南海トラフとは何か — フィリピン海プレートの沈み込みが四国山地を育て、巨大地震を繰り返す理由

山の地質

南海トラフという言葉は、ほぼ「次に来る巨大地震」とセットで耳に入ってきます。テレビでも防災訓練でも、語られるのは決まって被害想定の話です。ところが地質の視点から見ると、南海トラフはもうひとつ別の顔を持っています。四国山地や紀伊山地——剣山も大峰山脈も大台ヶ原も、すべてこの海溝の働きで生まれた山だという顔です。

登山者からすると、足元の山を作った張本人が「災害の代名詞」として恐れられているわけで、なんとも複雑な気分になります。この記事では、防災の文脈をいったん脇に置いて、南海トラフが日本の山をどう作ってきたのかを地球規模のスケールで読み解きます。

南海トラフとはどこにあるのか

南海トラフは、静岡県の駿河湾沖から、紀伊半島・四国の南側を通り、九州・日向灘の沖まで延びる、東西約700kmの海底の溝です。水深は深いところで4,000mを超えます。

「トラフ(trough)」とは舟底のような細長い盆地のことで、水深6,000mを超える「海溝(trench)」よりやや浅いものを指します。名前は違っても、地球の構造としての役割は海溝と同じです。深さで呼び名が変わるだけで、海のプレートが陸のプレートの下に沈み込んでいく場所、という本質は変わりません。

ここで起きているのは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下へ沈み込むという運動です。海側のフィリピン海プレートが、年間4〜6cmという速度で、陸側の日本列島の下へもぐり込んでいます。年間数cmと言われてもピンときませんが、爪が伸びる速度とだいたい同じです。その爪が伸びるくらいのペースで、海の岩盤がまるごと日本の下に押し込まれ続けている、と考えるとなかなかの迫力です。

南海トラフの位置とフィリピン海プレートの沈み込み方向を示す日本列島南部の地図
南海トラフは駿河湾沖から四国沖を経て日向灘沖まで、東西約700kmにわたって延びています。フィリピン海プレートが内陸へ向かって沈み込んでいます。

なぜ「溝」ができるのか — プレートの沈み込みを読む

海のプレートと陸のプレートがぶつかると、密度の高い海のプレートのほうが下に沈み込みます。フィリピン海プレートは海洋プレートで、ユーラシアプレートという大陸プレートよりも重い。重いほうが負けて沈むという、地球規模で見れば極めて素直な力学です。

沈み込む場所は、プレートが引きずり込まれて地表が一段低くなります。これが「溝」、すなわちトラフの正体です。南海トラフは地形の偶然でできた谷ではなく、プレートが沈み込んでいるという事実がそのまま海底の地形に現れたものです。

南海トラフの沈み込みには、ひとつ特徴があります。沈み込む角度がとても緩いのです。四国沖ではおよそ5度、紀伊半島沖でも10度ほどしかありません。プレートはほとんど水平に近い角度で日本の下へすべり込んでいきます。この「浅い角度で沈む」という性質が、次に説明する付加体の発達と、四国山地・紀伊山地の成り立ちに決定的に効いてきます。

南海トラフでのフィリピン海プレートの沈み込みと付加体形成の断面図
フィリピン海プレートが緩い角度で沈み込み、削り取られた堆積物が付加体として陸側に積み重なる。四国山地・紀伊山地はこの付加体が隆起したものです。

付加体が四国山地と紀伊山地を作った

南海トラフを理解するうえで最も重要な概念が付加体(ふかたい)です。英語ではアクリーショナリープリズム(accretionary prism)と呼ばれます。

仕組みはこうです。海のプレートの上には、長い年月をかけて海底に積もった砂や泥が乗っています。プレートが沈み込むとき、その上に乗った柔らかい堆積物は一緒には沈みきれません。陸のプレートの先端が、まるでブルドーザーの排土板のように堆積物をこそげ取り、陸側へ押しつけていきます。こうして削り取られた堆積物が、何百万年もかけて陸側にどんどん積み重なってできた地質体が付加体です。

つまり付加体とは、海の底だったものが陸にくっついて山になった地層です。四国山地も紀伊山地も、この付加体が隆起してできた山地です。剣山(つるぎさん)も、大峰山脈も、大台ヶ原も、もとをたどれば海の底に積もった砂や泥が、プレートに削り取られて陸に貼りつけられたものなのです。標高1,900mの剣山の山頂に立っているとき、その足元は元・海底だと考えると、地球のスケールの大きさにくらくらします。山に登っているつもりが、実は持ち上げられた海の底に登っている、というのはなかなか含蓄のある話です。

下の写真は、冬に剣山へ登ったときに撮ったものです。正面に見えるのが次郎笈(じろうぎゅう)、その奥へと四国山地が幾重にも連なっています。この山並みがまるごと、かつて海の底に積もった地層だと思って眺めると、見慣れた稜線も少し違って見えてきます。

剣山の山頂付近から次郎笈へ続く稜線と、幾重にも連なる四国山地
剣山から次郎笈へと続く稜線。奥に連なる四国山地の山々は、いずれも海底堆積物が削り取られて積み上がった付加体が隆起したものです。

この付加の歴史は、四国の地質図を見るとそのまま縞模様として刻まれています。北から南へ、地質帯が東西に延びる帯となって積み重なっており、しかも南へ行くほど地質が若くなります。海溝で削り取られた地層が次々と南側(海溝側)に付け加わり、古いものが順に北へ押し上げられてきたためです。四国の縞模様は、付加体が南へ南へと成長してきた年輪のようなものです。そして一番南の地質帯のさらに南、海の中に現在の南海トラフがあります。

四国の地質図。地質帯が東西に帯状に並び、南へ行くほど新しい付加体になる
四国の地質図。北(上)から南(下)へ地質帯が帯状に並び、南へ行くほど新しい付加体になります。付加体が南へ成長してきた歴史が、そのまま地図上の縞模様として読み取れます。出典:産総研 20万分の1日本シームレス地質図

なお、いちばん北のピンク色の領域と、その南側との境界は中央構造線という別起源の大断層です。これは沈み込みでできた付加体の帯とは成り立ちが異なるので、分けて見ると地質図がより読み解けます。中央構造線についてはフォッサマグナの記事でも「面」と「線」の違いとして触れています。

南海トラフの沈み込み角度が緩いことが、ここで効いてきます。浅い角度でプレートが入り込むほど、堆積物をこそげ取る「排土板」の作用範囲が広くなり、付加体が大きく発達します。西南日本の太平洋側に、赤石山脈・紀伊山地・四国山地と高い山地が帯状に連なっているのは偶然ではありません。南海トラフに平行して、削り取られた地層が次々と積み上げられてきた結果です。

四国山地は今も隆起している

付加体の積み重ねは過去の話ではありません。四国山地は現在も隆起を続けています。推定される隆起量は、剣山地の中央部でおよそ年2.5mm、石鎚山地付近で年2.0mmほどです。

年2.5mmと聞くと地味ですが、これを100万年続ければ2,500mになります。実際には侵食で削られる分があるので単純計算どおりにはなりませんが、押し上げる力が今も働き続けていることは確かです。フィリピン海プレートが沈み込みをやめない限り、四国の山は伸び続けます。登るたびにわずかに高くなっている山に挑んでいる、と考えると、なかなか手強い相手です。

100〜150年に一度、プレートが跳ね上がる

同じ沈み込み運動が、山を作る一方で巨大地震も生み出します。「次に来る地震」として南海トラフが語られるのは、このメカニズムが原因です。

フィリピン海プレートが沈み込むとき、陸側のプレートとの境界が強く固着している場所があります。固着したまま海のプレートが沈み込み続けると、陸側のプレートの先端が一緒に地下へ引きずり込まれ、ぐっと押し下げられていきます。バネを少しずつ縮めているような状態で、地下にはひずみが蓄積されていきます。

そして陸側のプレートが引きずり込みに耐えられなくなった瞬間、一気に跳ね上がります。この跳ね返りが巨大地震であり、海底が急激に持ち上がることで津波が発生します。縮めていたバネが限界で弾けるイメージです。

このひずみの蓄積と解放のサイクルが、南海トラフでは概ね100〜150年の間隔で繰り返されてきました。過去1,400年の記録を広く見れば、約90〜270年という幅で大地震が起きています。歴史に残る主な地震を並べると、その周期性がよくわかります。

  • 1707年 宝永地震(M8.6) — 東海・南海が同時に動いた連動型。わずか49日後に富士山が噴火(宝永噴火)しました
  • 1854年 安政東海地震・安政南海地震(M8.4級) — 東側が動いた約31時間後に西側が動く、時間差連動でした
  • 1944年 昭和東南海地震(M7.9)/1946年 昭和南海地震(M8.0) — 約2年の間隔をあけて連続発生しました
南海トラフ巨大地震のメカニズム。固着・ひずみ蓄積から跳ね上がり・津波発生までを3コマで示す図
固着によってひずみが蓄積し(左)、限界に達すると(中)、陸側プレートが一気に跳ね上がって海底が隆起し津波が発生します(右)。この繰り返しが巨大地震です。

注目すべきは、毎回まったく同じ起き方をするわけではないという点です。一度に全体が動くこともあれば、東と西が時間差で動くこともある。同じ場所で繰り返しているのに発生の仕方が毎回違うので、予測が難しい相手として知られています。前回の昭和の地震からすでに約80年が経過しており、地下では次のひずみが着実に溜まり続けています。

南海トラフ・フォッサマグナ・伊豆衝突 — 一枚のプレートの三つの仕事

ここで視野を少し広げると、面白い構図が見えてきます。四国の南で沈み込んでいるフィリピン海プレートは、別の場所ではまったく違う仕事もしているのです。

同じフィリピン海プレートは、伊豆半島を乗せたまま北へ進み、本州に正面から衝突しています。南海トラフでは「下に沈み込む」のに対し、伊豆のあたりでは「ぶつかって押し込む」。一枚のプレートが、場所によって沈み込みと衝突という二つの異なる働きをしているわけです。

そしてこの伊豆の衝突こそが、日本列島中央部のフォッサマグナを強く圧縮し、南アルプスを押し上げた原動力でもあります。つまりフィリピン海プレートは、四国・紀伊では付加体として山を作り、伊豆では衝突によって南アルプスを持ち上げている。日本の太平洋側の山々の多くが、結局はこの一枚のプレートの動きに行き着きます。日本の山がなぜここにあるのかを考えていくと、プレートというたった数枚の岩盤の振る舞いに、これほど多くの山が支配されていることに驚かされます。

登山で「見える」南海トラフの痕跡

南海トラフは海の底にあるので、その溝そのものを登山中に見ることはできません。しかし、その働きの結果は地上のあちこちに刻まれています。

四国山地や紀伊山地を歩いていると、層状に重なった硬い堆積岩の露頭に出会うことがあります。これが付加体の地層で、もとは海底に積もった砂泥が、プレートに削り取られて陸に押しつけられたものです。地層が大きく傾いていたり、複雑に折れ曲がっていたりするのは、付加体が形成されるときに強い力で押し込まれた証拠です。きれいに水平に積もったはずの地層がぐにゃりと曲がっているのを見ると、「これだけ曲げる力が働いたのか」と素直に感心します。

紀伊半島や四国の山が全体的に急峻で、深い谷が刻まれているのも、隆起が今も続いていることと関係しています。山が持ち上がるスピードに対して、川が懸命に削り込む。その綱引きの結果が、あの急な谷地形です。四国の山を歩いて「やけに谷が深いな」と感じたら、それは南海トラフが今も山を押し上げ続けているサインだと考えてよいでしょう。

防災のニュースで南海トラフという言葉を聞くと身構えてしまいますが、同じ力が四国山地や紀伊山地という登山フィールドを作り、今も育て続けています。地震を起こす力と、山を生み出す力は、まったく同じひとつの運動の表と裏です。次に西日本の山に登るとき、足元の地層が「持ち上げられた海の底」だと思い出すと、その山の見え方が少し変わるはずです。


プレート運動と山の成り立ちをテーマにした記事は「山の地質カテゴリ」にまとめています。フォッサマグナ日本の山とプレート運動の記事とあわせて読むと、日本列島の山がどのようにして生まれたのか、その全体像が見えてきます。

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