北海道 アーカイブ - 地球を感じる山登り 山の成り立ちを地質学から読み解く登山ブログ Wed, 16 Sep 2026 13:51:11 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.3 https://chikyu-yama.online/wp-content/uploads/2026/04/favicon_tozan-150x150.png 北海道 アーカイブ - 地球を感じる山登り 32 32 樽前山登山記録——1時間で「生きている火山」の縁に立てる、支笏湖ブルーと溶岩ドームの山 https://chikyu-yama.online/tarumae-climbing-record/ https://chikyu-yama.online/tarumae-climbing-record/#respond Mon, 27 Jul 2026 06:50:56 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1794 北海道の樽前山は、7合目から1時間ほどで「今も噴気を上げる溶岩ドーム」を目の前にできる世界的にも珍しい三重式火山です。支笏湖ブルーを背に外輪山を歩いた9月下旬の記録を、カルデラ・外輪山・ドームという三重構造の解説とあわせて紹介します。

投稿 樽前山登山記録——1時間で「生きている火山」の縁に立てる、支笏湖ブルーと溶岩ドームの山 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
樽前山(たるまえさん)は、登り始めて約1時間で「生きている火山」の縁に立てる山です。北海道・支笏湖の南岸にそびえる標高1,041mの活火山で、山頂の火口原には今も噴気を上げる溶岩ドームが鎮座しています。しかも背後に広がるのは支笏湖の青。火山の迫力と湖の絶景が、往復2〜3時間のハイキングでまとめて手に入る——コストパフォーマンスという言葉を山に使うのは気が引けますが、この山に関しては使わせてください。破格です。

9月下旬、家族での北海道旅行の初日にこの山を歩きました。登山記録とあわせて、樽前山が「世界的に珍しい火山」と呼ばれる理由を解説します。

樽前山の登山道から支笏湖を望む。「樽前山から支笏湖を望む」の標柱と紅葉し始めた低木
登り始めてすぐ、背後に支笏湖が広がります。9月下旬、木々は色づき始めでした。

ルート概要——7合目から東山へ、約1時間

登山口は樽前山7合目ヒュッテ(約660m)。すでに樹林帯の上部なので、歩き出して15分もすると視界が開け、振り返れば支笏湖の全景が見えます。道はよく整備された階段と砂礫の道で、危険箇所はありません。外輪山の縁までは約40分。そこから最高地点側の溶岩ドームは立入禁止のため、一般の登頂点である東山(1,022m)までさらに15分ほど歩きます。

樽前山と支笏湖の位置図。溶岩ドーム・東山・風不死岳・支笏カルデラ
樽前山は支笏カルデラの南縁に立つ火山。湖と山がセットで一つの火山地形です。出典:国土地理院

特筆すべきは道の足ざわりです。登山道の砂礫はよく見ると軽石だらけで、踏むたびにザクザクと乾いた音がします。これは過去の噴火で降り積もった軽石や火山灰。つまりこの山では、登山道そのものが噴火の堆積物でできています。序盤のハイマツと紅葉の道を抜けると植生はどんどん薄くなり、外輪山に近づく頃には月面のような砂礫の斜面になります。1時間で「森林→紅葉の低木→火星」と風景が切り替わるので、子ども連れでも飽きる暇がありません。

外輪山に出た瞬間、目の前に「あれ」が現れる

この山のクライマックスは山頂ではありません。外輪山の縁に立った瞬間です。それまで支笏湖を背にひたすら登ってきて、縁を越えた途端——視界の中央に、巨大な岩の塊がぬっと現れます。溶岩ドームです。周囲は植物のない平坦な火口原で、ドームの岩の隙間からは白い噴気がいくつも立ち上っています。初見の感想は「うわ、思ってたより生きてる」でした。

樽前山の溶岩ドームと噴気。外輪山から望む火口原
火口原の中央に座る溶岩ドーム。岩の隙間から絶えず噴気が上がっています。

このドームは1909年(明治42年)の噴火で、わずか数日のうちに地面から盛り上がって誕生したものです。高さは約134m。粘り気の強い溶岩が火口から押し出され、流れずにその場で固まってできました。誕生から100年以上たった今も内部は熱く、だから噴気が絶えないわけです。ドーム自体は火山ガスの危険があるため立入禁止ですが、外輪山の登山道からは安全な距離を保ちつつ、これ以上ないほどよく見えます。溶岩ドームを「外側からぐるりと観察できる」山は、日本ではかなり貴重です。

樽前山東山山頂の標識と火口原。遠景に支笏湖と羊蹄山
東山山頂から。火口原の向こうに支笏湖、さらに遠くには羊蹄山のシルエットまで見えました。

なぜ「世界的に珍しい」のか——三重式火山という構造

樽前山は「三重式火山」と呼ばれます。3つの火山地形が入れ子になっているという意味で、世界でも数例しかない構造です。

樽前山の三重式火山の構造図。支笏カルデラ・外輪山・溶岩ドームの三重構造
三重構造の断面。①カルデラ→②成層火山→③溶岩ドームと、親・子・孫のような関係です。

1段目は支笏カルデラ。約4万年前の巨大噴火で地面が丸ごと陥没してできた、直径十数kmのくぼ地です。そこに水が溜まったのが支笏湖。つまり登山中ずっと見えていたあの青い湖は、「先代の火山が吹き飛んだ跡」です。カルデラという地形の仕組みはカルデラ入門の記事で詳しく解説しています。

2段目はそのカルデラの縁に約9,000年前から成長した成層火山——いま私たちが登っている山体そのものです。そして3段目が、その山頂火口の中に1909年に生まれた溶岩ドーム。カルデラの中に火山、火山の中にドーム。約4万年・約9,000年・約100年という3世代の火山活動が、1枚の風景に同居しているわけです。東山からの眺めは、いわば地球の家族写真です。

下山は「親の顔」を見ながら

下山路は登ってきた道をそのまま戻ります。下りは終始、支笏湖に向かって歩く格好になるので、行きとは景色の主役が入れ替わります。正面に支笏カルデラ、その縁に風不死岳、湖の対岸には恵庭岳。実はこの風景に写っている山はぜんぶ、支笏カルデラができたあとにその縁に生えてきた「きょうだい火山」です。約4万年前の巨大噴火でぽっかり空いた穴の周りに、樽前山・風不死岳・恵庭岳が順番に育った。下りの40分は、その家族構成を眺めながらの復習タイムになります。

そして下山後のお楽しみが支笏湖畔の温泉です。火山に登って、カルデラ湖を眺めて、火山の熱で温まった湯に浸かる。地学的に完璧な導線と言うほかありません。湖畔でヒメマスの塩焼きでも食べれば、支笏カルデラをフルコースで味わったことになります。

アクセスとコースタイム

アクセス新千歳空港から車で約50分。支笏湖畔から樽前山7合目駐車場へ(林道区間あり・冬季閉鎖)
コースタイム7合目ヒュッテ→外輪山 約40分/外輪山→東山 約15分(往復2〜3時間)
駐車場7合目駐車場は好天の週末は早朝に満車になることが多い
装備日帰りハイキング装備+防風着。外輪山上は遮るものがない

登る前に知っておきたいこと

樽前山は気象庁が常時観測する活火山です。溶岩ドーム周辺は火山ガスのため立入禁止が続いており、登れるのは外輪山の東山まで。また噴火警戒レベルによっては入山自体が規制されるので、出発前に気象庁の火山情報を必ず確認してください。私たちが登った日も、風向きによってはドームの噴気が外輪山側に流れてきて、うっすら硫黄の匂いがしました。あの匂いの正体が「はるか昔に海だった水」だという話は、マグマは海の水から生まれるの記事で書いたとおりです。

装備は通常の日帰りハイキング装備で十分ですが、外輪山上は遮るものがなく風が強い日が多いので、防風着は必携です。トイレは7合目ヒュッテのみ。火口原側に下りる道もありますが、規制状況により通行の可否が変わります。

まとめ——「火山を学ぶ最初の一座」に最適

往復3時間弱で、カルデラ湖・成層火山・溶岩ドーム・噴気と、火山の教科書に出てくる要素をほぼ全部、実物で確認できる。しかも危険箇所なし、絶景つき。樽前山は「火山って面白いかも」と思うきっかけとして、これ以上ない一座だと思います。北海道旅行の行程に半日の余白があるなら、ぜひ組み込んでみてください。支笏湖畔の温泉とセットにすれば、火山の恵みをまるごと味わう一日になります。

山の成り立ちを地学の視点から解説した記事は「山の地質」カテゴリに、ほかの山行記録は「登山記録」カテゴリにまとめています。

投稿 樽前山登山記録——1時間で「生きている火山」の縁に立てる、支笏湖ブルーと溶岩ドームの山 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/tarumae-climbing-record/feed/ 0
オンネトー湯の滝——微生物が鉱石をつくる「生きた鉱床」を雌阿寒岳の麓で見る https://chikyu-yama.online/onneto-yunotaki/ https://chikyu-yama.online/onneto-yunotaki/#respond Fri, 24 Jul 2026 12:53:29 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1690 北海道・雌阿寒岳の麓にあるオンネトー湯の滝は、温泉が流れる滝の岩肌で微生物がマンガン鉱石をつくり続けている、世界的にも珍しい「生きた鉱床」です。ふつう海底でしかできない鉱床が陸上で見られる奇跡の現場を、実際に訪ねた写真とともに解説します。

投稿 オンネトー湯の滝——微生物が鉱石をつくる「生きた鉱床」を雌阿寒岳の麓で見る は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
北海道・雌阿寒岳の麓にあるオンネトー湯の滝は、ただの温泉の滝ではありません。滝の岩肌では今このときも、微生物がマンガンの鉱石をつくり続けています。ふつう海の底でしかできないはずのマンガン鉱床が、陸上で目の前で成長していく——世界的にも珍しいこの「生きた鉱床」は、国の天然記念物に指定されています。この記事では、実際に訪ねた写真とともに、この不思議な滝の地学的な意味を解説します。

オンネトー湯の滝の滝壺。オレンジ色の沈殿物と緑の藻が広がる
湯の滝の下流。オレンジや黒の沈殿、緑の藻——この色とりどりの被膜こそが、微生物が鉱物をつくっている現場です。ただの汚れに見えて、地球史級の営みが起きています。

まず場所——雌阿寒岳の懐、原生林の奥

オンネトー湯の滝は、日本百名山の雌阿寒岳(1,499m)の西麓、神秘の湖として知られるオンネトーから原生林を1.5kmほど歩いた先にあります。雌阿寒岳は今も活発な活火山で、その火山の熱が温泉となってこの滝に流れ込んでいます。まさに「生きている火山」の恵みが生んだ滝です。

雌阿寒岳・阿寒富士・オンネトー・オンネトー湯の滝の位置図
雌阿寒岳とオンネトー湯の滝の位置(出典:国土地理院の地図を加工)。活火山の裾に、湖と湯の滝が寄り添っています。

ちなみに、雌阿寒岳は火山ランキングの記事でも触れた、気象庁の常時観測対象の活火山です。近年は火山活動がやや活発で噴火警戒レベルが上がることもあるので、訪れる際は気象庁の最新情報を必ず確認してください(湯の滝は登山道とは別ですが、火山地帯であることに変わりはありません)。

なぜ特別なのか——微生物が鉱石をつくっている

この滝の主役は、水量でも落差でもなく、岩肌にこびりついた黒い沈殿物です。これはマンガンという金属が酸化してできた二酸化マンガンで、鉱石そのもの。しかもこの鉱石を作っているのが、岩の表面に暮らす微生物なのです。

温泉水のマンガンイオンを微生物が酸素と結合させ二酸化マンガンとして沈着させる仕組みの図解
マンガンができる3ステップ。生き物が金属鉱床を作る、という発想の転換が必要な現場です。

仕組みはこうです。温泉水には、溶けたマンガン(マンガンイオン)が含まれています。滝の岩には、光合成をする藍藻(シアノバクテリア)と、マンガンを酸化させるマンガン酸化細菌が暮らしています。藍藻が光合成で出した酸素と、温泉のマンガンを、細菌が結びつける。すると黒い二酸化マンガンが岩に沈着していきます。この滝では年間1トン以上(!)のマンガンが、こうして生物の力で積もっているのです。

何がすごいのか。マンガンのような金属鉱床は、ふつう深い海の底で気の遠くなる時間をかけてできるもので、人間が形成の現場を目にすることはまずありません。ところが湯の滝では、本来なら海底でしか起きない鉱床づくりが、陸上で、しかも微生物の働きでリアルタイムに進行している。これは世界的にも極めて珍しく、「天然の実験室」として国の天然記念物(正式名称は「オンネトー湯の滝マンガン酸化物生成地」)に指定されています。実際、昭和20年代にはここでマンガンが採掘されていた歴史もあります。

オンネトー湯の滝の解説板
現地の解説板。「ただの滝」と思って通り過ぎる人が多いのですが、書いてある内容を読むと、地味な見た目の裏にある壮大さに気づきます。

原始地球の海を、いま目の前で見ている

この滝が地学好きの心を掴むのは、もう一段深い理由があります。それは、大昔の地球の海で起きていたことを、現代の陸上で追体験できるという点です。

地球の歴史をさかのぼると、まだ酸素の少なかった原始の海で、微生物(藍藻の祖先)が光合成を始めて酸素を出し、その酸素が海に溶けた金属を酸化させて、海底に膨大な鉱床を沈殿させた時代がありました。鉄の巨大鉱床(縞状鉄鉱層)はこうして生まれたと考えられています(この酸素が地球を作り変えた歴史は地球の大きな仕組みとも地続きです)。湯の滝で今まさに起きている「微生物が酸素で金属を沈める」営みは、その原始地球のドラマの縮小再現版なのです。滝壺のオレンジや黒の被膜を眺めていると、数十億年前の地球の海を覗き込んでいるような気分になります。

正直に言えば、湯の滝は派手な観光地ではありません。原生林を歩いた先にひっそりとあり、滝そのものより「岩の汚れ」に注目しろという渋い名所です。でも、目の前の黒い沈殿が「生き物がつくる鉱石であり、原始地球の再現」だと知ると、風景が一変します。私はこの滝の前で、しばらく動けなくなりました。

オンネトー湯の滝のよくある質問

滝に触ったり入ったりできる?

天然記念物なので、沈殿物や岩に触れるのは避けましょう。かつては湯の滝に浸かれた時代もありましたが、貴重なマンガン生成の現場を守るため、現在は観察するにとどめるのがマナーです。温泉として楽しむなら、近くの温泉施設をどうぞ。

オンネトー(湖)も見る価値ある?

是非。オンネトーは雌阿寒岳の噴火で川がせき止められてできた堰止湖で、見る角度や天気で湖面の色が変わることから「五色沼」とも呼ばれます。湯の滝とセットで、火山がつくった水辺の風景を楽しめます。

火山の温泉となぜ関係が深いの?

湯の滝の水は雌阿寒岳の火山活動が生んだ温泉水だからです。火山があるからマンガンを溶かした温泉が湧き、その温泉が滝になって微生物に金属を供給する。火山あってのマンガンの滝、というわけです。

まとめ——地味な滝が、地球史の教室だった

オンネトー湯の滝は、雌阿寒岳の火山が生んだ温泉水と微生物が協力して、マンガン鉱石を陸上でつくり続けている世界的にも珍しい場所です。海底でしか起きないはずの鉱床形成を目の前で見られ、しかもそれは原始地球で酸素と生命が地球を作り変えた出来事の再現でもある。派手さはありませんが、「地球はこうやって鉱物を作り、生命が地球を変えてきた」という物語を、これほど間近に感じられる場所はそうありません。阿寒の森を訪れる機会があれば、ぜひこの地味で偉大な滝に足を運んでみてください。

山の成り立ちをもっと知りたい方は、「山の地質」カテゴリの記事一覧もどうぞ。

投稿 オンネトー湯の滝——微生物が鉱石をつくる「生きた鉱床」を雌阿寒岳の麓で見る は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/onneto-yunotaki/feed/ 0
屈斜路カルデラと硫黄山(アトサヌプリ)——日本最大のカルデラと、鉄道を生んだ硫黄の山 https://chikyu-yama.online/kussharo-atosanupuri/ https://chikyu-yama.online/kussharo-atosanupuri/#respond Fri, 24 Jul 2026 12:36:58 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1694 北海道の屈斜路カルデラは、東西26kmという日本最大のカルデラです。その中では硫黄山(アトサヌプリ)が今も噴気を上げ、かつてその硫黄が道東に鉄道を敷きました。日本最大のくぼ地と、そこに刻まれた火山と開拓の物語を、地図と写真で解説します。

投稿 屈斜路カルデラと硫黄山(アトサヌプリ)——日本最大のカルデラと、鉄道を生んだ硫黄の山 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
北海道の道東にある屈斜路(くっしゃろ)カルデラは、東西26km・南北20kmという日本最大のカルデラです。カルデラの記事で「日本最大は阿蘇ではなく屈斜路」と書きましたが、その現地がここ。しかもこの巨大なくぼ地の中では、硫黄山(アトサヌプリ)が今も黄色い噴気を上げ、その硫黄がかつて道東に鉄道を敷く原動力になりました。この記事では、日本最大のカルデラと、そこに刻まれた火山と開拓の物語を、地図と写真で解説します。

日本最大のカルデラのスケール

まず地図で全体像を見てください。屈斜路カルデラは約12万年前をはじめ複数回の巨大噴火で、山ごと陥没してできた巨大なくぼ地です。その大きさは東西26km。中にたまった水が日本最大のカルデラ湖・屈斜路湖で、湖に浮かぶ中島は日本最大の「湖の中の島」です。カルデラのスケールが桁違いなので、その中に湖も温泉も火山も町も、まるごと収まっています。

屈斜路カルデラ・アトサヌプリ・屈斜路湖・摩周カルデラの位置図
屈斜路カルデラ(赤い縁)と、その東に隣接する小さな摩周カルデラ(紫)。屈斜路の中に硫黄山・屈斜路湖・川湯温泉がすべて収まっています(出典:国土地理院の地図を加工)。

カルデラがなぜこんな巨大なくぼ地になるのか、その仕組みはこの図のとおりです。地下のマグマだまりが巨大噴火で空になり、天井を支えきれなくなった地面がまるごと落ち込む——それが屈斜路の規模で起きた跡が、今の風景です。

カルデラができる3段階の断面図解
カルデラのでき方。屈斜路ではこれが東西26kmという日本最大の規模で起きました。

面白いのは、屈斜路カルデラのすぐ東に、もうひとつ小さなカルデラが寄り添っていることです。それが約7,000年前の噴火でできた摩周カルデラ——透明度で有名な摩周湖の正体です。大小2つのカルデラが並ぶこの一帯は、日本でも指折りの「カルデラ密集地帯」なのです。

砂を掘れば温泉——カルデラが生きている証拠

屈斜路湖の湖畔には「砂湯」という名所があります。その名のとおり、湖岸の砂浜を少し掘るだけで温泉が湧いてくる場所です。訪れたとき、看板に「湖畔から温泉がでます」と書いてあるのを見て、いいなと思いました。カルデラが「大昔に終わった穴」ではなく、地下でまだ火山の熱を保っている「生きているくぼ地」であることが、足元の砂の温かさで実感できます。

屈斜路湖の砂湯の看板。カルデラ屈斜路湖 砂湯と書かれている
屈斜路湖畔の砂湯。看板にも「カルデラ」と明記されています。霧に煙る湖面と、足元から湧く温泉——カルデラの中に立っていることを体で感じられる場所です。

硫黄山(アトサヌプリ)——鉄道を敷いた「裸の山」

硫黄山(アトサヌプリ)阿寒摩周国立公園の標識
硫黄山(アトサヌプリ)の入口。阿寒摩周国立公園の一部です

カルデラの中で今いちばん活発なのが、硫黄山ことアトサヌプリ(標高512m)です。アイヌ語で「裸の山」を意味するこの名のとおり、火山ガスと硫黄で草木が生えず、山肌のあちこちから噴気が噴き出し、黄色い硫黄の結晶がこびりついています。カルデラができた後にその中で新しく育った、現役の活火山(後カルデラ火山)です。

アトサヌプリの噴気孔に積もった黄色い硫黄の結晶とHot Springの標識
噴気孔のまわりに積もった黄色い硫黄の結晶。7月上旬に訪れたとき、噴気孔のすぐ横まで近づけました

この硫黄山には、地学だけでなく北海道開拓の歴史が刻まれています。明治時代、ここは一大硫黄鉱山でした。噴き出す硫黄をマッチや火薬の原料として採掘し、大量に運び出すために——硫黄を運ぶ鉄道が敷かれたのです。安田財閥が明治20年(1887)から運営したこの鉱山鉄道は、のちに旅客も運ぶようになり、現在のJR釧網本線へと発展しました。標茶や釧路といった道東の町の発展は、この硫黄山と深く結びついています。火山が噴き出す硫黄が、鉄道と町を生んだ——地面の恵みが人の暮らしを作った、わかりやすい実例です。

硫黄山の火山ガスは、すぐ近くの川湯温泉も生んでいます。川湯温泉は硫黄山直結の強酸性泉(pH2前後)で、レモンより酸っぱいお湯。ここでも「火山があるから温泉が湧く」という火山の恵みを体感できます。

噴気孔に近づきすぎて、正直ヒヤッとした話

ここからは体験談です。実際に訪れて驚いたのは、噴気孔にあまりに近づけてしまうことでした。遊歩道の先、黄色い硫黄が積もった噴気孔のすぐ横まで行けてしまい、正直「ここまで来て大丈夫なのか、本当に許可された観光地なのか」と不安になりました。噴出口に顔を近づけると、余裕で火傷しそうな熱いガスが吹き上がっています。硫黄のにおいで喉の奥がヒリつき、目にもしみます。柵はありますが、その柵のすぐ内側から高温のガスが出ている場所もありました。

アトサヌプリの噴気孔から白い火山ガスが噴き出す様子
泥がぐつぐつと煮え立つ噴気孔。この距離まで近づける観光地はそう多くありません

大人でも思わず身構える距離感なので、小さなお子さん連れの場合はとくに注意してください。ガスは無色で見えにくいうえ、風向き次第で急に流れてきます。硫黄山の噴気は水蒸気だけでなく亜硫酸ガスや硫化水素を含み、高温です。好奇心で噴気孔に手や顔を近づけるのは本当に危険です。地面も熱を持っている場所があるので、遊歩道と柵の内側から外れないのが鉄則です。地球が生きていることを、これほど至近距離で体感できる場所は貴重ですが、その分だけ相手は本物の活火山だということを忘れないほうがよいと思います。

草木の生えないアトサヌプリの硫黄原と一面の噴気
草木ひとつ生えない硫黄原。あたり一面から噴気が上がり、地面は黄色い硫黄で染まっています

屈斜路カルデラのよくある質問

阿蘇より大きいの?

寸法では屈斜路(東西26km・南北20km、気象庁による)が阿蘇(南北25km・東西17km)をやや上回り、日本最大とされます。有名なのは阿蘇ですが、大きさの日本一は北海道の屈斜路です。どちらも桁違いの巨大噴火の跡という点では兄弟のような存在です。

硫黄山は登れる?危なくない?

ふもとの遊歩道から噴気地帯の間近まで見学できます。ただし「間近」の距離感が想像以上で、噴気孔のすぐ横まで近づけてしまうため、火傷しそうな高温のガスや硫黄のにおいをまともに浴びる場面があります(上の体験談のとおりです)。硫黄山は常時観測されている活火山で、ガスの濃い場所には立ち入り規制があり、火山活動によっては規制が変わります。遊歩道と柵の内側を必ず守り、とくに子ども連れは目を離さないこと。訪れる前に気象庁の噴火警戒レベルと現地の指示を確認してください。

摩周湖と屈斜路湖はどう違う?

どちらもカルデラ湖ですが、屈斜路湖は日本最大で温泉も湧く「にぎやかな湖」、摩周湖は流れ込む川も流れ出す川もほとんどない、透明度で名高い「静かな湖」です。屈斜路のほうが古く大きく、摩周のほうが新しく小さいカルデラ、という関係です。

まとめ——日本最大のくぼ地に、火山と人の歴史が詰まっている

屈斜路カルデラは、東西26kmという日本最大のカルデラ。その中に日本最大のカルデラ湖と湖中島があり、砂を掘れば温泉が湧き、硫黄山が今も噴気を上げ、その硫黄が道東に鉄道を敷きました。ひとつのくぼ地に、巨大噴火の地学・生きた火山・開拓の歴史が全部詰まっている——これほど密度の濃い場所はそうありません。道東を旅する機会があれば、屈斜路湖の砂浜で足元を掘ってみてください。日本最大のカルデラが、まだ温かいことに気づくはずです。

雌阿寒岳の麓には、微生物が今まさに鉱石を作り続けるオンネトー湯の滝という珍しい場所もあります。道東の火山めぐりにあわせてどうぞ。

山の成り立ちをもっと知りたい方は、「山の地質」カテゴリの記事一覧もどうぞ。

屈斜路カルデラが日本の他のカルデラと比べてどれくらいの大きさなのかは日本のカルデラ全ガイドで並べています。

投稿 屈斜路カルデラと硫黄山(アトサヌプリ)——日本最大のカルデラと、鉄道を生んだ硫黄の山 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/kussharo-atosanupuri/feed/ 0
なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」 https://chikyu-yama.online/blakiston-line-bears/ https://chikyu-yama.online/blakiston-line-bears/#respond Fri, 24 Jul 2026 11:53:59 +0000 https://chikyu-yama.online/?p=1874 北海道にヒグマ、本州にツキノワグマ——この分布の境界「ブラキストン線」は、氷期に海面が約120m下がっても消えなかった津軽海峡の深さが作り出しました。2万年前の地形が、いまの山のクマ事情を決めています。

投稿 なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
北海道のヒグマ(Ursus arctos)と本州・四国のツキノワグマ(Ursus thibetanus)という南北に異なる分布は、氷期の海面低下でも消えなかった津軽海峡の水路が、約2万年前に引いた「クマの国境」です。

この記事を地学的に読むポイントは3つあります。ひとつは、「ブラキストン線」と呼ばれる分布境界がなぜ津軽海峡に引かれたのか。ふたつめは、最終氷期の海面低下が宗谷海峡と津軽海峡に正反対の影響を与えた理由。そして3つめは、本州の地層から出てくるヒグマの化石が、現在の分布について何を語っているのか、です。

クマの分布には「国境」がある——ブラキストン線とは何か?

北海道と本州の間には、生物分布の境界線として「ブラキストン線」が引かれています。1883年、イギリスの動物学者トーマス・ブラキストンが「津軽海峡を境に、北は北方系、南は南方系の動物が分布する」と発表し、その後、地震学者ジョン・ミルンがこの境界線にブラキストンの名を提案しました。境界線に名前が付いたのは1883年ですが、境界が決まったのは約2万年前です。

この線の北側にはヒグマ、エゾリス、エゾライチョウといった北方系の動物が分布し、南側にはツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスといった南方系が分布します。ヒグマとツキノワグマはそれぞれ日本最大級の陸生哺乳類ですが、津軽海峡を挟んで互いの領域に踏み込んでいません。名前を持つ境界線があるのに、クマたちが1頭たりともそれを越えないのは、なかなか几帳面な話です。

日本列島のクマ2種の分布とブラキストン線を示す地図
北海道=ヒグマ、本州・四国=ツキノワグマ。境界のブラキストン線は津軽海峡を通る(イメージ図解)

現在の分布を見ると、この境界がいかに明確かがわかります。九州ではツキノワグマはすでに絶滅したとされており、四国では剣山山系に25頭前後しか残っていないとされています。環境省はこの四国の個体群を「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定しており、存続可能とされる100頭という目安を大きく下回っています。北端から南端へ向かうにつれて個体数が激減していくこの構造は、分布境界の成因と無関係ではありません。

氷期に海面は約120m下がった——でも津軽海峡は消えなかった

分布が南北に分かれた直接の原因は、最終氷期(約2万年前)の海面変動にあります。氷河期はなぜ来るのかの記事でも触れていますが、この時期、膨大な量の水が氷床として陸上に固定されたことで、世界的に海面が約120〜130m低下したと推定されています。

では、海面が120m以上下がれば、津軽海峡も陸地になったのでしょうか。ならなかった、というのが有力説です。津軽海峡は最深部が約450mあり、最も浅い白神岬〜竜飛崎付近でも水深は約130〜140mあります。氷期の海面低下では、中央の水路が残り続けた可能性が高く、海底には今も潮流が削った峡谷状の地形が残っています。産総研の地質ニュース(犬嶋和雄「海峡形成史からみた日本列島の成立」)でも、この海峡の形成史が詳しく論じられています。

一方、北の宗谷海峡(北海道〜樺太)は最大水深が約60〜70mです。氷期の海面低下でここは陸化し、北海道は樺太を経由してユーラシア大陸と地続きになりました。これがヒグマなど北方系の動物が北海道へ渡った経路だと考えられています。津軽と宗谷、隣り合う2つの海峡が、水深の違いだけで正反対の運命をたどったことになります。

氷期の宗谷海峡と津軽海峡の断面比較図解
氷期に海面が約120m下がると、浅い宗谷海峡は陸化し北海道は大陸とつながったが、深い津軽海峡は水路が残った(イメージ図解)

なぜヒグマは南へ渡れず、ツキノワグマは北へ渡れなかったのか?

宗谷海峡の陸化でユーラシア大陸から北海道へ渡ったヒグマは、津軽海峡に残った水路に南進を阻まれ、本州へ入ることができませんでした。逆に、本州から北を目指したツキノワグマも、この水路を越えられなかったと考えられています。

ツキノワグマはブナ帯や落葉広葉樹林でドングリやブナの実に依存する森林性の雑食です。行動圏が比較的狭く、ヒグマと比べると体が小さいため、長距離の遊泳や寒冷環境への適応が不利だったことも、北への定着を難しくした要因として指摘されています。とはいえ、どちらの種も越えられなかった根本的な要因は、渡るべき水路が残り続けた津軽海峡の深さにあります。

こうして「ユーラシア大陸経由で北海道に来られた動物」と「来られなかった動物」という、氷期の地形が引いた分断が、そのままブラキストン線の実体になりました。

実は本州にもヒグマがいた——秩父で見つかった巨大グマの化石

現在の分布を見ると「最初からそうだった」ように見えますが、話はもう少し複雑です。埼玉県秩父市や群馬県上野村の更新世の堆積物から、ヒグマの化石が出ています。年代測定では約3万2500年前・約1万9300年前の個体が確認されており、少なくとも約1万8000年前ごろまで本州にヒグマが存在していたと推定されています。山の時間は「桁」で読むでも触れていますが、更新世は地質学的にはごく最近のことです。

この本州のヒグマ化石にはさらに驚く点があります。秩父で出土した雄の化石は推定体長3mを超え、現在の北海道のヒグマの1.2〜1.3倍の大きさだったと推定されています。肉食性が強く、バイソンやオオツノジカのような大型哺乳類を捕食していたと考えられており、当時の本州にはそれを支える生態系があったことになります。現代のヒグマよりひと回り大きなクマが秩父の山中を歩き回っていたというのは、秩父を見る目が少し変わる話です。

2021年、山梨大・東工大・国立科学博物館らのグループがRoyal Society Open Scienceに発表した古代DNA解析では、本州のヒグマは道南(北海道南部)の集団と近縁な系統が津軽海峡を渡ったものと示されました。ヒグマは少なくとも2回、大陸から北海道を経由して本州へ渡来したと推定されており、1回目は34万年以上前、2回目は約14万年前の寒冷期とされています。

では、なぜ本州のヒグマは絶滅したのでしょうか。後期更新世から完新世にかけての温暖化で植生が変化し、ヒグマが依存していた大型哺乳類の餌が失われたこと、人類の渡来との関係など、複数の要因が複合したとされています。現時点で単一の原因で説明する説は出ておらず、解明は途上です。日本に氷河はいくつある?の記事でも、氷期から完新世へのこの気候変動の規模について触れています。

山を歩く視点で——2万年前の海面の高さが決めたもの

9月下旬、北海道の羊蹄山(1,898m)の山頂で、火口をのぞいた後に大地を見渡しました。眼下には洞爺湖が広がり、農地と森が地平線まで続いていました。「蝦夷富士」と呼ばれるだけあって、山頂からの眺望は四方に遮るものがなく、この島がどれだけ広いかをあらためて意識させられます。

羊蹄山の山頂から洞爺湖と北海道の平野を見下ろす風景
羊蹄山の山頂から望む洞爺湖と北海道の大地。9月下旬。この島はヒグマの国

北海道の山を歩くとき、頭の片隅に置くクマはヒグマです。本州の山を歩くときはツキノワグマです。どちらも日本最大級の陸生哺乳類ですが、生態も行動パターンも異なります。「なぜ北と南でクマの種が違うのか」という疑問が本格的に気になったのは、羊蹄山から下山した後に地図を眺めていたときでした。津軽海峡の幅は最狭部で約18〜19kmしかありません。それだけの距離が、2種のクマを分断し続けているのかと思うと、数値の小ささと結果の大きさのギャップが妙に印象に残ります。

羊蹄山の火口
羊蹄山の火口。蝦夷富士とも呼ばれる火山で、北海道の山を象徴する一座

その答えの核心は、幅ではなく深さにありました。宗谷海峡は最大水深約60〜70mで氷期に陸化し、津軽海峡は最浅部でも約130〜140mの水深が残って水路が維持された。この深さの差が、ヒグマがユーラシアから北海道へ渡る経路を作り、同時に本州への通路を閉ざしました。山の上から見える「ヒグマがいる島」という状況は、約2万年前の地球の水の配置が決めた結果です。

いま見えている分布は、氷期の地形が決めた結果

現代の山でヒグマとツキノワグマが津軽海峡を境に分かれているのは、氷期の海面低下という地球規模の気候変動が、海峡の水深という地形条件と組み合わさって生み出した産物です。線が引かれる以前に、地形が先に分断を作っていました。

本州に残るヒグマの化石は、現在の分布が「最初からそうだった」のではなく、一度は存在した動物相が失われた結果であることを示しています。古代DNAが明らかにした移動の経路と、更新世の堆積物が語る生息の痕跡が、少しずつ組み合わさって、この分布の成り立ちが見えてきています。ただし、本州ヒグマが絶滅した理由については、諸説あり引き続き研究が進んでいる段階です。

北海道の山で感じるヒグマの気配と、本州の山で感じるツキノワグマの気配。その違いの根っこには、2万年前に津軽海峡がどれだけ深かったかという、地球の地形の問題が横たわっています。

参考資料


地球規模の視点で山の成り立ちを読む記事は、当ブログの山の地質カテゴリにまとめています。氷期・プレート運動・火山といったテーマを扱った記事を順次追加しています。

投稿 なぜ北海道はヒグマ、本州はツキノワグマなのか——津軽海峡と氷期がつくった「クマの国境」 は 地球を感じる山登り に最初に表示されました。

]]>
https://chikyu-yama.online/blakiston-line-bears/feed/ 0