842m)へ。20分で富士山より高い場所に運ばれるという、体に悪い乗り物です。展望台から雪の斜面に降り、ヴァレーブランシュ(白い谷)と呼ばれる氷河の上を半日歩いて、3,500m台の空気に体を慣らしました。

周囲に林立する尖塔群は「エギーユ(針)」と呼ばれます。モンブラン山塊の中心部は約3億年前——アルプスができるよりはるか前——にマグマが固まった花崗岩の塊で、その割れ目(節理)に沿って氷河と凍結融解が岩を剥ぎ取った結果、針の山になりました。花崗岩が絶景を作る理屈は日本の燕岳や甲斐駒ヶ岳と同じです。スケールは向こうが上ですが、理屈は輸入品ではなくどちらも地球製です。
なおこの遠征は家族同伴で、私が山に入っている間、家族はツェルマット観光やシャモニ谷のパラグライダー体験を満喫していました。下山後の報告会は、家族の「氷の宮殿がきれいだった」と私の「落石の音が怖かった」で、だいぶ温度差のある会になりました。
アタック日前半——「17分に1回」の落石地帯を朝イチで渡る
アタック前日は登山電車の終点ニ・デーグル(2,372m)から歩き出し、テートルース小屋(3,167m)に泊まりました。アタック日は未明に小屋を出発。ヘッドランプの灯りで岩稜を登り始めてすぐ、このルート最大の関門・グランクーロワールを横断します。
グランクーロワールは幅数十mの岩の溝で、上から絶え間なく石が落ちてきます。学術誌NHESSに掲載された観測研究によると、夏の68日間に記録された大規模落石は2,648件、1日平均39件。頻度が最も上がる夕方には17分に1回のペースになります。落石が少ない早朝に、一人ずつ、立ち止まらずに渡る——それがこの場所の作法です。私の横断中も、どこか上のほうでカラカラと乾いた音がしていました。心臓に良くない音です。
同じ研究グループの集計では、この一帯で夏1シーズンに平均3.7人が亡くなっています(1990年以降の平均)。一方、2019年夏の68日間に通過センサーが数えた横断は17,768回。単純に割ると、横断1回あたりの死亡率はおよそ0.02%、5,000回に1回です。登りと下りで2回渡るので、1回の登山では約0.04%、2,500人に1人。年間の交通事故死亡率(日本で約0.002%)の20倍を、数分の横断で引き受ける計算になります。数字にすると「たいしたことない」と「無視できない」のちょうど境目で、実際に渡ってみた感覚もそのあたりでした。
【閲覧注意】下の動画は、大クーロワールで登山者が岩の崩落に巻き込まれる瞬間の実際の映像です。かなり衝撃的な内容なので、苦手な方は再生せず読み飛ばしてください。落石の規模と速さを知りたい方だけ再生を。なお、巻き込まれた登山者は無事に救助されています。

なぜこんなに石が落ちるのか。理由は岩の素性にあります。意外なことに、このあたりはモンブランの代名詞である花崗岩ではありません。研究論文ではこの壁を「強く破砕された片麻岩と雲母片岩」と記載しています。花崗岩が貫入してくる前からあった古い変成岩の層で、もともと割れ目だらけのうえ、岩を凍りつかせて接着してきた永久凍土が温暖化で緩み、接着剤が剥がれるように崩れ続けているのです。実際に手をかける岩はどれも角ばって鋭く、グローブ越しでも「砕けた岩」だと伝わってきます。
アタック日後半——ボス稜、4,600mで引き返す
グーテ小屋(3,835m)を過ぎると岩は雪の下に消え、世界は白一色になります。ドーム・デュ・グーテ(4,304m)のだだっ広い雪原を越えると、稜線上にぽつんと銀色の箱が見えてきます。ヴァロ避難小屋、標高4,362m。ジュラルミン製の無人シェルターで、悪天候時の緊急避難専用です。中で泊まる計画は禁止ですが、この小屋の存在に何人の登山者が命を救われてきたかを思うと、見た目が物置なのは些細な問題です。

ヴァロ小屋から先が、ルートのハイライトであるボス稜です。「こぶ(ボス)」の名のとおり雪のこぶを2つ越えると、稜線は両側が切れ落ちた細い雪のナイフリッジになります。標高は4,500mを超え、空気は平地の6割弱。ロープを結び合い、3歩進んで1回深呼吸、のリズムでじりじり高度を上げます。不思議なもので、順応日に3,500mを歩いた体は確かに応えてくれていて、苦しいなりに足は前に出続けました。高所順応は筋トレと違って成果が見えませんが、確かに効いています。
この稜線では、進む向きに合わせて何度もピッケルを持ち替えます。そのとき周りの登山者もガイドも誰ひとり流れ止めを付けていないことが気になって、帰国してから調べ直しました。その顛末はモンブランで誰もピッケルにリーシュを付けていなかったに書いています。

ところが、そこから先が続きませんでした。標高4,600m付近、山頂までは残り200mほど。見上げた山頂部は雲に巻かれ、雪煙が真横に流れていました。山頂が嵐だったのです。ボス稜は両側が切れ落ちた細い雪稜で、ここで暴風につかまると逃げ場がありません。体調にも時間にも余裕はありましたが、割に合わない賭けだと判断して引き返しました。登山でいちばん難しいのは登ることではなく、あと200mを諦めることだと再確認した次第です。
踏めなかった山頂について、ひとつ書いておきたいことがあります。あそこにあるのは岩ではありません。岩の山頂(4,792m)は約40m西の氷の下に埋まっていて、登山者が立つのはその上に載った厚さ15〜20mの氷帽の頂点です。つまりモンブランの最高点は毎年少しずつ形を変える氷でできていて、公式標高が測量のたびに変わるのはこのためです。「何mの山に登ったか」が測った年によって違う。裏を返せば、次に来たときに立つ最高点は、今年の山頂とは別物ということになります。同じ山頂には二度登れない山だと思えば、持ち越しも悪くありません。
下山——山が閉鎖され、ヘリでクーロワールを越える
その日はグーテ小屋まで下って一泊。小屋の昼食はスパゲッティの山盛りでした。標高3,835mでは水は約87℃で沸騰するので、麺の茹で加減には多くを求めないのが大人というものです。行動後の体には何であれ塩気と炭水化物がごちそうでした。
ところが、この日の午後にルートそのものが閉鎖されました。猛暑で大クーロワールの落石が危険な水準に達したとして、サンジェルヴェ市がテートルース小屋とグーテ小屋の閉鎖を決めたのです。山頂の風で足を止められ、そのあとで山の入口を閉められた格好でした。


翌朝の下山は、歩きではありませんでした。閉鎖の理由が落石である以上、危険なクーロワールをもう一度歩いて渡るわけにはいきません。グーテ小屋の上からヘリコプターに乗り、クーロワールを空中で飛び越えて、テートルース小屋の上の氷河に降ろされました。危険区間だけを迂回する、という下山です。料金は一人およそ15,000円。安くはありませんが、飛行時間にして数分、グーテの岩壁の上を斜めに滑空していく間は、この山行でいちばんスリリングな時間でした。落石を避けるための搬送が、結果的にモンブランの一部を空から滑空する最高の遊覧飛行になったわけで、15,000円の使い道としては文句のない部類です。そこから先は自分の足で、ニ・デーグルを経てシャモニの街まで下りました。

谷を流れるアルヴ川は、氷河が岩盤を削った細かい岩の粉を含んで乳白色に濁っています。街のカフェから白い川と白い山頂を同時に眺めていると、氷河が今この瞬間も山を削っている音が、あの白さなのだと腑に落ちます。ついでに言えば、私を追い返した落石も同じ現象の一部です。山が削られる現場に、たまたま居合わせただけの話でした。

帰ってから——アルプスと日本の山は「親戚」だった
最終日はイタリア側のプンタ・ヘルブロンネル(3,466m)へロープウェイで渡り、モンブラン山塊を反対側から眺めました。アルプスはアフリカ側のプレートとユーラシアプレートの衝突で盛り上がった山脈で、観測では今も年2mm前後隆起を続けています。大陸同士の衝突が山を作る構図はエベレストの山頂が海底だった話と同じで、氷河が山を削って絶景を作る構図は日本アルプスのカールやモレーンと同じ。そして日本にも、小さいながら本物の氷河が現存します。地球の仕組みに国境はなく、モンブランで見た風景の部品は、実は日本の山にもひと通り揃っています。


山行の記録は、カテゴリ「登山記録」でほかにも書いています。


