リニア中央新幹線と大井川の水問題とは、南アルプスの山に蓄えられた地下水が、山を貫くトンネルに吸い寄せられて、大井川の水が減るのではないかという問題です。原因は工事の善し悪しではなく、この山の岩盤が水をどう溜め、どう流しているかという地質そのものにあります。
2026年7月7日、静岡県知事がリニア静岡工区の着工を容認し、9年間止まっていた工事がようやく動き出しました。争点の中心にあったのが、この「大井川の水」です。この記事では賛否には立ち入らず、「なぜ山にトンネルを掘ると川の水が減るのか」を地質のしくみとして読み解きます。
読みどころは3つです。①南アルプスは、水をたっぷり溜め込む「ひび割れだらけの山」であること。②その山を横切るトンネルが、地下水にとっての近道になってしまうこと。③そして実は、大井川の水は100年近く前からすでに一部が山梨県側へ流れていたこと。まず、これから話す内容を1枚の図にまとめておきます。

大井川は「山という貯水タンク」から出てくる水
大井川は南アルプスの稜線あたりを源流とし、静岡県を南へ流れて駿河湾へ注ぐ川です。源流域の年間降水量は3,000mmを超えます。東京の年間降水量が約1,500mmですから、その倍が降る場所です。中下流では約60万人が生活用水・農業用水として使っており、静岡中部の生命線になっています。
ここで押さえておきたいのが、川の水は「降った雨がそのまま流れている」わけではない、という点です。雨や雪解け水は、まず山という巨大なスポンジに吸い込まれます。そして数週間から数十年という長い時間をかけて、じわじわと滲み出してくる。だから梅雨が明けて雨が降らない日が続いても、夏の川は涸れません。
つまり大井川の安定した水量は、南アルプスという山そのものが「貯水タンク」として働いた結果です。この前提を持っておくと、次の話がわかりやすくなります。問題は川で起きているのではなく、タンクの中で起きているからです。

なぜトンネルを掘ると、川の水が減るのか
まず、リニアのトンネルがどれくらい深いところを通るのかを整理します。数字が2つ出てくるので、混同しないよう分けて書きます。
- 山の下:地表から最大1,400m——静岡・長野県境付近が最も深く、日本のトンネル工事で例のない深さです(従来の記録は上越新幹線・大清水トンネルの1,300m)
- 大井川の下:川底から約400m——トンネルは静岡県内で一度も地上に出ず、大井川の真下を横切ります
水問題に直結するのは後者です。東京タワーが333mですから、大井川の川底から東京タワーをまるごと1本沈めて、その先端よりさらに70m下を、リニアが横切っていくことになります。
この深さに横穴を掘ると何が起きるか。しくみ自体は拍子抜けするほど単純で、水は高いところから低いところへ流れる、それだけです。山に染み込んだ地下水は、岩の割れ目を通ってゆっくり下流へ移動しています。ところがその経路の途中に、もっと低いところへ抜ける穴が空いたらどうなるか。水はそちらへ向かいます。トンネルは、地下水にとって願ってもない近道なのです。
トンネルに流れ込んだ水(湧水といいます)は、放っておけば川には戻りません。その分だけ、川の水が減ります。冒頭の図でいう②、山の中を下ってトンネルへ向かう矢印がこれです。
南アルプスは「ひび割れだらけの山」だから読みにくい
この現象が南アルプスで特に厄介になる理由は、岩盤の生い立ちにあります。南アルプスをつくっているのは付加体と呼ばれる岩盤です。海底に降り積もった砂や泥が、プレートの動きで日本列島の縁に押し付けられ、数千万年かけて積み上がってできたものです。
この「押し付けられた」という成り立ちが効いてきます。強い力で圧縮され、断層に何度もずらされてきたため、岩盤の中には無数のひび割れと、岩が細かく砕けた帯が走っています。花崗岩のようにみっしり詰まった岩とは対照的で、水の通り道が複雑に絡み合っている。
結果として、どこから・どれだけの水が出てくるかを事前に正確に読むのが難しくなります。掘ってみないとわからない部分が残る——これが南アルプスという山の性格です。JR東海の事前予測では、大井川上流部の流量減少は最大で毎秒約2トンとされています。

「全量戻し」と、どうしても埋まらない10カ月
ではトンネルに集まった水をどうするか。JR東海が示している対策が「全量戻し」です。名前のとおり、トンネルに湧いた水を全部まとめて大井川に返す、という考え方です。
具体的には、水を流すための専用トンネル(約11.4km)を別に掘り、集めた湧水を自然に流し下ろします。それでも高低差で届かない分はポンプで汲み上げ、大井川上流の椹島(さわらじま)付近へ戻します。冒頭の図の④、ポンプ(P)を経由して大井川へ向かう矢印がこの部分です。国の有識者会議はこの対策を評価し、「中下流域の川の水量は維持される」との見解を示しました。
ところが、この方法でもどうしても埋められない期間があります。約10カ月です。
理由は掘る順番にあります。静岡・山梨の県境付近は断層が集まる難所で、静岡側から掘り進むのが難しい。そこで山梨県側から掘り進んで静岡側へ抜けるという手順が取られます。ところが山梨側から掘っている間、トンネルは山梨に向かって下り坂になっています。水は低い方へ流れますから、湧いた水は素直に山梨側——つまり富士川へ流れ出ていく。静岡側とつながるまでは、その水を大井川へ戻す経路が存在しないのです。
工事全体が10年規模であることを考えれば10カ月は短い期間ですが、この「10カ月の穴」が着工容認までの主要な検討事項の一つになりました。水の行き先を図にすると、こうなります。

田代ダムという、100年前の伏線
ここで、話の筋が少しねじれる事実が出てきます。
大井川の最上流部には田代ダムという発電用のダム(東京電力リニューアブルパワー所有)があります。このダム、大正時代から大井川の水を取水して、山を越えた山梨県側の富士川へ送り、水力発電に使ってきました。
つまり「大井川の水が山梨側へ流れる」という状況は、リニアの計画が持ち上がるより100年近く前から続いていたことになります。「リニアのせいで大井川の水が山梨へ行ってしまう」という話を追いかけていくと、「その件でしたら大正時代からです」という返しが出てくる。地質と歴史が絡むと、こういう肩透かしがときどき起こります。
そして、この100年前の伏線が対策として回収されます。田代ダム案と呼ばれるもので、ダムが山梨側へ送っている取水量を、リニアで県外へ流出する量と同じだけ減らす。そうすれば差し引きゼロで、大井川の水量は保たれるという考え方です。2026年7月の着工容認は、これを前提の一つとして成立しています。
先ほどの図をもう一度見てもらうと、左上のダムから山梨側へ伸びる矢印がそれです。図にしてしまうと単純な話で、問題の核心は「水が山梨へ行くこと」そのものではありません。大井川に流れる水の総量が変わるかどうかです。田代ダム案が対策として成立するのは、まさにここに理由があります。
実際に起きた例——岐阜県瑞浪市の水位低下
「深いトンネルが地下水を引き寄せる」というのは、机上の心配ではありません。すでに起きています。
2024年、岐阜県瑞浪市でリニア日吉トンネルを掘っていたところ、大湫(おおくて)町で共同水源・井戸・ため池あわせて14カ所の水位が下がり、うち共同水源1カ所が涸れました。JR東海は工事の影響である可能性が高いと認め、井戸の新設と上水道の工事を自社負担で行っています。
瑞浪市と南アルプスでは地質が違うので、そのまま同じことが起きるとは言えません。ただし方向としては、南アルプスの方が読みにくい地盤です。産総研の地質図が示すとおり、大井川源流域は前述の付加体でできていて、断層が入り組んでいます。瑞浪の一件が教えてくれるのは、「深く掘れば地下水が集まる」が現実に起きるという、ただそれだけの、しかし重い事実です。
工事期間中ずっと水位を測り続けること(モニタリング)が重視されるのは、この読みにくさがあるからです。
なお、地下水が岩の割れ目をたどって思わぬ場所へ出てくるという現象は、温泉のわき出るしくみとまったく同じ原理です。もっと深いスケールで見れば、プレートが沈み込むときに運び込む水の話——マグマは海の水から生まれる——とも根はつながっています。
登山者の視点——稜線から大井川の源流を見下ろす
南アルプスの稜線を歩いたことがある人なら、あの谷の深さは体で知っていると思います。標高3,000m近い稜線から大井川の源流部を見下ろすと、急な谷が何本も刻まれていて、底が見えません。風向きによっては、あそこまで下りていない沢の音が届きます。
7月中旬に南アルプス南部を歩いたときも、谷を覗くたびに緑の濃さが目に入りました。あれはそのまま水の豊かさです。登山道の脇からも、当たり前のように沢水が染み出している。その一滴一滴が集まって大井川になっていることは、地形図と実際の谷を見比べて、ようやく実感できます。
「この足の下、400m下をリニアが通る」と思いながら歩くと、同じ稜線が少し違って見えます。

まとめ——これは工事の問題である前に、地質の問題
整理します。
- 南アルプスは海底の堆積物が押し付けられてできた、ひび割れの多い山。だから水をよく溜め、その通り道は複雑で読みにくい
- その山を貫くトンネルは、地下水にとって「より低い出口」になる。だから水が引き寄せられ、川の水が減る(予測は最大で毎秒2トン)
- 対策は、湧いた水を専用トンネルで大井川へ戻す「全量戻し」と、田代ダムの山梨側への取水を同量減らす「田代ダム案」の2本立て
- ただし山梨側から掘り進む約10カ月間だけは、水が山梨へ流れ出る。この期間の扱いが最後まで争点になった
賛成か反対かという議論の手前に、こうした地質のしくみがあります。付加体という岩盤が水を溜め、その割れ目が水を運び、深い穴がその流れを変える。9年かかった議論の土台にあったのは、政治や経済である前に、数千万年かけて積み上がった岩の性質でした。
そして、地下水の動きには本質的に「掘ってみないとわからない」部分が残ります。静岡工区の掘削は約10年かかる見込みです。その10年をかけて、南アルプスの地下が実際にどうなっているのかが、少しずつ明らかになっていきます。人間の工程表とは無関係に、山の水は今日も割れ目の中を動いています。

参考資料
- JR東海「大井川の水資源に関する取り組み」
- 静岡新聞DIGITAL「大井川とリニア」特集
- 国土交通省「リニア中央新幹線静岡工区 有識者会議」
- 中日新聞「南アルプストンネルは最難関工事——土被り最大1400メートル」
- JR東海 岐阜県内 事後調査報告(PDF)
南アルプスの地質や日本列島の地下構造についてさらに読みたい方には、沈み込む水とマグマと温泉のメカニズムが関連します。リニアシリーズの他の記事——リニアはなぜ南アルプスを貫くのか・リニアが越える日本の3大地質構造——もあわせてどうぞ。いずれも「山の地質」カテゴリで、プレート運動から読み解く日本の山の成り立ちを扱っています。



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