日奈久断層帯とは何か——球磨川を源流から河口まで100マイル走った先に、八代平野があった

山の地質

日奈久断層帯(ひなぐだんそうたい)は、九州が南北に引き裂かれる動きによって生まれた、全長およそ81kmの横ずれ断層帯です。2026年7月28日、この断層帯の一部が動いたとみられる地震が発生し、熊本県宇城市と氷川町で震度7の揺れが観測されました。

この地震を地形から読むポイントは3つあります。ひとつは、九州という島そのものが南北に引っ張られ続けているということ。ふたつめは、2016年の熊本地震で動かずに残っていた区間が、今回動いたとみられるということ。そして3つめは、強い揺れに見舞われた八代平野が、まさにその断層の運動によってつくられた土地だということです。

はじめにお断りしておくと、この記事は地震発生の翌日にあたる2026年7月29日時点で公表されている情報をもとに書いています。どの断層のどの区間が動いたのか、地面がどれだけ動いたのかは、いずれも速報値や暫定的な解析結果で、今後の詳しい調査で更新される見込みです。被害の状況も刻々と変わるため、本文では扱っていません。最新の情報は気象庁や国土地理院の発表を確認してください。

私は以前、球磨川の源流から河口までをたどるトレイルランニングの大会に出たことがあります。距離は100マイル(約160km)、登り下りの合計は9,000mを超えます。今回強い揺れが観測された地域は、そのコースの終盤と重なります。当時は「長い川沿いを走っている」としか思っていませんでしたが、あの道のりは地図の上の線ではなく、九州の地下構造を横切る断面そのものでした。

九州はいま、南北に引き裂かれている

九州の地図を広げると、大分から阿蘇を通って島原へ、東西に細長い低地が並んでいることに気づきます。別府湾、阿蘇のカルデラ、雲仙。これらが一直線に近い形で並んでいるのは偶然ではありません。九州が南北方向に引っ張られ、その中央部が帯状に落ち込んでできた地形で、別府–島原地溝と呼ばれます。地溝とは、両側から引っ張られた地面が短冊状に落ち込んだ低地のことです。

なぜ引っ張られるのか。南からフィリピン海プレートが斜めに沈み込んでいることと、九州の南西にある沖縄トラフが今も開き続けていることが関係しています。東北大学の研究グループは2018年、この地溝の地下構造を解析し、九州が南北に分裂しつつある実態を示しています。日本列島の他の場所が押し縮められているのに対して、九州の中央部だけは引き伸ばされているという、少し特殊な場所です。

地面が引き伸ばされるとき、壊れ方は大きく2通りあります。そのまま垂直に落ち込むか、横にずれるか。九州中部では両方が起きていて、日奈久断層帯は主に「横にずれる」タイプの断層です。プレートの動きが山と地形をつくる仕組みそのものについては、日本の山はなぜここにある? — プレート運動と山の成り立ちに整理しています。

海溝から沈み込むフィリピン海プレートと別府−島原地溝の断面図
地溝の真下では、プレートはすでに深さ約110kmまで潜っています(深さ・距離の根拠:気象研究所プレート形状モデル)

日奈久断層帯とは何か

地震調査研究推進本部の長期評価によると、日奈久断層帯は熊本県益城町の付近から南西へ延び、八代市を通って八代海の南部に達します。全体の長さはおよそ81km。ひとつながりの断層に見えますが、性質の違いから3つの区間に分けられています。

北東端の高野–白旗区間が約16km、中央の日奈久区間が約40km、そして南西端の八代海区間が約30kmです。それぞれ想定される地震の規模も異なり、日奈久区間ではマグニチュード7.5程度、八代海区間では7.3程度と評価されています。同じ評価では、日奈久区間が平均して3,600年から1万1,000年ほどの間隔で、八代海区間が1,100年から6,400年ほどの間隔で活動を繰り返してきたとされています。人の一生からすると気の遠くなる間隔ですが、地面にとっては定期的な出来事です。

球磨川の流路と実走コース、人吉盆地、八代平野、震度7を観測した地点の地形図
青い線が球磨川、赤い線が実際に走ったコース(GPSログ)。球磨川が源流から南西へ下り、人吉盆地を西へ抜けたあと、大きく北へ向きを変えて八代平野に出るU字型の流れがわかります。コースは川岸ではなく、その谷を見下ろす山を越えていきます(出典:国土地理院/河川データ:© OpenStreetMap contributors)

なぜ2016年には動かなかったのか?

結論から書くと、2016年に動いたのは隣の断層で、日奈久断層帯の大部分は力を溜めたまま残されていたからです。

2016年の熊本地震で大きくずれ動いたのは、布田川断層帯の布田川区間でした。日奈久断層帯は布田川断層帯と益城町付近で接していますが、このときは北端の一部が動いたにとどまり、南西へ延びる長い区間はほとんど動きませんでした。当時から、残された区間が今後の地震を起こす可能性は指摘されていました。

今回の地震について、東京大学地震研究所の酒井慎一教授は、2016年に動かずに残っていた日奈久断層帯の南の部分が動いた可能性があると述べています。気象庁の解析でも、この地震は東北東–西南西の方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型とされていて、日奈久断層帯の性質とよく一致します。震源の分布も、熊本市付近から八代市を通って八代海の北部へと、断層に沿った細長い帯状に並んでいます。

地面が実際にどれだけ動いたかは、国土地理院の観測に表れています。八代市の千丁に置かれた電子基準点は、北東方向におよそ87cm動き、あわせて約32cm沈み込みました(暫定値)。人工衛星から地表の変化を捉えるレーダー解析でも、日奈久断層帯の北西側で最大50cmほどの変動が確認されています。年に数ミリずつ溜めてきたひずみが、数十秒で解放されるとこうなります。なおこれらは暫定的な値で、今後の詳しい解析で更新されます。

源流から河口までの道のりは、九州の地質を横切る一本の線だった

球磨川リバイバルトレイルは、2020年7月の豪雨災害からの復興を掲げて2022年に始まった大会です。球磨川の源流にあたる水上村をスタートし、流域の山々を西へ横断して、河口の八代市に至ります。九州で初めての100マイル(約160km)レースでもあります。川岸をずっと下っていくのかというとそうではなく、球磨川が削った谷を見下ろす山をいくつも越えながら、源流から河口へ向かって少しずつ高度を落としていく設計です。

私が走ったときのGPSログが残っています。実際の移動距離は169km、登りの合計はおよそ9,300m、最高地点の標高は1,626mでした。そしてゴール地点の標高はほぼ0mです。1,600mから海面まで下る道のりを、山を越え直しながら進むことになります。この上下動そのものが、球磨川の流域がどれだけ複雑な地形をしているかを表しています。

このコースが地質的に面白いのは、球磨川そのものが普通の川ではないからです。産業技術総合研究所の地質調査総合センターは、球磨川がU字型の非常に特異な流路を持っていて、その形には地質構造の成り立ちが大きく関わっていると指摘しています。ふつう川はまっすぐ海を目指しますが、球磨川は一度西へ向かい、大きく曲がってから北西の八代へ抜けます。先ほどの地図で青く描いた線がその流路です。源流から人吉盆地までは南西へ下り、そこで向きを変えて西へ、さらに大きく北へ曲がってようやく海に出ています。地面の硬さと構造に、流れ方を決められているわけです。

人吉盆地——断層が沈めた平地

球磨川の上流部に広がる人吉盆地は、川が削ってできた谷ではありません。コース自体はこの盆地の北側の山地を越えていくので中心部は通りませんが、この盆地の成り立ちが球磨川という川の性格を決めています。産総研の解説によれば、人吉盆地は断層運動によってできた構造盆地で、およそ700万年から800万年前に形成が始まりました。南の縁には活断層があります。地面が断層に区切られて落ち込み、そこへ球磨川と川辺川が土砂を運び込み、さらに火山からの噴出物が何度も流れ込んで埋め立てられました。あの平らな土地は、削られてできたのではなく、沈んだところが埋まってできたものです。

球磨川の峡谷——硬い岩に阻まれた川

盆地を出ると、川は一転して深い谷に入ります。産総研の資料では、この下流部には硬い岩が分布していて、川が削りきれずに険しいV字谷をつくっていると説明されています。特に鍾乳洞で知られる球泉洞のあたりは、石灰岩を含む古い時代の硬い岩が集まっていて、流域でもっとも急峻な谷になります。海の底に積もった砂や泥、サンゴの殻が、長い時間をかけて大陸の縁に押し付けられて固まった岩です。それが1億年以上たって、川の行く手を阻んでいます。

逆に、地層のもろい場所では谷が広がります。同じ川なのに、区間によって谷の幅がまったく違うのはそのためです。走っていると、両側から山が迫ってくる区間と、急に空が広くなる区間が交互に現れます。地図の等高線で見ていたものが、そのまま視界の広さの変化として出てきます。

球磨川の峡谷区間と川沿いの道路
峡谷区間の球磨川。両側から山が迫り、川がぎりぎりの幅で谷を刻んでいます

この区間で印象に残っているのは、川でも山でもなく道路でした。舗装が大きく歪んだまま、あるいは段差になったまま残っている箇所がいくつもあったのです。地震で地面が動いた跡が、走った当時もまだそのままになっていました。足で踏んで越えるとき、地球が動かした結果を自分の脚で乗り越えているという感覚がありました。地質の話は普段どうしても「何百万年前に」という単位になりますが、あの段差だけは現在進行形でした。

それだけ強く覚えているのに、その道路の写真が一枚もありません。当時の私が何を撮っていたかというと、川と山ばかりです。地質のブログを書く未来がわかっていれば、真っ先にあの段差にカメラを向けていました。

八代平野——断層の縁にできた三角州

峡谷を抜けると、視界が一気に開けて八代平野に出ます。ゴール地点です。ここは球磨川が上流から運び続けた砂や泥が海際に積もってできた三角州で、南東側にはすぐ山地が迫っています。この山地と平野の境目を走っているのが、日奈久断層帯です。八代市が公開している防災の資料でも、日奈久断層帯は市内の平野部と山間部のあいだを走っていると説明されています。北西側が相対的に沈み、南東側が高いまま残ったことで、山と平野がくっきり分かれました。

八代平野と山地の境界を走る日奈久断層帯の活断層図
赤い線が活断層です。日奈久断層帯が、緑色の平野と灰色の山地の境目をなぞるように走っているのが見えます。震度7を観測した氷川町は平野側にあります(出典:国土地理院 活断層図)

地図で見ると、この関係はもっとはっきりします。国土地理院の活断層図に描かれた断層線は、平野と山地の境目からほとんど外れません。川が自然に削ってできた地形なら、境目はもっと入り組んだ形になるはずです。定規で引いたように直線的なのは、そこが地面の割れ目だからです。

山の上から見下ろした八代平野と八代海
ゴール手前、平野を見下ろす山の上から。手前に広がる平らな土地が八代平野で、その先が八代海です

この写真は、コース終盤に平野を見下ろす位置から撮ったものです。撮影地点の座標を地図に落とすと、山地と平野の境界にあたる場所でした。写真の中で、手前の斜面が断層の南東側に残された山地、その向こうに一気に開ける平らな土地が沈んだ側にあたります。境目が直線的で、山が平野に向かってなだらかに移り変わらないところに、断層の存在が出ています。空の色と枯れた下草から分かるとおり、3月上旬のよく晴れた午後でした。

つまり、レースのゴール地点は、断層がつくった低地に川が土砂を敷き詰めた場所ということになります。源流の山から河口の平野まで、私がこの流域を横断するのに38時間近くかかりました。丸一日半以上、ずっとこの地形の上にいたことになります。体力の方は完全に底をつきましたが、そのぶん、この土地の高さの変化を1メートル単位で味わいました。地図を眺めて理解するのと、38時間近くかけて全部踏むのとでは、同じ地形から入ってくる情報量がまるで違います。

なぜ八代平野で揺れが大きくなったのか?

震源が近かったことに加えて、平野そのものが揺れを大きくする構造だからです。

硬い岩盤の上では、地震の波は速く通り抜けます。ところが、砂や泥が厚く積もった柔らかい土地に入ると、波は速度を落とし、そのぶん振幅が大きくなります。浅い水路に波が入ると背が高くなるのと同じ理屈です。八代平野は球磨川が運んだ堆積物でできた土地なので、この増幅が起きやすい条件がそろっています。八代市自身も、平野部は地盤が軟らかいため建物の倒壊や液状化が懸念されると、以前から注意を促していました。

断層が地面を沈ませ、その窪みを川が埋め、その柔らかい土の上で揺れが増幅する。原因と結果が一本につながっています。人が住みやすい平らな土地は、たいてい断層と川がセットでつくったものです。

2020年の水害と、今回の地震

球磨川流域は2020年7月の豪雨で大きな被害を受けました。産総研は当時の緊急調査で、球磨川の特異な流路と流域の地質構造が、氾濫や斜面崩壊の起こり方に関わっていた可能性を指摘しています。狭い峡谷に大量の水が集まり、抜けきらずに上流側で溢れるという地形の条件がありました。

球磨川リバイバルトレイルのエイドステーション
コース途中のエイドステーション。「眠気に」「エネルギーに」と手書きの札が並び、地元の方々に支えられて成り立っている大会です

そして今回、同じ流域が地震に見舞われました。豪雨と地震はまったく別の現象ですが、被害の出方を決めた土台は同じです。断層が土地を切り分け、川がその間を削り、低い場所に土砂を敷き詰めた——その地形の上に、人の暮らしがあります。球磨川リバイバルトレイルという大会自体が水害からの復興を掲げて始まったことを思うと、この土地が地形と付き合い続けてきた歴史の重さを感じます。

断層にはまだ力が残っている

気象庁は、今回と同程度の揺れを起こす地震に1週間ほど注意するよう呼びかけています。実際、本震のあとも震度5弱の揺れが繰り返し観測されています。日奈久断層帯は3つの区間に分かれていて、今回動いたとみられる範囲の南西側、八代海の区間にはまだひずみが残っているとみる専門家もいます。

地震で緩んだ斜面は、そのあとの雨で崩れやすくなります。球磨川流域はもともと急峻な谷を抱えた土地です。揺れが収まったあとも、しばらくは山側の状況に注意が要ります。

なお、九州には「中央構造線」は存在しません。産総研は、九州中部では中央構造線に当たる断層線が地表に現れていないことを明確に説明しています。九州で語られる臼杵–八代構造線は、名前は似ていても別のものです。この違いについては中央構造線とは何か — 日本列島を東西に走る1,000kmの大断層、その正体で扱っています。また、九州を引き伸ばしている力の源であるフィリピン海プレートの沈み込みは、南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由に書きました。

被災された地域の一日も早い復旧を願っています。

参考にした資料

地震の情報は2026年7月29日時点の発表内容です。数値には暫定値が含まれます。

山の成り立ちを地形から読む記事は山の地質にまとめています。

コメント

  1. 謎の人 より:

    一番最初の模式図(なぜ九州は南北に・・・)は間違っていると思います。別府-島原地溝の真下でフィリピン海プレートが沈み込んでいる訳ではありません。

    • ご指摘ありがとうございます。完全にそのとおりで、元図は誤って沈み込み口を地溝の真下に置いてしまっていました。実際に沈み込みが始まるのは九州の南東沖の海溝で、地溝までは300kmほどあります。図を作り直して差し替えました。

タイトルとURLをコピーしました